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ウィトゲンシュタイン
Théâtre des Annales(テアトル・ド・アナール)
『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行─およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならないという言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか?という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』
作・演出:谷賢一
谷賢一のThéâtre des Annales第二作
なかなか見事なものだった。
まさに、今考えていることがこの
「─およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない」
この言葉にはとても気になる。
とか、気になるわけだ。
今知ったが、ウィトゲンシュタインの映画もあるようだ。
ウィトゲンシュタインの逸話では、哲学はやめろ、肉体労働でかてを得なさいとアドバイスしたこと。
それを私は「缶詰工場で働け」というようなそんなことを言っていたと勘違いしていた。
谷賢一は見事な芝居を作り上げた。
今こそ、20世紀の哲学はさらわないといけないと気がつく2013年。
ウィトゲンシュタイン
わからない理由の一つは「倫理・社会」なる授業を高校で受けなかったからなのか、そもそもわからないのか、
大学の一般教養で「ベルクソン」の哲学の授業があった・・・周りの食いつきに対して、全くなんのことか理解ができなかった。かなりショックだった記憶がある。ま、おかげで経済学なるものを学ぶ覚悟ができたということでもある。
以来、92年にICCの設立準備作業で浅田彰などの言説に触れるようになって、徐々にその世界が見えてきた気分である
そんな中で、どこかで聴いた断片的な話。
「あれこれ考えるより、工場で働け」みたいな。
以来、「缶詰工場で働け」=「ヴィトゲンシュタイン」という関連づけが脳内にできてしまった。
なんでそうなったのか。理由をさがすこと5年・・・という感じで、年に何回か検索するも理由はわからなかった。が、ついに見つけた。これだった。
http://www10.plala.or.jp/kumaoka/game05.htm
一九四一年一〇月一一日
今日、フランシス・スキナーが亡くなった。
ポリオだった。
彼と私は親友以上の関係だった。
スキナーとは、あるときは真剣に語り合い、あるときは真摯に議論した。
スキナーは私の心酔者と言ってもよかった。
彼は数学者として将来を嘱望されていた。しかし、私が人間は身体を動かして生活の糧を得た方がいいと話すと、彼はその影響を受けてしまい、工場へ就職してしまったのだった。
そんな彼を、私はどれほどいとおしく思っただろう。
だが、その思いもこの二年間は、急速に冷めていった。ケンブリッジへの就職、ウィーンの家族の問題などで忙しかったせいもある。
スキナーは、そんな私をなじることもなくせっせと手紙をよこし続けた。私はそれらに満足に答えることなく過ごし、そして彼の死を迎えたのだ。
哲学に専念しようとすればするほど、それを結果的に妨害する出来事が起こってくるのはなぜだろう?
すべては、私自身の問題なのだろうか?
スキナーの死の悲しみに沈みながら、眠りについた夜、夢を見た。
あの夢だ……。
この話だったんだというのをやっと見つけた。
もともと、缶詰工場だかなんだか全く記憶にないんだけど、
ーーここから下はpostdictionであり、完全に私の脳内の改ざんされた記憶の筈である。どこまでが正しい記憶か全く自信がない。ーーー
確か、ピアニストのワイセンベルクは、10年間の沈黙の時があって、その10年間には、炭坑夫をやっていたというような話を聞いたことを思い出した。これもこの、ウィトゲンシュタインと缶詰工場の話につながるネタなんだと思う。
確か、ワイセンベルクは一世風靡したピアニストなんだけど「冷たい」演奏だったか何かで、その姿勢に自ら疑念を持って、演奏活動を休止したというような話だったような気がする。復活コンサートでは、ミスタッチが激しく、演奏途中で客席に会釈をした上で、再度演奏をやりなおした・・・という話があったような気がする。