ブルックナーの宇宙と打楽器ピアノ


ブルックナーのオルガンの和声がなるほど金管楽器に化けたのか・・・。
オルガン版はピアノ版と違ってなんとも、こんなにマッチするとは。
そりゃ、打楽器の出番があまりないってのももっともだ。
指揮者が演奏不可能と断ったのもわからないでもない。
オルガンで演奏して聞かせたら「!!」となったのではないのだろうか?
(いや、オルガンは押していると音が出続けるけど、人間は体力の限界があるから、やっぱり無理)

ブルックナーの変なところというと、
ひょっとすると「バッハ」なんかもそうなのかもしれないけど、
(バッハは速度記号がないから、演奏速度は違うし、楽器も違ったから現代とは随分違う音だったハズ)
同じ「曲」のハズなのに、同じ演奏をしていない、
そのことの究極の姿かもしれなく。
原典版・改訂版
ハース版・ノヴァーク版
改竄板・校訂版
順列組み合わせに加えて、金環を「倍管する」やら、バリエーションの多さこの上ない。


ブルックナー7番のピアノ版
なんか違和感がありありだ。
やっぱり打楽器は向いていないようだ。

なんと、マーラーの「復活」
の4手版なんてのもある。


古くはリストがベートーヴェンの交響曲をピアノ版に編曲している



ずいぶんとあるもんで、
ムソルグスキーの展覧会の絵をラヴェルが編曲したのはなるほど・・・。
今になって分かることも沢山ある。
「ピアノの方がいい、なんて簡単なことを言っていてはいけない」

ヴェートーヴェン交響曲リスト編曲全集なんていう奇特なものもある。意外と廉価だ。

1bitオーディオ

音楽を聴いている人生で一大変革期が訪れた。
それが1bitオーディオシステムだ。

LP
レコードからCDに移行したのは1988年。
多分85年くらいからCDは一般的になってきたんだろうけど、どうしても聴く気になれなかった。理由はあたりまえのことで、音が悪かった。耳がいいとは思わないけど、その程度の違いはわかって、そんなことなら「コンサートホール」で聴いてそれを思い出した方がいい。というのが当時の流れ。
さすがに社会人になって限界が出てきてCDをそろりそろりと買い始めた。
結局、家で使っていたアンプとスピーカーはBOSE101MMとその専用アンプ。





普通のもので聴いていた。

実は、いまだに自宅にあるアンプとスピーカーはBOSE101MMのコンビ。
それを使ってCDを聴く機会はめっきり減った。

6
月に
http://www.korg.co.jp/Product/Audio/DS-DAC-10/
なるものの存在を知った。
1
ヶ月悩んだあげくに買った。
世界が変わった。

1bit
オーディオでCDをアップコンバートすることだけでここまで音が変わることに驚愕。
今やっている「最大の関心事」は今まで勝ったCDを聞き直すことになってしまった。

ちなみに、クラシックしかまだ聴いていないのだけれど、
これに惚れない人とは多分今後音楽の話はすることはない。
意味がない。

DSD
で録音された音楽をDSDで聴く
SACDCDを買って聴くでもいいんだけど)
そんな贅沢をできるようになりたいと思った2013年の7月の一大事件。




なんといっても45000円で実現できるのだから。
すごすぎる。

ついでに、これを持ち歩く環境すらあるのが驚異。


ヘッドホンはそれなりに選ぶようだけど普通にいいもので充分。


どうしてもみつからないので、Amazonで注文して聴いたのが朝比奈が1975年にリンツ聖フローリアン教会で演奏したブルックナー7番。不思議とあの奇跡の鐘の音は消えているのだけれど、すごい。弦楽器がこんなに繊細だとは知らなかった。

1bitオーディオ

なんと、真空管アンプのポータブル版という矛盾したというか、なんというか。
移動時に真空管は破裂しないのか不安でならない。


一方、1bitオーディオもすごいことになっている。
SACDを聞く機会がないまま今日に至ったけど、
この録音技術と再生技術は音の概念を変えることは間違いない。
(MP3で満足している人には関係ない話)

9の呪い

ベートーベンが交響曲10番を作れなかったということがあって、
ベートーベン以上の作曲家は登場しない=10番の交響曲は書けない。
という逸話がある。
実際、ドボルザークは昔「新世界より」はドボコン(9番)と言われていた。
シューベルトも昔は未完成が9番と言われていた。
マーラーは9番を書くのが怖くて、8番の次に「大地の歌」という番外を作っている。で、安心して9番を作って、10番作りかけているところで亡くなっている。
ブルックナーも9番で力尽きている。
そして、ブルックナー9番はあまりに壮大なシンフォニーであるが、他の1〜8と異なるのは「改訂版はない」ということも特徴であり、第4楽章があるものは聴いたことがない。



しかし、第4楽章がついているCDというのは散見される。
朝比奈隆はブルックナー(代)
番は難しいと演奏会プログラムにコメントしていたのを記憶している。確かに、3楽章で終わってしまう中途半端感はかなりバランスの悪さを感じる。
7番は、見事なまでにアダージョ楽章(第二楽章)から立ち直る様に、エネルギーがみなぎってくる感じが「いい」。
8番は、緩徐楽章からフィナーレに向けてのカタルシス感がなんとも爽快だ。
9番は、3つの楽章の絶妙なバランスで消えゆく3楽章・・・。名演奏に出会ったことはないけど、なんかいい感じ。
もっとも、これから第4楽章をどうするんだ?という感じもしないでもない。ブルックナー第8番が第3楽章で終わってしまったらたまらない「中途半端感」があるのは間違いない。なんで9番はそれを許すのか、確かに不思議な気分にはなる。

で、実際「9」という数字には何やら魔力が、呪いがあるんのろうか?
興味は尽きない。

補筆:
ブルックナーの9番には「改訂版」はないが「ノヴァーク版」「原典版」などの違いはあるようでその差は殆どないようではあるが