ウィトゲンシュタイン
Théâtre des Annales(テアトル・ド・アナール)
『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行─およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならないという言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか?という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』
作・演出:谷賢一
谷賢一のThéâtre des Annales第二作
なかなか見事なものだった。
まさに、今考えていることがこの
「─およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない」
この言葉にはとても気になる。
とか、気になるわけだ。
今知ったが、ウィトゲンシュタインの映画もあるようだ。
ウィトゲンシュタインの逸話では、哲学はやめろ、肉体労働でかてを得なさいとアドバイスしたこと。
それを私は「缶詰工場で働け」というようなそんなことを言っていたと勘違いしていた。
谷賢一は見事な芝居を作り上げた。
今こそ、20世紀の哲学はさらわないといけないと気がつく2013年。
人
今年の流行は「人」とは何なのか?ということを多角的に問い直す機会なのかもしれない
NHKスペシャル
http://www.nhk.or.jp/special/onair/human.html
クロマニヨン人が人類として地球を征服している奇跡を改めて組み立てようとしている
第1回を見損ねたのが残念
しかし、NHKのネットにあがっている「スクープ」はすごいことになっている。
人類の進化≒脳の重量の増大という前提だったものが、
ジャワに1万5千年ほど昔の地層に脳400mlという「石器人」の存在が出現しているということ。
もともと「進化」=多様化であり、キリスト教的、人類が唯一の「神の作った生物」という仮説を覆す衝撃である。
ネアンデルタール人は人類とDNA的つながりは「ない」と思っていたものは今では「つながっている人もいる」ということも分かっている。
こんな話は下記の演劇とつながって興味が倍増しているここ数日である。
ヌード・マウス
http://www.nudemouse.jp/
人間が怖れという心を持たなくなったとしたら・・・記憶は忘れるのではなく、思い出せないのであって・・・
モーリー・スウィーニーは翻訳劇ではあったけど、谷賢一のこのテーマはシリーズ化されそうな予感。
この想像の先に人類の未来が描かれるような気がする。
青春漂流記
http://shika564.com/hyoryu/
夢をいつまで持ち続けるのか、夢をどのようにかなえるのか
寿歌
http://www.siscompany.com/03produce/36hogiuta/index.htm
いつかわからない未来、人類は核戦争であらかた滅びてしまったようで、そんな中、
旅する男・女のもとに姿を現したのは「神」なのか?キリストなのか?
その神は何も出来なかったのか?、いや、男を救ったのか?幻なのか?
終末の一歩前を描いた古典。私にとっては目新しい演劇。