神社仏閣

式年遷宮の儀

Wikipediaを見ていて気になるものを見つけた。

式年遷宮 遷御の儀
http://www.sengu.info/news/005-000217.html
天皇がその日程を決めるというのはすごい。

sengu

やはりWikipediaにとても詳しくその模様が記載されている。
しかし、謎の記載がある。

式年遷宮を行う途を選んだ理由(Wikipediaより)

  1. 過去の建築様式である弥生建築の保存のため。
    当時においても、過去の建築様式である弥生建築を保つことに何らかの意義を見出していたために、式年遷宮によって建築様式の保存を図ったのではないか。
  2. 神道の精神として、常に新たに清浄であること(「常若(とこわか)」)を求めたため。
    建物がいまだ使用可能の状態であっても、老朽化することは汚れ(ケガレ。気枯れ。)ることであり、神の生命力を衰えさせることとして忌み嫌われたため、建物を新しくすることにより神の生命力を蘇らせ、活性化することになると考えられたのではないか。
  3. 大嘗祭新嘗祭神嘗祭など、祭祀の意義が再構築されたため。
    毎年行われる天皇祭祀である新嘗祭に対して、天武天皇の時代に初めて行われた大嘗祭は、即位後初めて行われる新嘗祭であり、一世一度の行事として特別視された。これに対応して、毎年行われる
    神嘗祭に対して、20年に一度行われる大神嘗祭として、式年遷宮が行われるようになったのではないか。
  4. 皇宮の遷移に代えて、遷宮が行われたため。
    天皇の住まいであり政庁である皇宮は、天武天皇の治世以前には、天皇の代替わりごとに移し替えられていた。しかし、恒久的な宮である
    藤原京が建設されることとなり、宮の遷移が行われなくなったため、その意義を神宮の遷宮に託したのではないか。

ここにある1.の弥生建築の謎である。
記録によれば式年遷宮の一番古いものは
685年
14年
天武天皇
式年遷宮の制を制定(天武天皇)
ということのようで、その頃には「弥生建築」なるものがあったのか?
そもそも神道では「社」を立てる行為そのものは「仏教伝来以前」にはなかった筈であり、古墳時代も終わったその律令時代に果たして弥生建築なるもの、神道が仏教の影響を受けた中での建築様式に何か意味があったのか?という疑問がわいた。
なかなかその神道と仏教の関係を見つけるのが難しいが私がそんな風に考えているかというと「
ひろさちや」先生の本がきっかけだったような気がする(確固自信はない。本の名前とか諸々全く覚えていないし、多分、奈良に住んでいた2000年頃に読んだんだと思う程度の記憶)。
下記がインターネットでひっかかった。なるほど「神道」と「神社」を混同するといけないそれはなんとなく分かっていた。「古神道」とか「荒神信仰」とか「修験道」とか多様な信仰が日本には八百万に存在していて微妙に関係を持っているわけなので、あまり歴史を追いかけることは本質的な問題に迫れるものではないのかもしれない。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/4875/sinto.html
そんなことを考えていると「
大阪府立弥生文化博物館」なる存在を知った。粛正で無くならないうちに訪問しておきたい貴重な文化施設だ。そこにこの謎を解く何かがあるに違いないと確信している。

式年遷宮が20年ごとに行われる理由(Wikipediaより)
  1. 建物の「清浄さ」を保つ限度が、20年程度であるため。これは、耐用年数という意味ではなく、神道の宗教的な意味における「清浄さ」である。
  2. 建替えの技術の伝承を行うためには、当時の寿命や実働年数から考えて、20年間隔が適当とされたため。建築を実際に担う大工は、10歳代から20歳代で見習いと下働き、30歳代から40歳代で中堅から棟梁となり、50歳代以上は後見となる。このため、20年に一度の遷宮であれば、少なくとも2度は遷宮に携わることができ、2度の遷宮を経験すれば技術の伝承を行うことができる。
  3. 旧暦の「朔旦冬至(さくたんとうじ)」(11月1日冬至にあたること)が、19から20年に一度の周期(メトン周期)であるため。
  4. 一世代がおよそ20年であるため。
  5. 神嘗祭に供される穀物の保存年限が20年であるため。

日本の転換点

日本の歴史で大きな転換点というのがいくつかあるのであろうか?

日本が日本という国家の概念を持ったとき。
中国にならって中央集権的な国家として五畿七道を制定したとき。
などなど、歴史はどのようなときに「転換した」と思えるのだろうか。

そんな一時代の転換点というのは「鎌倉時代」にあったのかもしれない。
つまり、宗教というか、仏教がより多くの宗教として定着したときである。

欧米での宗教改革は「聖書の翻訳」「活版印刷」によりなし得たのだが、それによって、大航海時代へ宗教を布教するという大きな事業が誕生している。一方で、日本では「万人に通じる宗教」を目指し、比叡山から多くの傑出した宗教家を輩出している。そんな時代にやっぱりいたんだと感心したのが
興福寺貞慶の活動である。
さて、今の時代に、日本を救うのは「何」なのか?

旅・巡礼

旅の映画と言えばいくつもあるけど
「サンジャックへの道」


これは秀逸だ。

2012年夏に公開予定の「
星の旅人たち
http://www.hoshino-tabibito.com/
これまた気になる。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ
までの800kmを旅する話。
なんと、この映画には「マーティン・シーン」が出ている。マーティン・シーンというと、地獄の黙示録・・・。あれもある意味ロードムービー。

追記:
「星の旅人たち」
素晴らしい映画だった。


大鳥神社のネコ

練馬にある大鳥神社にはネコがいる
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どうやら、近所の八百屋さんに飼われているらしい。
向かいの美容院にもネコがいたはずなんだけど、最近みかけない。

大化の改新はなかった?!

持ち主、登場
で大化の改新が出てきた。

最近の歴史ってのはどんどん解釈が変わってきて、
「大化の改新はなかった」なんて話も出てきている。
なるほど、645年大化の改新(むしころされるたいかのかいしん)と習ったのはどうやら間違いなようだ。
談山神社はそんな大化の改新をしのぶのに最適な神社。「十三重の塔」の存在を知るひとはあまりいない。

大化の改新は701年の大宝律令あたりまで含めて行われた一連の改革を指すべきなようで、確かに、中大兄皇子が天智天皇になるまでの一連の行動はこれまた不可思議な話ばかり(特に、白村江の戦いあたりとか、今ひとつピントこない)。
聖徳太子はいなかったみたいな話と共に、この時代の話は興味が尽きない。
(2015年補筆)
ビッグコミックで「
天智と天武」というとんでもないマンガが連載をしている。
なかなか魅入られる。壮絶な歴史だ。

日本の骨格はどこでできたのか?
奈良時代というのは一般的な話かもしれないけど、
日本の生活様式ということでは東山文化(室町)時代だろう。
2012年の大河ドラマは「平清盛」だそうで、それを見ると歴史の中心が「貴族」から「武士」に転換するようなそんなことを体験できるようだ。確かに、この時代には大きな転換点があるようで、日本史に「地方」という概念が生まれてきた頃なのかもしれない。

話はそれまくったけど、日本の歴史は面白いということで。

追記:
(2014年11月)
ビックコミックで「天智と天武」というすごい漫画が連載されている。
乙巳の変がどういうもので、中臣鎌足なる者が何者か、白村江の戦が何だったのか、大胆な歴史記述をしてくれている。天智天皇は良い人すごい人というような教育を受けた自分がなんか・・・。なるほど。天智天皇陵は随分と半端なところにある。天智天皇はそもそも不思議な亡くなり方をしている。壬申の乱、天武天皇以後の歴史も不思議だ。そもそも、大化の改新からなぜあれほどの期間、中大兄皇子は天皇に即位しなかったのか、他にも謎は沢山あるわけで。

散歩

鳩森八幡神社
富士塚がある
http://www.flickr.com/photos/owada/sets/72157628793607319/
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六本木ヒルズへ向かう、六本木ヒルズから麻布十番に
http://www.flickr.com/photos/owada/sets/72157628793628251/
六本木ヒルズに行ったのは
歌川国芳展に行きたかったから。正確には猫に会いたかったので、谷中でも、青山墓地でもどこでも良かった。七福神巡りもいいなと思ったけど、なんとなく、そんな気分になれず、猫の駄洒落で53疋描いた絵(版画)があるはずなので、それを観に行った。正直後悔も大きくて、ゴヤ展も行かなきゃいけない中・・・。
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新江古田から自宅に帰る道
http://www.flickr.com/photos/owada/sets/72157628793637935/
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雑司ヶ谷のネコ

雑司ヶ谷七福神巡りで出会ったネコたちをflickerにアップした。
出会ったネコは
・お寺に紛れ込んだノラ
・お店の看板ネコ、箱入りネコ
・墓守ネコ、おねだりネコ
・お寺を庭にたむろするネコ
ちょうど、出かける前に見た「笑っていいとも増刊号」テレホンショッキングのゲストに北川景子が出ていて、飼っているネコの話をしていた。ネコは複数で飼っていると餌をやると全部食べてしまうそうだけど、1匹で飼っていると、餌は3日分分けてやると、3日分順番に食べるようになるそうだ。なるほど、ネコも環境に適合するものなのか?ネコの多さは人間の人口密度に比例するというのをきいたことがある。江古田・桜台近辺には案外ネコが多い。ヒトのように道を歩いているネコに遭遇することが結構よくある。で、雑司ヶ谷近辺も、沢山のネコに出会えた。ということは、この近辺、いい街なのかもしれない。
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雑司ヶ谷七福神

七福神巡りとは

七福神巡りをする上で助けてもらったサイトはもっぱらここ
全国の七福神巡りサイト
http://www.asahi-net.or.jp/~uy7m-ssk/

今年は、平成22年から始まった雑司ヶ谷七福神巡りに出かけた。
七福神巡りの困ったことは、松の内で終わってしまうところが案外多いようなこと。
1月10日頃だとご開帳していないようなところもあったり、色紙、御朱印をいただけないところもあったりするようなので、ちょっと注意が必要。
もっとも、通年でやっているところもあるので、思い立ったが吉日と、探して出かけてみるといいかもしれない。初心者には「
谷中七福神」(1月10日まで)「江ノ島・鎌倉七福神」なんかがお勧め。

話は戻って、
雑司ヶ谷七福神
思った以上に楽しい1時間を過ごせる。
開始はどこからでもいいのだけれど、色紙(500円)を売っているところは限られたところになっている。
そんなことも考えると「鬼子母神」から始めるのが良さそう。
このエリアは「ネコ」の多い街なようだ。
雑司ヶ谷霊園のネコは愛嬌たっぷりで嬉しくなってしまう。

撮った写真は
こちら