文久山陵図

「文久山陵図」
今ある天皇陵はなんであのような形になったのか。
明治神宮とは「明治天皇の墓」だと勘違いしていた私は、
2002年に「桃山御陵」なる存在の意味を知って、その先立つときに、
1999年に「泉涌寺」の曼荼羅絵を見に行って、天皇の御寺、天皇陵が沢山ある「月輪の陵」を知った。

天智天皇陵が京阪電車沿線にあるとか、
継体天皇陵がある場所が
太田茶臼山古墳と治定されているけど、最近では「今城塚古墳」説が有力。
だけど、あまりその話は報道すらされない。でも行ってみるとかなり「すごい発掘」「修復」が終わっている。
仁徳天皇陵は行ってみると、
大仙陵古墳という名前だと知ったり、
橿原神宮に行ってみると妙に新しい感じがあって、神武天皇の神社って実は新しい。
神武天皇陵の話はこれまた明治時代にすごい話があったりする。
とか、
その謎を教えてくれるのがこの本。
ねつ造云々とかは
こちらを参照するといいかもしれない。

文久3の改修前・改修後が一目瞭然。
http://www4.plala.or.jp/bakumatsu/kyou/10/100162%20-sanryokenpaku.htm