江戸時代の時間
由井正雪の乱
木曜スペシャル(2014年10月23日)
東京の地下の話が・・・。
由井正雪の話が出てきた。なかなか深い話。
しかし、東京の地下は謎だらけだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/慶安の変
日本の時計
飛鳥の水時計
http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA4/mizutokei/mizutokei.html
近江神社の「漏刻祭当日の和時計関連の企画」
http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA4/mizutokei/mizutokei.html
時計になつわる話は多い。
四方拝
内宮・外宮(伊勢神宮) 神武天皇陵は微妙だけど、 先代3代の天皇陵のありか(すら)も意外と知らない人が多い。 意外にも氷川神社・鹿島神宮・香取神宮と、関東の神社が3つもあるのも不思議だ。 山背の国の上賀茂・下賀茂神社はなんとなく理解できる。 出雲大社・金比羅宮・宗像神社は入っていないんだってのもちょっと意外な気分。
戦前には四方節とよばれていた。皇室令が廃止された戦後においても、皇室の私的な行事とされる以外は旧皇室令に準拠して行われている。
元日の午前5時30分に、今上天皇が黄櫨染御袍と呼ばれる束帯を着用し、皇居の宮中三殿の西側にある神嘉殿の南側の庭に設けられた建物の中に入り、伊勢の神宮の皇大神宮・豊受大神宮の両宮に向かって拝礼した後、続いて四方の諸神を拝する。ただし、2009年の四方拝は今上天皇の高齢化に伴う祭祀の簡略化により、皇居の御所において行われた。
この時に天皇が拝される神々・天皇陵は伊勢神宮、天神地祇、神武天皇陵・先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)の各山陵、武蔵国一宮(氷川神社)・山城国一宮(賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)・石清水八幡宮・熱田神宮・常陸国一宮(鹿島神宮)・下総国一宮(香取神宮)である。
文久山陵図
野球狂の唄
読売巨人軍の松本選手と長野選手の因縁というのがあるのをどこかで聞いたことがある。 調べてみてやっぱりあった。 ふたりは同年代で東都大学リーグに所属していた。 松本選手は専修大学で長野選手は日本大学(一部リーグ)。 入れ替え戦で戦っていたのだ。その時には松本率いる専修大学が1部に昇格している。長野選手は春・秋連続首位打者という快挙をとげている。 |
タブレットの意味
タブレットのサイズってのはどういう歴史があるのか
http://www.mif-design.com/blog/2010/12/27-072355.php
ソニーのタブレットはこんなことを言っている
http://kumadigital.livedoor.biz/archives/51935162.html
さて
タブレットってのは旧約聖書において「モーゼの十戒」が刻まれたものを「The Tablet」と言うらしく、特別なものなようだ
携帯にストラップを付ける「根付け」文化とか、和歌をやりとりする平安貴族文化がSMSのルーツだと言うような、そんなことなのか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88
タブレットPCの歴史はこれ
http://www.kogures.com/hitoshi/history/pc-tablet/index.html
そんな両社の関係を記したビデオがモトローラのこれ
http://youtu.be/3qKp5Ry87Qc
こんな評判だったようだ
http://news.mynavi.jp/news/2010/12/21/017/index.html
なるほど、タブレットってことについて妻が欧米独特の・・・と言っていた、言っている意味がわからなかった。
どうやら中沢新一と内田樹の「日本の文脈」によるものらしく
http://d.hatena.ne.jp/shins2m/20120502/1335884528
などに書いてある
不明
同期と2回も呑みに行った。
昔の職場にイヴェントの提案に行った。
一つ忘れていたことがあって
「メディアとは何か」ということを考え続けているのが多分、私の人生なんだと思う。
メディアとは何か・・・
「ことば」
とか
「のろし」
とか
「活版印刷技術」
とか色々あるんだろうけど、つまりそれ(メディア)とは何なのか。
話はとんで(メディアの考えは最後にまとめておく)、最近、やろうと心に決めておきながら難しいことが一つある。
それは、「東北の文化」を集めて・広めるということをやろうと思い立ったことの具体的実践方法だった。
日経新聞3月木曜日夕刊に連載された赤坂憲雄先生の「東北学への誘い」これをやろうとして、旅を思い立って、いざ行こうとすると、「金木(太宰)」「遠野(柳田)」「花巻(宮澤)」というところくらいしか思いつかない。大自然に感動して帰ってくるのも勿論いいのだけど、いや、そんなものではなくて、東北の文化というものがもっと視覚的に表現できる何かがあるのではないのか?・・・まだ見つからないことに気がついた。
これは仏教的「テキスト」化された文化と神道的「オーラル」な文化の違いなのかもしれないし、単に「知らないだけ」ということもあるかもしれない。一歩一歩踏み出して、歩みをとめてじっくり観察することから始まるのかもしれない。東北はそういう意味でとてつもなく大きい。
関西というものに興味が沸くと、仏教に興味が沸く(というか、日本の文化は仏教との関係から教わることが多く、神道に関わる教育は戦後はなされていないのではないのか?このことは、東北の理解を阻んでいる原因なのかもしれない)。仏教の歴史は、下記のステージに分けて考えることができる。
(1)仏教伝来
(2)奈良仏教
(3)日本の仏教の始まり(天台宗と真言宗)
(4)鎌倉仏教(生活に入り込んだ仏教)
(5)廃仏毀釈
(6)太平洋戦争と仏教
で、話は元に戻って、メディアとは何なのか?
「門外不出」の真言宗の密教の伝法はメディアとしてどのような意義があるのだろうか。
「日本仏教を総合化した天台宗」はその後日本に浄土宗・浄土真宗・時宗・日蓮宗・臨済宗・曹洞宗なる新仏教を輩出した。この中の禅宗には興味深い「手法」があることに気がつく。仏教では「成仏」するための手段として「他力本願」と「自力本願」の2つがある。他力とは「仏」の力でという意味であって「他人任せ」みたいなものとはそもそも意味が違う。で、この自力本願をするために「禅」をする。これが禅宗の教えであるわけだ。
「専修念仏」ということばがまさにこれを体現したものであり、ひたすら座禅を組む。これが曹洞宗の厳しい教えである所以だろう。もっとも、曹洞宗もそれなりに広まっているのだから単に厳しいだけのものではない[惹かれる何か」があることは確かだ。一方の臨済宗には「公案」なる手法がある。つまり「禅問答」のことである。対話の中から自分が悟りをひらくためのあれやこれやが見えてくるということのようだ。曹洞宗では禅問答を否定していないようだが、あまりやらないようだ。そこで他の鎌倉仏教をみても、その成仏するための手法になんと多様な方法を編み出したことか。
まさに、現代のマルチメディアの原型はここにあったといってもいい。
さらにその日本仏教の歴史とは一線を画している「密教」なるものがどのようなことをやっていたのか、高野山に行って護摩行を見学してみると更に意外なこと、色々なことが分かってくる。あの大きな炎と重低音のお経、あの技法をもってすれば瞬時に帰依することは間違いない。土木技術に長けて、灌漑・井戸掘りあれだけのことをやった空海伝説にはそれは圧倒されたことは間違いない。真言密教なるものがなぜ密教であったかもなんとなく理解できてきた。
真言宗と修験道は随分似ているところがあって、神道とも共通するところが多々あるということは聞いたことがある。その、東北の文化が関西に比べて「見つけづらい」ことと関係があるのではないかと思うに至った。
神社の基本とは(本来は)「社」を持たない。経典がないに特徴があって、自然と先祖を崇拝することで現在の生き方に「秩序」と「規範」を持って生きることなのかというように考えるようになった。いわゆる(日本に伝わった)仏教と比較すると分かりやすいのだろうけど、経典というところで記述可能なものとは明らかにアプローチ・理解の方向が異なっているようだ。
東北の文化というものが乱暴に言ってしまうとその「神道的」な伝承がなされているような気がしてならない。
すると、東北の文化というものをどのように記録してどのように広めるのか。今までの「テキスト」による記述・伝承ではない何かによることになるはずである。まさに、マルチメディアのなせる技を駆使する必要があるのだろう。
旧国名
なんで、日本語では「国」というのは現在の「都道府県」を言ったり世界の「国」をいったりするのか、不思議だ。単なる明治維新の訳の問題なんだとは思うけど。
好字二字化令(713年)で「国」には「2文字」で表すようにって通達があって「泉」が「和泉」みたいに変わったそうだ。
「豊」「火」「粟」「紀」「嶋」「倭」「越」「総」なんていう一文字の国は合併で消えたり(前とか後とかがついたり、別の文字になったり・・・豊後・肥前・阿波・紀伊・大和・越前・下総みたいに)分割されたり、文字が変わったり、毛野みたいに、毛野が上野、下野みたいに、読まない文字を削ったりしている。多分、日本語の発音があれこれ固まってきた頃なんではないかと勝手に思う。
国造が治める「国」と、県主が治める「県」が並立していて、更に中央から派遣された「国司」が治める「律制国」が出来て・・・。すごいことである。
面白いのは「大宝律令」以後はあまり国名は変わっていないことと、国境もそれほどかわっていないこと。
日本が変わらぬ国であるというのはそういうところにあるのかもしれない。
http://j-myth.info/database/map00.html
http://www.otomiya.com/shop/faq/map.html
http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/kokumeitizu.htm
そんな中でも「東北」は「羽前」「羽後」、「陸前」「陸中」「陸奥」と分かれたり、「磐城」「山代」「会津」と分かれたり、関西の文化とはちょっと違うようである。
同様な事例では「武蔵国」は「東京府」「神奈川県」に分かれたあたりで随分と混乱があったようで、旧三多摩地区・中野区・杉並区すら一時期神奈川県だったという恐るべき事実もある。武蔵国あたりも実は東北同様随分とあれこれあったようである。
日本の転換点
日本が日本という国家の概念を持ったとき。
中国にならって中央集権的な国家として五畿七道を制定したとき。
などなど、歴史はどのようなときに「転換した」と思えるのだろうか。
そんな一時代の転換点というのは「鎌倉時代」にあったのかもしれない。
つまり、宗教というか、仏教がより多くの宗教として定着したときである。
欧米での宗教改革は「聖書の翻訳」「活版印刷」によりなし得たのだが、それによって、大航海時代へ宗教を布教するという大きな事業が誕生している。一方で、日本では「万人に通じる宗教」を目指し、比叡山から多くの傑出した宗教家を輩出している。そんな時代にやっぱりいたんだと感心したのが興福寺貞慶の活動である。
さて、今の時代に、日本を救うのは「何」なのか?
役と戦争
西南の役はいつしか西南戦争と呼ばれるようになった。
中学校までは「役」だったけど高校になると「戦争」と言い換えられたようだ。
「佐賀の乱」から始まり「西南戦争」で終わる氏族の反乱は一体どういうものだったんだろうか。
佐賀県の不幸はその後、随分と長いこと続くわけだし、なんとも不思議な気がする。
西南戦争の激戦地「田原坂」一度みてみたいところである。
古地図と歴史
Old Maps Online
古地図が歴史と空間をうまいこと利用して整理されている。
http://www.oldmapsonline.org/
何に使うというものではないけど。魅力的だ。
http://wired.jp/2012/03/12/old-maps-online-lets-you-find-your-way-around-17th-century-holy-roman-empire-ars/
大化の改新はなかった?!
で大化の改新が出てきた。
最近の歴史ってのはどんどん解釈が変わってきて、
「大化の改新はなかった」なんて話も出てきている。
なるほど、645年大化の改新(むしころされるたいかのかいしん)と習ったのはどうやら間違いなようだ。
談山神社はそんな大化の改新をしのぶのに最適な神社。「十三重の塔」の存在を知るひとはあまりいない。
大化の改新は701年の大宝律令あたりまで含めて行われた一連の改革を指すべきなようで、確かに、中大兄皇子が天智天皇になるまでの一連の行動はこれまた不可思議な話ばかり(特に、白村江の戦いあたりとか、今ひとつピントこない)。
聖徳太子はいなかったみたいな話と共に、この時代の話は興味が尽きない。
(2015年補筆)
ビッグコミックで「天智と天武」というとんでもないマンガが連載をしている。
なかなか魅入られる。壮絶な歴史だ。
日本の骨格はどこでできたのか?
奈良時代というのは一般的な話かもしれないけど、
日本の生活様式ということでは東山文化(室町)時代だろう。
2012年の大河ドラマは「平清盛」だそうで、それを見ると歴史の中心が「貴族」から「武士」に転換するようなそんなことを体験できるようだ。確かに、この時代には大きな転換点があるようで、日本史に「地方」という概念が生まれてきた頃なのかもしれない。
話はそれまくったけど、日本の歴史は面白いということで。
追記:
(2014年11月)
ビックコミックで「天智と天武」というすごい漫画が連載されている。
乙巳の変がどういうもので、中臣鎌足なる者が何者か、白村江の戦が何だったのか、大胆な歴史記述をしてくれている。天智天皇は良い人すごい人というような教育を受けた自分がなんか・・・。なるほど。天智天皇陵は随分と半端なところにある。天智天皇はそもそも不思議な亡くなり方をしている。壬申の乱、天武天皇以後の歴史も不思議だ。そもそも、大化の改新からなぜあれほどの期間、中大兄皇子は天皇に即位しなかったのか、他にも謎は沢山あるわけで。
オラドゥール
「オラドゥール」
この街のことを知ったのは「筑紫哲也のニュース23」というTBSのニュースショーでだった。特集のコーナーでパリ駐在をしていた記者が帰国にあたって、何か残したい、この話を紹介していた。多分、1997年頃だったと思う。当時テレビでは「虐殺」の理由は不明ということだったが、その後、事件に関する衝撃的な本を見つけた。フランス好きの人とか、フランスに詳しい人とかに訊いても、この「オラドゥール」の話知る人がいないのは本当に残念(こういう話に興味があってフランス語を勉強しているわけではないから仕方ないのだとは思うが)。
以前はほとんどウェブで見ることはなかったけど、最近では検索すると日本人の多くがあれこれ紹介している。
http://haikyo.crap.jp/s/1736.html
「イェドヴァブネ事件」
http://www.polinfojp.com/kansai/jedwabne.htm
これも、一時話題となった(NHKスペシャルか何かで包装していた気がする)。この話にはかなりショックを受けた。
もっとも(やっぱり)そういうこともあったのか・・・という気がしないでもないのが、人間の悲しい性である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%96%E3%83%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
日本は島国だから国境が変わることはそうそうない(実は、そんなこともなくて、国土は広がったり小さくなったりを繰り返している)。
アルザス地方は、第二次大戦でドイツが占領をし、アルザス人はドイツ兵として闘いを強要され、戦後はフランス領になって、戦犯としての裁判にあったという悲劇もある(死刑の判決はその後無罪になっいる筈だけど、実際、どのような悲劇が起きたのか、想像を超えることが起きたような気がしてならない)。ポーランドも似たような事情を抱えている国(1918年ベルサイユ条約により共和制国家を建国、1939年に独ソ不可侵条約により4カ国に占領される、1945年からは労働党の社会主義国家になる、このときにドイツ領を数百年ぶりにポーランドとして回復したりしていて、そのときの住人は逃亡したりあれこれあった筈)なわけだ。
「沖縄戦」
集団自決と住民虐殺、米兵による投降の呼びかけと・・・。
日系人
第二次世界大戦では、ハワイにいる日系人はとんでもない目に遭う。
ハワイの日系人の悲劇を描いた映画で「山河あり」という高峰秀子の映画がある
これはたまたま文芸座で見る機会があった。
名作というものではないとは思うけど、昔の映画は「メッセージ」が強い。ひきこまれる色々な要素がちりばめられている。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD19068/index.html
補筆:
高校の地理の先生だったと記憶しているが「パイナップル部隊」の話は聞いたことがある。
442連隊のことである。
「殺すな」ということしかことばが出ない。
陸軍登戸研究所
2011年2月20日に最後の公開がなされた旧陸軍の研究施設跡。
ここで行われていたことは「贋札製造」「とんでも兵器の研究」色々あったようだけど、その全貌は不明なようだ。今後もアカされることはないだろうけれど、明治大学はこの設備を今まで残していたってのは頑張ったんだと思う。実際、建物だけ残っていても仕方ないもので、贋札印刷機とか、とんでも研究が残っているワケでもないようだから。
http://homepage3.nifty.com/fwhj5337/9k-index.htm
とはいえ、生田校舎内に、陸軍登戸研究所登戸資料館があり、公開されている。
http://www.meiji.ac.jp/koho/pickup/2009/100323.html
補筆:
「陸軍登戸研究所なる長編ドキュメンタリー映画」をユーロスペースで観た。
覚えていることは
「ごめんはたらけ」という言葉と、
「日劇に張り巡らされた黒い遮蔽板は米軍の空襲により全部取り払われた」
ということくらいなんだけど、あっという間の4時間だった。
カイダ文字
日本最西端の島。
季刊InterCommunicationで「オキナワ」特集をやったときに俄然気になった島である。
「オキナワは日本なのか?」という謎から始まった。
つまり、なぜ、中国にはならなかったのか、
なぜ、日本語圏に入ったのか(琉球王朝の始まり前あたりからの歴史話である)
その歴史はなかなかすさまじいものがある。
簡単にまとめてしまうと「石器時代」から「鉄器時代」になることでどうやら「征服する征服される」という現象が発生するようである。
また、「海の民」と「山の民」は基本的に交わることがないようであるということである。
で、この与那国島では「カイダ文字」という独自の文字を1900年頃まで使っていたという事実があること。
その文字を読める人は2000年くらいまで生きていたということ、そのほかいろいろなことが分かった。
与那国島自体には「ムー大陸」と思わせる謎の「海底遺跡」もあるのだが、なんとそこにその「カイダ文字」が描かれているという疑惑がある。スキューバダイビングができるのなら行きたいものだ。
「与那国方言会話集」
「カイダ文字はトンパ文字に似ている」
「カイダ文字」の写真
カイダ文字とは
沖縄県大阪事務所のQA
こんな文字である。