Mマウント

50ミリレンズ

明るいレンズに憧れる

noctilux
2000年頃にうっかり新宿東口のカメラ店で20万円で売っているのをみつけて買ってしまった。
すごいレンズだ。絶対ピントは合わないけど、使っていて嬉しいのなんの。
あまりの大きさ、これに耐えられるカメラもない(
M5は買ったけど、暗いところでは露出計が使い物にならない)。

sonetar1
sonetar2

そんな中でMSオプティクスのゾナーF1.1のレンズ、これもほぼ同じ値段で手に入れたけど、こちらはコンパクトで普段使うにもいい感じ。レンズも少ないからなんか澄んだ写真が撮れそう。だけど、これに合うカメラを持っていない。CLEに付けてもいいんだけど、丁度いいフレームはない。日本のレンズもいいものだ。

初めて50ミリに憧れてしまったのは
ズミクロン50mmが安く売っていたから。
そして、マウントアダプターがあって、キヤノンF1に簡単につくことがわかったから。
フード別付けのズミクロン(2カム)はなんとも格好良い。F1に付けて不便な絞込測光で撮って自己満足していた。
R6まで廉価で店頭に出るようになってズミクロンは3カムレンズに代替わりしたが、2代目も大事にしまってある。F1を使う機会があり、かつ根性があるときの専用50ミリレンズ(FD50mmF1.4もFD50mmF3.5マクロも使わない場合)ということになる。
そんな頃に、トプコンの50ミリF1.4フラッシュマチックが・・・。このレンズのフラッシュマチックという機構はTTLダイレクト測光以前にはちょっとした評価をされた機能で、自動絞りが使えるカメラなら意味があるのだけれど、ストロボのガイドナンバーをこのGNトプコール合わせると、ストロボ光量に合わせて、ピント位置に適切な絞り値を決めてくれるという機能がある。もちろんフラッシュ光量が足りない距離には意味ないし、光の周り具合による適正光量とかそいういうのも無視しているものだ。昔はそんな機能で満足していた。「絞り値」をカメラにセットして光量を自動制御するオートストロボの方が簡単だったけど、高感度フィルムとストロボという組み合わせのメリットが被写界深度が深いというメリットに変わってしまうのが難点で、このフラッシュマチックはちょっとした憧れだった。
NikkorでもGNニッコールとして出ていた記憶がある。
このトプコンのGNレンズは、困ったことにフラッシュマチック機能がついているために、絞りとピントを連動させるために、ピント方向がトプコン(というか、キヤノンと)逆になっている。なんか昔の高級レンズって感じの写りとレンズの反射(コーティング)が気持ちいい。ちなみに、エキザクタ(トプコン用)レンズはマウントアダプターを介せばF1には簡単につく(強度の問題でEOSのマウントアダプターは無限が出ないと書いてあった記憶がある。そもそもEOSマウントのカメラは持っていない)。

50ミリでちょっと変なレンズというと、
フィクトレンダーのベッサーTについていたヘリアー50mmF3.5という沈筒式レンズ、ズマール50mmF2も持っているけど、あまり使ったことがない。写真が下手ということの証拠なんだろうなと自分にがっかりしている。

雲が気になる季節(1)

カメラは何のために買うのか?
カメラを買って何を撮るのか?
カメラは人生の何かを変えてくれるのか?

写真ということばはあまり使わなくなっているかもしれない。
もともとこのことばを発明した人はすごい誤解をしていたわけである。
英語では「PHOTOGRAPH」直訳すると「光画」である。
「水彩画」「油絵」という延長上にある「光画」という絵画術の一つであったのであろう。
もっとも、その光画というものは、フェルメールの時代からあって、カメラオブスキュラでパースをトレースして絵を描くなんていうことがあったわけである。フェルメールの時代というと、江戸時代初期であり、そんな頃からこういうテクノロジーが芸術と密接な関係を持っていたということは、別に驚くことでもないのだけれど、日本では「印象派絵画」「水墨画」「陶芸」「書道」「彫刻」などが優れた芸術であって、コンピュータアートなどのようなハイテク表現は芸術と一線を画しているという思い込みはまだ払拭できていないような感じがある。

とはいえ、このカメラ、日本の歴史では写真館で写真を撮るという行為が特別な行為として未だ残っているけれど、多くは「日常を切り取る道具」として、写真という行為が一般化してきた。
歴史に刻まれたカメラとして「オリンパスペン」はその一つがあるのだろう。
その後、カメラは多くの人が「旅行」のお供として持ち歩くものとなり、富士フィルムの「写るんです」はカメラは現地で調達するという革命的な現象も生み、写真館をお手軽にした「プリクラ」なるもので、日常に写真館をもたらすという劇変も生まれた。
一方で、デジタル革命は写真の世界にも浸透し、一家に一台あった「フィルムカメラ」は急速に使われることがなくなり、携帯・コンデジにとって代わられることとなったのは時代の移り変わりであろう。
今後、フィルム写真は「水彩画」「油絵」と同様に限られた人々の表現手段として残るのか、マイクロフィルムとしてのみその存在価値が残るのか。いずれにしても19世紀に誕生して20世紀に全盛期を迎えた写真文化のかなりの部分は「デジタルカメラ」にとって代わられようとしている。

このOM-D E-M5
なんとも不思議な名前である。覚えることがほぼできないそんな名前だ。
もともと、OM-1なるカメラがこの世に登場したのは1971年であった。当初はM-1という名前だったのがライカのクレームによりOM-1という名前に変更になったという不思議な運命をたどっている。このカメラの設計者はその前に「オリンパスペン」というハーフサイズカメラ(36枚撮りフィルムで72枚撮れるそんなカメラ)を出し、一躍、旅に持ち歩ける小さいカメラを世に出した天才設計者と言われる米谷美久によるもので、一眼レフカメラが大きくなっていく中で、小型軽量のカメラのショックを世に出した。そのMaitaniのMが名前の由来であることは知る人ぞ知る逸話である。
その後、オリンパスは2002年までこのOMシリーズを販売していた。世間ではオートフォーカスへ移行をしていたが、オリンパスは本格的オートフォーカスへの参入することなくデジカメに移行していった。

オリンパスのデジカメは結局、この米谷美久の作ったカメラ「ペン」「OM」の2つのシリーズの復刻をすることでデジカメで再挑戦ということとなっている。
もともとは4/3インチ(フォーサーズ)の撮像素子を持ったデジタル一眼レフカメラにこだわりを持って作ったカメラはフィールドカメラとしての一定の評価を受けながら、営業的成功をとげることはできず、マイクロ4/3(フォーサーズ)という一眼レフのミラーをとったカメラをパナソニックと出し始め、新しい市場を形成するに至っている。

このマイクロ4/3は、ソニーα NEXシリーズ、ペンタックスQ、ニコン1、そしてカメラ界の雄キヤノンまでもが出すこととなった。新しいカメラの潮流である。

そんな中でOM-5は世に出た時に多くの人が「?」と思ったカメラである。
まず、その形状が「オリンパスOM-1」の真似っこ?
ただ、機能は本当にあれこれついている。
フィルムカメラからデジカメに持ち替えて困ることはいくつかある。
困ること1
デジカメは重い?
困ること2
ピントが案外合わない?
困ること3
炎天下では液晶画面が見えない。
困ること4
結構手ぶれしてしまう。
困ること5
紙で見るの?画面で見るの?
困ること6
カメラは撮る楽しみと、見る楽しみ、撮られる楽しみはあるのか?

困ること1
デジカメは重い?
オートフォーカスのカメラになってからなのか、カメラはどんどん重くなってきた。
実は重くなったのか、フィルムとかその他全体の装備では変わりないのか・・・。
いずれにしても撮影するときに「重い」カメラに辟易していた。
コンパクトデジカメを使っている人は「軽い」カメラからしっかりしたカメラ(デジタル一眼)へ移行するのはお金的な面以上に、カメラの重さがネックになった。歳とって重いカメラを持つのも嫌になった・・・。そんなこんなで、困っているところに登場したマイクロ3/4カメラは救世主のような気がする。
パナソニックのデジカメもいいけど、オリンパスのペン・OM-Dなんかはなんとなく懐古主義的な面もあってちょっといい感じがする。

困ること2
ピントが案外合わない?
オートフォーカスはピントが合うというのは当然のことのようだけど、実はピントの合わないカメラが沢山ある。いや、実はピントはあっているのかもしれないけど、自分が合わせたいところにピントが来ていないことが良くある。シャッターを切る瞬間につい前のめりになって「後ピン」になるとか・・・。

困ること3
結構手ぶれしてしまう。
実は、ピントと手ぶれ両方がよく区別できないことも多い。なんか、ぼんやり下写真だなと思うと、ブレが原因だったりする。
OM-Dは手ぶれ補正がカメラ内にあること、5軸のぶれ補正機能があることで、結構ブレには強いカメラになっている。もっとも、ブレは防止できても「ボケ」は解決できないし、明るいレンズを買わないとパリっとした写真にはならない。更に被写界深度の調整は自分で絞り選択しないとダメだし、ストロボ炊けば解決したりもする。

手ぶれ・ピンぼけ対策は
レンズ性能・絞りの選択・C-MOSの性能(ノイズ)との闘いでもある。
レンズ性能なんてのは、本当に難しい問題もあって、高いレンズは綺麗な写りになるのはわかるけど、旧いレンズを使うと「味」が出るという矛盾したことも出てくる。結局、数こなして「腕」をあげるしかないようだ。

困ること4
炎天下では液晶画面が見えない。
OM-Dはアイレベルファインダーがあって、それを覗くとそれなりに画面が見える。ピントの確認それなりにできる。カメラを体から離して撮ることもできる(炎天下では見えにくいけど、昔のカメラより随分よくなった)。

困ること5
紙で見るの?画面で見るの?
デジカメはついつい「画面」で見るものと思いがちだけど、今更だけど「紙」に焼く、撮った写真を遠くの知人に贈っておく、そんなことが必要な時代なのかもしれない。クラウドに置くというのも写真の分散保管として価値はあるけど、紙なら何らかの方法で「復旧」できることも実証されているわけだし。

困ること6
カメラは撮る楽しみと、見る楽しみ、撮られる楽しみはあるのか?
案外、忘れているのが「どう見て楽しむか」ということかもしれない。
案外、この物語は忘れられている。
昔、木村祐一がそんな漫談をやっていたけど。

写真の楽しみ
写真は瞬間で「記憶を定着」させることが楽しみなんだと思う。
その記憶の定着手段として、カメラ・レンズを組み合わせる。
画角・被写界深度・シャッターピード・カラーバランス・画素数
この最適化が光画術のスキルであり、この技術を駆使して作画することが目的なんだと思う。このパラメーターを操る楽しみを持てるのか。
上のバランスをとるために、どのカメラを使うのか、どのレンズを選択するのか、組み合わせは無限である。自分ならではの組み合わせを作ることが「光画術師」としての道なのかもしれない。

追記:
で、なんでOM-Dなのか・・・・。

私は何の写真を撮るつもりでカメラを使うのか。
別に、飲み会で知り合いの写真を撮るとか、記念写真を撮るなんてことなら、しっかりた写真を撮るのなら専門家に頼む(べき)だし、そんなカメラ買っても一生でモトをとれるはずはない。カメラも価値の減少は激しい高級耐久消費財となってしまったから、プロ機材とて同じだろう。
写真館で写真を撮るっていっても、1回3万円もあれば事足りる。20年くらいは年に1回撮ってもモトがとれるわけだ。
旅の記念写真を普通に撮るのなら、普通のカメラで充分。3万円も出せば成功率90%くらいの、キャビネサイズに引き延ばすくらいに最適なカメラが手に入る。写真データの入っているメモリーカードを持ってビックカメラのプリンターに持ち込めばOKだ。なんなら、今ある携帯カメラでも充分かもしれない。
しかし、
もし、彼女とデートして東尋坊の絶壁で船越英一郎ごっこをやってみる、日本のドーバー屏風ヶ浦の絶景を綺麗に撮りたいと思ったら・・・。夜の金沢の街並みをしっとりした感じで撮りたい。せっかく泊まった京都の町屋づくりの旅館の床の間を綺麗に撮りたいと思ったら・・・。9月の連休に高麗の曼珠沙華畑を撮ってみたいと思ったら・・・。そんなときに10万円のカメラの意味があるんだろう。
OMーDが他のカメラと何が違うのか、再度おさらいをしてみると。
キヤノンEOSよりもレンズが小さいものが多い。性能は違うのか、同じなのか、多分B1サイズみたいな巨大写真に引き延ばすことはないから、差はないだろう。キヤノンやニコンのレンズは「高い」「重い」・・・。しかも、今持っているわけではないから他社のレンズとかはどうでもいいのだ。
いや、まてよ、昔買った、キヤノンAE-1のレンズがあったはず・・・ニコンFMのレンズが・・・コンタックスのツァイスレンズがあった・・・。使う気になれば、そんなレンズは4/3マウントなら使えないこともない。しかも、手ぶれ補正は機能する。ピントは手で合わせるけど、できないことはない。
画角が昔のカメラと違うけど、別に昔のカメラに慣れ親しんでいる訳ではないから、あまり細かいことこだわってもしかたない。キヤノンEOS5Dを3台買える値段なわけだし、重さは半分くらいだし・・・。

ひょっとしたら、レンズにこだわりを持ちたい・・・。そんなときが来たらどうしよう。
そんなことを思ったら、あった・・・。ライカレンズがパナソニックから出ている。25ミリF1.4、ズミルクス。45ミリマクロエルマー・・・。なるほど人を撮るのや花を撮るにはいいレンズみたいた。値段も5万円・・・・買えない値段ではない。キヤノンのレンズとかLレンズとかいうのは10万・20万当たり前だから。

なんて悩んでいても、
実は電子機器だから一生使うことはなさそうだし、
5年もしたら陳腐化しちゃうんだろう。
今、なんか惹かれる形があったら、それかっちゃえばいいんだろうなっていうのが結論だったりする。

実際、OM-D E-M5を使って思ったこと・・・。
デジカメを使う上での難しさがあって、
大きく分けて3つの問題と対応策がある。

課題1
フィルムカメラとは別もの・・・。
フィルムとカメラが別に購入出来た時代とデジカメ全盛の時代の違いに戸惑う人は今更いないんだろうけど・・・。デジカメの場合、フィルム+カメラがカメラで実現できること。フィルム時代にはカメラとフィルムは別に購入できた(当たり前だけど)

課題2
デジカメで残したいことは何なのか?
やっぱり、撮りたいものは何なのか?

課題3
自分の思いをカメラに仕込むことは可能なのか?
何百とある設定をどう仕込むのか。
フィルム一眼レフカメラ、いや、デジタル一眼レフカメラでもあるんだろうけど、自分はどの程度の「ピントのボケ」を見せたいのか、どの程度の明度の差を光画(もしくは描写)したいのか、画角による遠近感、被写界深度、明度差は一体どのような最適化をしたいのか、いや、カメラ任せでいいのか。

課題1に対する対応策
撮像素子のサイズはやっぱり大きな差である。
4/3カメラは35ミリ一眼レフの半分・・・。つまり、今まで慣れた焦点距離の2倍である。APSサイズというのは1.5倍・・・つまり、50ミリレンズは75ミリ相当の画角に狭くなってしまう。
本当に写真で表現使用とする人であれば、安易にズームレンズは使わないのは当然で、自分の慣れた画角にこだわるハズだから、3倍ズーム程度なら3歩前に、3歩下がって撮れば同等の効果があることは分かっているわけである。
ズームレンズを使って写真を巧くなるっていうことはあり得ない。使い続けている写真巧者ということは「100%あり得ない」ので、まずは、これぞ・・・というお気に入りレンズを1本買う必要がある。4/3の場合には「ライカブランド」のレンズがパナソニックから出ている。ズミルクス25ミリ、マクロエルマリート45ミリというすっごいレンズがある(しかもそんなに高くない)。
このレンズの巧者となって撮像獅子の不利さを覆すことは結構簡単な道かもしれない。

課題2に対する対応策
このカメラ(OM-D E-M5)で何ができる?
街中のスナップとして25ミリ、ズミルクス・・・。F1.4という至高の明るいレンズは昼から夜まで万能のレンズである。しかも開放で撮れば、最高のボケも得られる。
欠点は広角レンズではないので、街歩きには12ミリみたいなレンズがいいんだろうけど・・・。7万円・・・まだ買うことはない。
花とか撮るにはマクロレンズが必要で、そんなレンズとしてマクロ得るマリーと45ミリは最適・・・・。1:1サイズまで近接撮影ができるってことが保美、不可能がないといっても過言ではない。
運動会を撮りたい、旅行先での記念写真を撮りたい、飲み会でのスナップ写真が撮りたい・・・。そんなときにOM-D E-M5を使う必要があるのかどうかは謎だ。充分に小さいカメラで、ズームもそれなりにあるし、ストロボも付く。けど、もっと気軽なカメラの方がいいのかもしれない。

課題3に対すル対応策
設定が難しい・・・。
難しいのは問題ではなくて、
例えば、色温度の設定を変えなきゃとか、ISO感度を変えたいとか、測光方式を変えたいとか、オートフォーカスを変えたいとか、そういうことを自分の思うままに調整するのは難しい。しかもJPEGで撮るのではなくて、RAWデータで撮って後で現像のときにその設定をいじろうとなると難しさは倍増する。
カメラ任せでうまくいく可能性はどれくらいなんだろうか・・・。少なくとも、私はスポット測光で、フォーカスエリアも自分の思うところに合わせない限り、写真は見られたような絵にはならないんだけど、そんな心配はないのだろうか?
いっそ、マニュアルフォーカス、マニュアル露出、ISOも自分で合わせて、ダイナミックレンジの調整も自分でやって・・・。その方が写真を撮るのは確実かつ、満足いく結果になるのではないか?という疑惑はある。そいういうことを自動化してくれないことには「写真は撮らない」という方に対してのカメラと、自分の思いを確実に表現できる道具のカメラとでは、全てにおいて別物なのではないか?
どっちがいい・・・。
10万円で自分で設定するカメラを買いたいというのは私がひねくれているからであろうが・・・。そんなデジカメがないってブツブツ言っていたけど、実はフィルムカメラ(マニュアルフォーカスのカメラ)で、フィルムスキャンをしたらいいだけなのかもしれない。
そんなカメラに似たカメラとは・・・。

夏の富山

電話をするときに「もしもし」と言う理由

http://www.freeml.com/wefree/origin/hello/
集めてあるものはおいていおいて、

妖怪談義


こちらに夕方にあぜ道を歩いている時に妖怪に襲われる話がある。
この話を学生時代に読んだ記憶があったんだけど、柳田国男の何の本かわからなかった。以来、20年近く柳田国男の何かの本ってことにしていた・・・。2004年頃にその話を、当時いた出版社の編集者に言ったら、翌日「これですよね」と持ってきてくれた。
ちなみに、88年にNTTに入社したときにびっくりしたことがある。NTTの電話局の人は電話をするときに「もっしー」と言う。「もしもし」とは言わない・・・「妖怪?!」。ということになる。恐ろしや。

猪谷の円空仏

高山本線(高山→富山)

最古の地図

可視化最古地図
http://en.wikipedia.org/wiki/Babylonian_Map_of_the_World

高山

中華街に「謝甜記というおかゆ屋さんがある。
夏におかゆ?というかもしれないけど、
ビッグコミックスピリッツの「おかゆネコ」もあるので、

http://oh-news.net/comic/?p=52596
ちょっとしたマイブーム状態である。

2012-07-21 20.27.19
2012-07-21 20.27.24
2012-07-21 20.48.29

とビール2本で6千円弱(2名の料金)。
元気なら「梅蘭本店」っていう手もあるし、景徳鎮の麻婆豆腐に闘いを挑むってのも格好いい。

高山本線(岐阜→高山)

初めて落語会なるものに行った
写真

なんで行ったかというと「テレビCM」で見かけたから。
(多分、SAKUSAKUの前の番組)
桂雀々(枝雀の愛弟子)みたいな感じで、なんとなく桂枝雀をしのべるようなそんな感じがしてだった。
二人会ってことで、もう一人は三遊亭好楽・・・この人は確か、鬼子母神の辺で娘さんがお店やっているってのを何かで見た覚えがあるそんな程度で、笑点に出ているというとやっぱり落語家としての知名度は抜群だ。

なるほど、
座布団めくりをやる前座さんが小ネタやって「十徳」なるもの。
好楽師匠が一つ・・・医者に関する話でそのまま終わった。
そして、雀々師匠が登場した・・・
壮絶な落語家の仕事の話(自分の体験談らしく「台湾の人の観光バスに10時間同乗するというすごい仕事)で、10時間食べ物の物まねを・・・という話から、「手水回し」に。枝雀落語ってこうだったなぁ・・・と懐かしさを感じながら、中入り。中入り後には、雀々師匠の義理の兄のざこば師匠の居酒屋ネタから、「田楽喰い」、身振り手振りと怒濤の言い回しに大満足。
そして、
好楽師匠がトリをつとめて終わり・・・「一眼国」という演目らしい。
なんか、香具師が一つ目の子を捕まえにいって・・・という話。ネタとしてはありそうな話なんだけど、有名な演目なのかどうかはわからない。

落語っていうのはオトクな演芸であることは間違いない。
何がオトクかというと、興業主にとってということなんだけど。