ゲゲゲの女房と本の文化

「ゲゲゲの女房」
という本が売れた、NHK朝の連続テレビ小説も大ヒットした。
さすがに、その2つは見る機会はなかった。
舞台があった。
http://www.tohostage.com/gegege/index.html
水野美紀が主演ということでついつい見てしまった。

いやはやすさまじい物語だった。
水木夫妻の苦労自慢とかそいういう話なのかと勝手に思っていたが、そんな簡単なことではなくて、
「紙芝居屋」→「貸本屋」→「出版」という変遷を奇跡的に切り抜けた人の話と、そこでのたれ死ぬ人の話で、当然ながら、その消えていく人の姿はあまりに「美しい」。この役を大和田獏、梅垣義明がやっていたが、迫力があった。気軽に見ているような芝居とは違った。
そこで気になったのが「貸本屋」なるものだった。

調べていたんだけど、やっと、そんなことを書いているページを見つけた。
http://kan-chan.stbbs.net/manga/kashihon/about.html

いわゆる書店に流通する仕組みと、
貸本屋として流通する仕組み、
その関係図がなんとなく描けそうなイメージがついた。

出版社が独占的な権利主張をどうして持つようになったのか、そこは調べ所だとにらんでいる。
現時点では、印刷会社が書店に進出したり、取り次ぎと連携したりというのは当たり前なわけだから、
新しい「出版文化」なるものをどのように作ったらいいのか、昔も今もそんなに変わらない筈である。

電子ブックの貸本、いまいちよくわからないけど
http://renta.papy.co.jp/

ソニーブックリーダーでも貸本だった記憶があるが
http://bookreader.jp/?p=293

電子ブック配信のためのプラットホーム
http://bp-ebook.jp/

貸本というビジネスについて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B8%E6%9C%AC
1984年の貸与権の存在はそれなりに意味があったようである。

ホムンクルス

ホムンクルスとは
PPPPの舞台「
ベルが鳴る前に」に登場したモノ。
錬金術のなした悪魔の発明の典型的なものなんだと思う。

で、そもそも、
錬金術とは何だったのか?
錬金術にはいくつかのポイントがあった(Wikipediaにもそう書いている)
ひとつが、16世紀の錬金術が17世紀の科学の進歩に貢献したという説もあるし、実際「化学」はこの錬金術の賜物のよるものも随分あるようだ。20世紀はどんな時代だったのかというと、この化学による時代といっても過言ではないのではないか?
19世紀は鉄の時代とも言えるほど、鉄を使った工業製品により技術進歩が進んだ時代なのだと思う。そんな時代を象徴するものとしてこの化学薬品というものは随分と科学技術の発展に影響を及ぼしたのではなかろうか。
とはいえ、そもそも、日本語では「錬金術」という見事な訳語があるが「alchemy」の語源は何のことかよくわからないそうだ、それほど昔から脈々と続いている「科学」のようだ。
なるほど、Wikipediaによると錬金術は中世のキリスト教以外の「巧」をごまかすための手段だったというのはなんとも分かりやすい考え方だ。実際、邪教と言われるものがこの錬金術によって「保護」されたということがあるようだ。



で、今知ったんだけど、
ニュートンが最後の錬金術師だったそうだ。
このニュートンの生涯はこれまたすごい、すさまじいものがある。
南海泡沫事件(
世界三大バブル)で大損をしていたり、造幣局長官になっていたり(金銀と金貨銀貨の価格比率の間違いから、英国を金本位制に移行させたというすごいことをやってしまっている。一方で日本は、1859年には金銀交換比率が国内は1:4.65、フランスでは1803年の鋳造法により1:15.5この違いで国内から金が大量流出して日本は金本位制度をとることはできなくなったとも言われている)。
ニュートンはその造幣局勤務時代には隠れて錬金術の研究をやっていたり、なかなかすごいことをやっている。人間として魅力あるかどうか、近くにいたら迷惑なような。




で、話はもどって、
21世紀のこの困難な時代に、
歴史を振り返ると、過去にも同じような場面に直面していることがわかる。
どうやってその危機を克服したのか、先送りにしたのか、重要なヒントがあるにちがいない。

今年の流行は「人」とは何なのか?ということを多角的に問い直す機会なのかもしれない

NHK
スペシャル
http://www.nhk.or.jp/special/onair/human.html
クロマニヨン人が人類として地球を征服している奇跡を改めて組み立てようとしている
第1回を見損ねたのが残念
しかし、NHKのネットにあがっている「スクープ」はすごいことになっている。
人類の進化≒脳の重量の増大という前提だったものが、
ジャワに1万5千年ほど昔の地層に脳400mlという「石器人」の存在が出現しているということ。
もともと「進化」=多様化であり、キリスト教的、人類が唯一の「神の作った生物」という仮説を覆す衝撃である。
ネアンデルタール人は人類とDNA的つながりは「ない」と思っていたものは今では「つながっている人もいる」ということも分かっている。
こんな話は下記の演劇とつながって興味が倍増しているここ数日である。

ヌード・マウス
http://www.nudemouse.jp/
人間が怖れという心を持たなくなったとしたら・・・記憶は忘れるのではなく、思い出せないのであって・・・
モーリー・スウィーニーは翻訳劇ではあったけど、谷賢一のこのテーマはシリーズ化されそうな予感。
この想像の先に人類の未来が描かれるような気がする。

青春漂流記
http://shika564.com/hyoryu/
夢をいつまで持ち続けるのか、夢をどのようにかなえるのか

寿歌
http://www.siscompany.com/03produce/36hogiuta/index.htm
いつかわからない未来、人類は核戦争であらかた滅びてしまったようで、そんな中、
旅する男・女のもとに姿を現したのは「神」なのか?キリストなのか?
その神は何も出来なかったのか?、いや、男を救ったのか?幻なのか?
終末の一歩前を描いた古典。私にとっては目新しい演劇。