認知科学

アイヒマンテスト


なんでこんな本の翻訳したんだろうと初めは不思議だった
「服従実験とは何だったのだのか—スタンレー・ミルグラムの障碍と遺産」

スタンレーミルグラム自身による
「服従の心理」も河出書房新社から出ている(文庫版もある)。


知っておかないといけない事象だと思っている。
(まだ本を開いていないのが恥ずかしい)


服従実験

服従実験とは何だったのかスタンレー・ミルグラムの生涯と遺産


服従の心理
(河出文庫)


今の時代に知っておいた方がいい人の心の操縦術かもしれない。
1年ほど前(2012年1月)に
こんなことを考えていた。

考現学

「今」というのがちょっと流行っている。
私の中でも「今」がとても大事な「概念」だと思っている。

「いつやるの、今でしょう」
という東進の林修さんのインパクトある「ことば」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1268302042

「ヒクソン・グレイシー」のことば
http://blog.sixapart.jp/2013-03/being-40.html

東横線の渋谷駅がなくなることをちょっと惜しがっている自分がいたけど、過去にこだわっていても仕方ない、今どうするかってことなんだということを言い聞かせて東横線渋谷駅には惜別に行かなかった。「今」これは大事なキーワードであると思う。

考現学」は2013年の段階ではちょいと元気がないけど



「考古学」は「サイエンス」を取り入れてその精度を高めた。
「今」ビッグデータがその精度を高めるために学ぶべきヒントは「ここ」にあると思った。
つまり、
「計算機科学」「ロボット工学」に次いで「ビッグデータ」が学問として、産業として成り立たせるために「学ぶ姿勢」がいかに大事かということなんだと思っている。

サボタージュマニュアル

FaceBookでみつけた。
第二次世界大戦中のライフハック「仕事を進まなくさせる8ヵ条」
http://akihitok.typepad.jp/blog/2008/06/8-411f.html
こういうのはいつでもでまわる。

追記:
2014年11月にもこの話題はFaceBookというか、ハフィントンポストに出ていた。

粗忽長屋

粗忽長屋
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/6684/sokotsunagaya.html
なんとも無茶苦茶な落語である。

どうやら、これをフィーチャーしたのが
板尾創路の映画「月光ノ仮面」らしい。私はみちゃいないんだけど、ちょっと気になった次第である。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD18345/index.html
自己とは何なのか、もともと、自己という概念はアジアには希薄だとか、そういう話を聞いたことがある。それと、働き蜂はDNAが一緒で、そうなると、自分と他人がその同じDNAの集団においては区別がつかないのではないか?ということを言っているのを聴いたことがある。
そんなことをテーマにしていた映画がそういえばあった。


この映画はテスラーが登場したり、マジックの世界がいろいろ見られて、何でみたのか謎なんだけど楽しかった記憶がある。

スクワイアの記憶モデル

人間の記憶と言語の関係で興味深いことを言っていた人がいて、この件はとても興味がある。

記憶の仕組みとしては「スクワイアの記憶モデル」というものがあるようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E6%86%B6

興味深いというのは、
ワインのソムリエ(ソムリエというとワインのことなので、変な言い方なのか?)の田崎真也が言っていたことで、「ワインの味を覚えるにはあまりにも沢山の味を覚えないといけないので、言語化して記憶する」というようなことだった。そんなワケで、川嶋なおみがワインの味で、「草原で戯れる子どもと子犬を見ている乙女のささやき」みたいな不思議な表現をしているのを、よく馬鹿にしていたのだけど、田崎真也が言うには、その覚え方は「正しい」ということだった。
で、甲南女子大の上田先生(当時)、多摩美術大学の須永先生などがやられているワークショップに参加して気になることがあった。というのは、終わると、必ず、すぐに「反省会」を行うのだった。これはとても不思議だった。
実は、ワークショップというのは形になっていない(書籍とか、シンポジウムとか、企画展とか)ものを形にするための「工房」としての要素を持っているものであるので、得てして終わった段階では「生煮え」な状態なことが多い。
終わった段階で「言語化」をし、それを長期記憶にすることで、「経験の記憶」ができるようになる。
なんと素晴らしいことなのかと感心したものだった。
そんなことを享受した後に、しばらくたって、上田先生に上のようなことを話したら、「あ、そうでしたか、でも、今は新聞作っているんですよ」とあっさり先を越されてしまった。
もっとも、
失読症、言文一致問題、色々ある中で「新聞」という形に表現するのがいいのかは疑問がある。




一方で、言語と空間という関係に置き換えたのが「発想法」=「KJ」法である。



失読症

人の顔が区別できないという事に対して、文字が文字として読めないということが気になる場合がある。自分自身でも「ゲシュタルト崩壊」を起こすことはままあるけど・・・「サンジャックへの道」という名画でこの話を知った。


映画のテーマは全然違うもので、とはいえ、この問題ってのはあまり日本では問題になっていないような気がする。
(大事なことは、いわゆる学習能力とか、知能とかそういうのとは別の問題として「文字を文字として読めない」という現象があるということである)


Dyslexia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%A2

識字プロセスには、文字や単語を構成する音に結びつけて分析する「音韻的処理」(平仮名片仮名アルファベットなど主に表音文字)から、単語、文章そのものからダイレクトに意味を理解する「正字法的処理」(漢字のような表意文字も含む)までいくつかの段階がある。
対となるもので
ハイパーレクシアなるものもあるようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%A2

識字というものは結構気になるもので、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%98%E5%AD%97

近世社会と識字の関係は、更に気になる。日本人は江戸時代にも寺子屋で文字を習ったっていうけど、「話し言葉」と「書き言葉」が違った戦前までの日本というのは、本当に全国民が文字を使えていたのかどうか・・・。失読症よりはるかに高いハードルがあったから気にならなかっただけなような気もする。
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/8186/1/70(4)_524-535.pdf

読み書き困難疑似体験
http://rise.gr.jp/manaby/revolve_kyouzai
これはちょっと無理ある気がするけど、専門家がやっているサイトなので、それなりに疑似体験ができるのだろう。

「プルーストとイカ」なる本を見つけた。
読書は脳をどのように変えるかというなかなか興味深いテーマだ。とんでも本ではなさそうなので買ってみることにする。


相貌失認

今の時代、何でも病気になる。
病気の定義がどうこうとか、そういうことはおいておいて、人の顔が覚えられない。ということがあるようだ。
私は一度会った人は、顔と話した内容を忘れない。というのがウリだった時代があったけど、今はめっきりそんなこともなく、出来事は忘れる、話した内容は覚えようとしない、などなど、随分問題がある生き方をしてしまっているようだ。

そんな中で見つけたちょっと不思議なテストがある。「人の顔」を覚えられるかどうかというテストである。なんでも、この症状は脳障害による失認の一種で、顔を見てもその表情の識別ができず、誰の顔か分からず、個人の識別ができなくなる症状を指すようである。人口の2%くらいが実はこの症状があるということのようで、思いっきり心配になった。
簡単なテストが下記にある。(もっとも、英語だったりするのと、外国人の名前書けないっていう問題もあるけど、なんとかなるものだと思う)

相貌失認テスト

http://www.faceblind.org/facetests/index.php
まさか、もしかして、と思ったけど私は75点・・・大丈夫だった。
映画とか、アメリカ文化にそれなりに明るい人とか、現代史とかそれなりに分かっている人じゃないと辛いかも。
(ただ、この実験は何を意図しているのかは考えないと・・・。人名のスペル間違いはすごかった。あと、若い頃と年とってからの写真であぁ、そうかぁという勘違いがあったり、似ている人(と思っている人があって)そんな誤解もちょっと笑える。これを日本用にカスタマイズするといいんだろうけど、専門家じゃないとできないだろうし、何をもって「正解」とするかとか、誰を選んだらいいか、とか、判定の仕方について、などなど謎は多い)