天皇陵

文久山陵図

「文久山陵図」
今ある天皇陵はなんであのような形になったのか。
明治神宮とは「明治天皇の墓」だと勘違いしていた私は、
2002年に「桃山御陵」なる存在の意味を知って、その先立つときに、
1999年に「泉涌寺」の曼荼羅絵を見に行って、天皇の御寺、天皇陵が沢山ある「月輪の陵」を知った。

天智天皇陵が京阪電車沿線にあるとか、
継体天皇陵がある場所が
太田茶臼山古墳と治定されているけど、最近では「今城塚古墳」説が有力。
だけど、あまりその話は報道すらされない。でも行ってみるとかなり「すごい発掘」「修復」が終わっている。
仁徳天皇陵は行ってみると、
大仙陵古墳という名前だと知ったり、
橿原神宮に行ってみると妙に新しい感じがあって、神武天皇の神社って実は新しい。
神武天皇陵の話はこれまた明治時代にすごい話があったりする。
とか、
その謎を教えてくれるのがこの本。
ねつ造云々とかは
こちらを参照するといいかもしれない。

文久3の改修前・改修後が一目瞭然。
http://www4.plala.or.jp/bakumatsu/kyou/10/100162%20-sanryokenpaku.htm





文久山陵図

すごい本があるものだ。2005年刊行、今のうちに入手しておきたい一冊
ちなみに、日本の古書店では14000円で出ている。
(2013年に購入した。2017年時点で、49000円になっている)


気になる天皇陵

繼體天皇(継体天皇)
日本で一番不思議な天皇だ。これ以降、5代までが天皇を継ぐ資格みたいなことが不文律みたいなことになっているそうで、そもそもこの大王以前は実在したのか分からないという説もある。天皇の諡号はなかなか難解な経緯があるようだ諡号と追号の別があるとか)。そして、継体天皇陵の場所を宮内庁は「太田茶臼山古墳三島藍野陵と治定しているが、どうやら、実際の陵墓は今城塚古墳である可能性が非常に高いことが2012年時点では判明している。高槻市はそっと今城塚古墳を公園と資料館を作って公開している。これはなかなか見ごたえがある(なんていってもそんなでかい陵墓を公開しているのは今城塚古墳くらいだから)。もちろん、復元したもので、本当にそうだったかどうかは分からないわけだけど、多分間違いないのだろう。

実際、なんで天皇陵を間違えたのか・・・。
江戸時代に江戸幕府が高槻藩主に「天皇陵」の存在を確認したときに「ない」と回答したそうな。今城塚は名前にあるとおり、安土桃山時代には「城」があったみたいで、その後には大地震で古墳は崩壊してしまっていたそうだ。近年になって「修復」をした中で色々なことが判明したというのが真相なようだ。
実際、太田茶臼山古墳の埴輪・土偶は継体天皇の時期より100年ばかり前のものらしく、しかも、今城塚古墳・埴輪の配列にはかなり「摩訶不思議」な特徴がある。

埴輪が古墳の外側にあったこと
石室が3つ陵墓にあること
陵墓には「舞台」があること

では、太田茶臼山古墳は誰のものなのか?
資料館にある、仁徳天皇の兄弟にあたる、その人の陵墓ではないかという説を会場のボランティアの方が語ってくれた。

(ここに書いたことはほぼそのボランティアの方が語ってくれた話をまとめたもの。どうやら、近所の人がフラリと見に来たと思って声かけてくれたようなんだけど、意外な地域から、変なマニアが来たもんだと不思議に思ってくれたと思う)

納得である。
(もっとも、何代上なのか、どこで血縁となるかはおいておいて・・・、いずれにしてもしかるべき勢力を持った人であることは間違いなさそうだ。なるほど、仁徳天皇の時代であれば「大きな古墳」であることも納得だし、かの地にということとか、埴輪工場とか、諸々納得がいく)

この高槻なる地は「古墳時代の遺跡」が沢山あることで有名なんだそうだ。
今まで全く知らなかった。
今後はその「古墳時代の遺跡の町」として観光開発をするということだそうで。なかなか興味深いところである。


天智天皇陵

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https://www.flickr.com/photos/owada/sets/72157631499431172/

大化の改新はなかった?!

持ち主、登場
で大化の改新が出てきた。

最近の歴史ってのはどんどん解釈が変わってきて、
「大化の改新はなかった」なんて話も出てきている。
なるほど、645年大化の改新(むしころされるたいかのかいしん)と習ったのはどうやら間違いなようだ。
談山神社はそんな大化の改新をしのぶのに最適な神社。「十三重の塔」の存在を知るひとはあまりいない。

大化の改新は701年の大宝律令あたりまで含めて行われた一連の改革を指すべきなようで、確かに、中大兄皇子が天智天皇になるまでの一連の行動はこれまた不可思議な話ばかり(特に、白村江の戦いあたりとか、今ひとつピントこない)。
聖徳太子はいなかったみたいな話と共に、この時代の話は興味が尽きない。
(2015年補筆)
ビッグコミックで「
天智と天武」というとんでもないマンガが連載をしている。
なかなか魅入られる。壮絶な歴史だ。

日本の骨格はどこでできたのか?
奈良時代というのは一般的な話かもしれないけど、
日本の生活様式ということでは東山文化(室町)時代だろう。
2012年の大河ドラマは「平清盛」だそうで、それを見ると歴史の中心が「貴族」から「武士」に転換するようなそんなことを体験できるようだ。確かに、この時代には大きな転換点があるようで、日本史に「地方」という概念が生まれてきた頃なのかもしれない。

話はそれまくったけど、日本の歴史は面白いということで。

追記:
(2014年11月)
ビックコミックで「天智と天武」というすごい漫画が連載されている。
乙巳の変がどういうもので、中臣鎌足なる者が何者か、白村江の戦が何だったのか、大胆な歴史記述をしてくれている。天智天皇は良い人すごい人というような教育を受けた自分がなんか・・・。なるほど。天智天皇陵は随分と半端なところにある。天智天皇はそもそも不思議な亡くなり方をしている。壬申の乱、天武天皇以後の歴史も不思議だ。そもそも、大化の改新からなぜあれほどの期間、中大兄皇子は天皇に即位しなかったのか、他にも謎は沢山あるわけで。