小林研一郎

音楽監督がオーケストラを去る日

大阪フィル+大植英次
2005年以来、東京公演を見てきた。
2012年2月19日に、音楽監督最後の演奏となった。
大フィルの定期演奏会は
90年くらいから、朝比奈隆+大フィルを夏に聴いてきた。
主にブルックナーだったと記憶している。
99年から2002年まで関西に住んでいたという幸運もあって、
朝比奈隆の最晩年の
「ブルックナー」「ベートーベン」を聴くことができた。
朝比奈隆は覚悟することなく「最期」の演奏会を聴いていたことになる。
(真の最期の演奏会は名古屋であった。最も得意とするチャイコフスキー5番だったそうで、その幻のCDは聴いたことない)
今回の大植英次とはちょっと違う。

都響+若杉弘
88年くらいから都響の定期会員になって行くようになった。
・マーラーシリーズ
・ブルックナーシリーズ(これはN響だった)
・ワーグナーシリーズ

なんかも堪能した。これだけの回数、演奏会に行った指揮者は後にも先にもない。
若杉からインバルに変わってから都響には、あまり行かなくなってしまった。
若杉弘をその後、見たのは「びわ湖ホール」での「ヴェルディのレクイエム」、新国立劇場で「ローエングリン」見たのが最後となってしまった。

小林研一郎は、都響の正指揮者を去って、24年ぶりに「都響指揮台に上る」ってのを見てびっくりした。意図はないようだけどその去るときの演奏会は「悲劇的」だった(プログラムには初演奏会が「悲劇的」だったから最後もそうしたってことだったけど、ちょっと違う意図もあったのかもしれない)。ムーティ、アバド、誰もがオーケストラを去る時に必ずしも円満な退団をしているとは限らない。そんな意味で、大植英次が、桂冠指揮者となって大フィルを去るのはちょっとホッとする去り方である。団体でモノを作るという崇高な行為に人間関係というゲスなモノが顔をだすようである。