継体天皇

気になる天皇陵

繼體天皇(継体天皇)
日本で一番不思議な天皇だ。これ以降、5代までが天皇を継ぐ資格みたいなことが不文律みたいなことになっているそうで、そもそもこの大王以前は実在したのか分からないという説もある。天皇の諡号はなかなか難解な経緯があるようだ諡号と追号の別があるとか)。そして、継体天皇陵の場所を宮内庁は「太田茶臼山古墳三島藍野陵と治定しているが、どうやら、実際の陵墓は今城塚古墳である可能性が非常に高いことが2012年時点では判明している。高槻市はそっと今城塚古墳を公園と資料館を作って公開している。これはなかなか見ごたえがある(なんていってもそんなでかい陵墓を公開しているのは今城塚古墳くらいだから)。もちろん、復元したもので、本当にそうだったかどうかは分からないわけだけど、多分間違いないのだろう。

実際、なんで天皇陵を間違えたのか・・・。
江戸時代に江戸幕府が高槻藩主に「天皇陵」の存在を確認したときに「ない」と回答したそうな。今城塚は名前にあるとおり、安土桃山時代には「城」があったみたいで、その後には大地震で古墳は崩壊してしまっていたそうだ。近年になって「修復」をした中で色々なことが判明したというのが真相なようだ。
実際、太田茶臼山古墳の埴輪・土偶は継体天皇の時期より100年ばかり前のものらしく、しかも、今城塚古墳・埴輪の配列にはかなり「摩訶不思議」な特徴がある。

埴輪が古墳の外側にあったこと
石室が3つ陵墓にあること
陵墓には「舞台」があること

では、太田茶臼山古墳は誰のものなのか?
資料館にある、仁徳天皇の兄弟にあたる、その人の陵墓ではないかという説を会場のボランティアの方が語ってくれた。

(ここに書いたことはほぼそのボランティアの方が語ってくれた話をまとめたもの。どうやら、近所の人がフラリと見に来たと思って声かけてくれたようなんだけど、意外な地域から、変なマニアが来たもんだと不思議に思ってくれたと思う)

納得である。
(もっとも、何代上なのか、どこで血縁となるかはおいておいて・・・、いずれにしてもしかるべき勢力を持った人であることは間違いなさそうだ。なるほど、仁徳天皇の時代であれば「大きな古墳」であることも納得だし、かの地にということとか、埴輪工場とか、諸々納得がいく)

この高槻なる地は「古墳時代の遺跡」が沢山あることで有名なんだそうだ。
今まで全く知らなかった。
今後はその「古墳時代の遺跡の町」として観光開発をするということだそうで。なかなか興味深いところである。