100年の秘密
http://www.cubeinc.co.jp/stage/info/nylon38th.html
こんな名作だったっけ。
初回も観た筈なんだけど、こんな名作を覚えていないなんて(^_^)
役者の腕が上がったんだろう、っていうことにしておく。
で、実は何気に100年を語る上で、廣川三憲、松永玲子はすごい役をこなしている。
下北のすけえん
鎌塚氏、腹におさめる
第一弾・第三弾が「ともさかりえ」
第二弾が「満島ひかり」
二階堂ふみかぁと思ったが映画「SCOOP」でいいヒロイン役を演じていて、
満島ひかりは「少女A」、二階堂ふみは「リンゴ殺人事件」
そして、大堀こういちのギター・・・。
満足いく2時間5分だった。
キャスティングに外れはない。
お見事!!
腹におさめるものは「〇〇〇」のことなんだろう。
http://mo-plays.com/kama4/
磁場
なんとなく、竹中直人には、今一つの印象がある。
が、これは良かった。
倉持裕の脚本もほぼ、外れない。
(たまに外れたことはある)
http://mo-plays.com/jiba/
何かあったな・・・
と思ったのが、
わかった。
「砂の女」
だ
まさに、あの蟻地獄のような・・・。
そう、それをここでは「磁場」と呼んでいた。
最後のシーンのすごさに「!!」となった。
はたらくおとこ
阿佐ヶ谷スパイダース
初めてみたのは「桜飛沫」だったと思う
水野美紀と真木よう子が出ていた時代劇。
まだ「激しかった頃」の長塚圭史
10年ぶりの再演とのこと
見ている人の多くは「10年」という月日で変わった。
演劇の持っている怖さを超えた恐怖と向き合っている。
今、私たちが求めている演劇とは「笑い」「救い」であるのかもしれない。
時代を超えた演劇もある一方で、見る側を選ぶ、見る側の心の問題を整理してから臨む必要のある、
そういうテーマがあることを知った。
とはいえ、
「許す」
この一言のための2時間20分
「いい火加減だ」に次ぐ名作だ
そして、
トラックの突っ込むシーン、そして、タイムスリップ、
・
・
・
来てけつかるべき新世界
ヒトラー、最後の20000年〜ほとんど、何もない〜
とんでもない芝居
2011年に「奥様お尻をどうぞ」
http://www.cubeinc.co.jp/stage/info/kera-furuta11.html
以来・・・
2011年というと、やっぱりとんでもない事件があった年だ。
「ヒトラーの虐殺事件」
がテーマになっている「コント」ななろうけれど、
目前で凄惨な出来事が起きている。
「T4作戦」を連想させるような・・・
チャップリンの「殺人狂時代」
チャップリンの映画制作姿勢
成海璃子の性癖
入江雅人の生き様・・・
もう、色々なことが交錯して、
「ちょっとだけあるメッセージ」は取りこぼしてしまいそうな自分との戦いだった。
で、
成海璃子を舞台で見られたらそれで満足。
消失
初演は10年ほど前だということに驚いた。
時代(現実)が脚本に近づいている。
もちろん、脚本は狂気の沙汰なワケで。
ちょっと立ち直れないほどの衝撃を受ける「名作」だ。
ただ、この芝居が「熱海殺人事件」みたいに10回も20回も上演されることはないのはわかる。
遊星ブンボーグの接近
http://www.europe-kikaku.com/projects/e34/
ヨーロッパ企画の存在を知ったのは、
映画「サマータイムマシンブルース」だったと思う。
そこで知ったのは「くどい」ムロツヨシと
なんかサークルの乗りの面白いコントだということだったのか・・・。
上野樹里の脇で真木よう子が出ていたのは後になって「思い出した」
観に行くようになったのはここからだった。
イノッチ(ジャニーズ)とのタイアップ企画
永野宗典不条理劇場(2回)
muro式(ムロツヨシが実は、劇団員ではないと知ったのはmuro式.2以降)
muro式1は、清原の一軍の打席を見に大阪ドームに行ってしまった。
あんなに優しかったゴーレム | 2008年 |
ランドスライドワールド
今までのメンバーで、今までの演出、今までの原作、音楽も・・・。
開演前に流れていた音楽は「有名映画音楽」のサントラ盤とちょっと違う感じのバージョン。
例によって舞台には「ラッパ」「トロンボーン」「サキソホーン」「パーカッション」「歌」はチョビが演出だけになったから減った印象がある(けど、実は歌っているシーンそれなりにあったと思う)。
見ている間に38度を超す熱が出ていた・・・(インフルエンザだった)ので、印象の悪いのはそのせいだとは思うけど、復活公演なら「新しさ」をいれてくれないと誰も満足しないのではないのか?今までの「熱い」舞台はよかったけど、復活公演でそれまでと同じ路線のままであることはちょっと残念でならない。
1年間の充電っていうのはそれだけの成果を求められているのだ。
構成が「ベルゼブブ兄弟」(2009年2月にREDシアターで見た)に似ていたからってこともある、というか、原作なんだ・・・。
社長吸血記
大きい芝居を作れる人は日本には「野田秀樹」「中屋敷法仁」しかいないのかと思っていたが(あ、前川知大もいた)、
ケラリーノ・サンドロヴィッチがナイロン100℃「2年ぶりの新作」
見事すぎた。
(欧米の翻訳劇がすごいなと思うのは、そういう「大きなこと」をテーマにできることで関心を持つようになった)
一人二役があったり、何人かで一役を演じたり、
事業者と創業者と管理職と経営者とケツ持ちと・・・。
男と女と、西と東。
被害者と分かっていて寄り添う人。闘う人。
ダマしているのか、何かを与えているのか、やるせない麻痺していく従業員。
今年の最高傑作になりそうな予感。
「おい、キミ失格!」「ビルのゲーツ」に並ぶ現代風刺激の大作。
妹役の鈴木杏と警備員さん喜安浩平が大事なところを持って行った。
山内圭哉も久しぶりに見た。頑張った。
ビルのゲーツ
体力勝負の芝居
200階まで上りきる。
頭脳・体力・時の運・ときには力ずく・手段を選ばず
まさに「反復とズレ」の極地。
ヨーロッパ企画の最高傑作かもしれない。
相変わらず「エチュード方式」で仕上げてきたようだ。
が、そうは見えない「一体感あふれた」完成度の高い作品。
栗東公演バージョンと東京公演バージョンの違いは「BGM」
どうやら東京バージョンはかなり「向上」したようで、
栗東バージョンの音はちょっとゲームっぽさが全面に出て違うものになってしまっていたようだ。
この写真は全然作品とイメージが違う。
http://www.europe-kikaku.com/e33/
http://www.europe-kikaku.com/projects/e33/
エンディングは本当に見事で、
最後に全員が登場したところから、
スライドに、
そして、エンディング・・・。
見事だった。
終わってから「あ、終わったんだ」と気がつく。
それでいた十分に不条理感はない(ありありだけど)。
で、あれは「夕陽」なのか「朝日」なのか。
激闘の後であるなら、サラリーマンなら「朝日」であって欲しい。
いや、そうあるべきだ(オマケトークで夕陽って語っていた)
鎌塚氏振り下ろす
鎌塚氏シリーズ第三弾
まるでインディ・ジョーンズシリーズのようだ。
ついに「親(ベンガル)」も出てくるし。
見事なコメディ
しかし、このコメディ示唆するものがあまりに重くて。
そろそろPPPP復活してほしいと思ったら、チラシに入っていた。
http://mo-plays.com/kama3/
建て増しに次ぐ建て増しポルカ
http://www.europe-kikaku.com/projects/e32/main.html
ポスターと実際の芝居はかなりイメージがちがう。
その理由は「エチュード方式」で芝居を固めていくためということがおまけトークで語られた。
貴族顔の人が少ないこと、
役者のコンビ(芝居相手)が案外固定的であることも教えてくれた。
90分という短めの芝居である理由も教えてくれた。
次回は2時間の大作となる予告もしてくれた。
昨年、本谷有希子の「遭難」で女教師役をやった菅原永二が貴族役というのもなんとなく納得できた。
わが闇
2007年に観た(はず)の芝居の再演
多分、出演者は全く同じ。
脚本もほぼ同じ。
セットもほぼ同じ。
出演者・演出者が6才、歳としとった。
そんなことなのか。
http://www.cubeinc.co.jp/stage/info/nylon40th.html
なんといっても昔、坂井真紀目当てで行ったわけだけど、
この芝居を見て以来「演劇」にはまったのは間違いない。
つまり、女優目当てから芝居目当てに・・・。
今回やっぱり、三宅弘城、三好未完役が圧倒していたのは、
鎌塚氏シリーズのなせる技なんだと思う。
あんなにどなりまくる芝居だとは記憶していなかったけど、
前から2列目だと流石にすごい。
月とスイートスポット
ヨーロッパ企画第31回公演
「月とスイートスポット」
ヨーロッパ企画テイストと北野武映画(アウトレイジII)が一緒になったような、
望月綾乃がとてもいい。
http://www.europe-kikaku.com/projects/e31/main.htm
鎌塚氏、すくいあげる
舞台は船上にとかわっていた。
三宅弘城はそのまま
タマキング、広岡由里子は前回同様の登場となっていて、
ちょっとしたシリーズ化を狙ったものなのかもしれない。
見ていて、タイタニックとローマの休日と・・・。
いや、それは悪い意味ではなくて、ちょっと心地いいまでの物語になっていた。
そして、六角精児の器用さというか、くせ者ブリも発揮されて楽しい130分だった。
昨年、「鎌塚氏放り投げる」というシリーズ第一弾があった。
なんといっても、見所は「ともさかりえ」のメイド服姿。
これだけメイド服の似合う女優もいないのではないか?
というか、メイド服の「絵」のイメージはなんとなくともさかりえっぽい感じである。
今回の「満島ひかり」
私はあまり興味のない女優だった。
去年の今頃やっていたテレビドラマでなんとも暗い訳をやっていて、そのイメージのまま本多劇場に出かけることとなってしまった。
途中で、
満島ひかりが豹変するシーンがいくつかある。
その変幻ぶりに魅惑されてしまった。
特に、ティアラをかぶったシーン、髪をくしゃくしゃにしてソファに座るシーン、ラウンジでマイクを前にするシーン、物置から出てくるシーン、ミコノス島に上陸するシーンに惚れた。
この分だと、この鎌塚氏のシリーズはあと5話くらいできるのでは・・・いや、三宅弘城は、メイド服の似合う女優とライフワークのようにこの芝居を続けてくれるのではないか?という期待感で一杯である。
と思うと、そんな質問が知恵袋にあった。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1120698261
第三弾が楽しみで仕方ない。
綾瀬はるか
夏帆
及川奈央
あたりでお願いしたい。
満島ひかりが「ローマの休日」のアン王女(では全然ないんだけど)だんだん、そんな風に見えてきてとても満足。舞台挨拶で「あ、満島ひかり」と再認識してちょっとがっかりするような。でも、とても綺麗に、そして、中森明菜の唄がよかった。思わず拍手をしてしまった。
100年の秘密
休憩時間を入れて3時間25分の対策。
基本的にケラさんの作品は長時間になるわけだけど、やっぱりこれも長かった。
この芝居の驚いたところは3つ。
その1
世界初なんではないか?(いや、あるんだろうな、きっと)
舞台セットを工夫して「居間」と「前庭」の2つが1つの舞台上に同居している。
メリットは暗転なく演じることができること、2カ所の出来事を同事に表現できること。デメリットは客がぼんやりしているとどこの話か分からなくなる危険性があること。実際にはその話題展開がどこなのかは「照明」「立ち位置」「大道具」の工夫で戸惑うことはなく、しかも「メイドさんの記憶」をベースに物語りを進めるということになっているので、人間の記憶の実際はこんな感じなんだろうということを実感する。
実際自分も歳をとってきて、この記憶の混同感、つじつまのおかしさというのにはとても共感を持ってしまっている。
その2
ということで、その100年をどのように表現するのか、時計の針は進んだり、戻ったり、実際人間の記憶の多くは「時系列」が都合がいい。が、何かを思い出して語る場合に必ずしも時系列の通りだとは限らなくて、概ね時系列、ときどき前後する。この断片化した物語にはなんとも素晴らしい。
その3
多分、「100年の孤独」をフィーチャリングしたんだとは思うけど、観終わって思い出したのは「1900年」だった。いや、いい舞台ってのは一本そびえ立っているとは限らなくて、いくつもの物語が糸のように紡がれているうちの一本をそっとのぞき見するそんな感じになるのかもしれない。
「すごいな」
というのが観ているときに思った感想
「案外小さい話だな」
と思ったのが終わって呑み屋に座ったときの感想
「語るに難しい壮大な話だな」
というのがことばにしようとしたときの感想
で、一晩だって、まだよくわからないところがあります。
(全編観れば、わからなくていいところを除いて、理解できないことは何もない)
いえ、舞台セット、物語の時計が進んだり戻ったり、その辺にかくも見事な仕組みがあることに感動。そして、純愛(ってことでいいんでしょうね)、すれ違いの恋、いわゆる「病気」とでもいったらいいのか性癖、この辺が見事に表現されていて、それがどういうことなんだろう、100年の秘密は「悲劇」なのか、人生とはそういうものなのか、なんてことをフと我が事と照らし合わせてわからなくなってしまっています。死ぬ時に分かることなんだとは思うのですが。いや、そこでもわからないのか、すると永遠の謎になってしまうなぁとも。
あと、長塚圭史の芝居で、出演者が舞台袖(見えるところ)に椅子を置いて、出番でないときに、そこで演劇を観ているという不思議な演出があった。今回の「メイド」が物語を見守る様をみて、なんとなくその「必然性」なるものが見えてきた。
5月19日、中央線が工事のため国分寺から吉祥寺までドキドキしながら移動した。武蔵小金井ー東小金井が折り返し運転になっていて、想定しない駅で大量の乗客が乗降した。なるほど、ターミナルってのはそういう乗降のための「システム」がしっかりしているということなんだ。「慣れ」というものも含めて。
下北沢に異常に若者が多いのも気になった。何かお祭りでもあったのだろうか?
ベルが鳴る前に
「ベルが鳴る前に」
作・演出:倉持裕
出演:小林高鹿、ぼくもとさきこ、玉置孝匡、近藤フク、吉川純広、奥菜恵 ほか
今までみたPPPPの芝居で一番登場人数が多い芝居だ。(客演だけど)やっぱり、奥菜恵はいい。とてもいい。今回の芝居は一人(タマキング)以外は、一人二役だったようで(大体正しいと思うんだけど自信はない)、そのどちらの役も「華」があってよかった。奥菜恵芝居は、阿佐ヶ谷スパイダースで見たのだけれど、それも抜群だった。役者ってのはいい演技ができればそれでいいんだって思った瞬間だった。ベニサンピット最後の講演でなんかそれもあいまったということもあるのかもしれない。
基本、芝居は役者がよければそれでいいんだけど、この芝居、シナリオもなかなか見事な作りで、乱暴に言うと「ゴドーを待ちながら」「走れめろす」「渚にて」「ノアの方舟」とか、いろいろな話がSFと神話とがあいまってできあがっているようで「イロアセル」と似た匂いがあった。
「ホムンクルス(錬金術)」vs「科学技術」、「知らないことの幸運」vs「知っていた上での間に合わない」「自分の目標のために邁進」vs「困っている人を助けながら生きていく」、「選ばれた人」vs「全ての人を」、あたりが、この芝居の構成要因かと思う。で、いつ来るかわからないその日のために「万端の準備をしておく」「全力でやりきること」が・・・。もっとも、見事なオチがあって、帰りの電車では、後ろの男性が「あれはないだろう」と言っていたのも半分賛成・半分苦笑という感じ。
舞台セットには「ロベルトの操縦」同様、主題が真ん中にあって・・・。この舞台転換には痺れた。そして、そのスピード感を出すために「街灯」を動かす様が見事だった。そして、タマキングが最後置き去りにされるところに妙技があった。なかなかいい大道具さんがいるもんだ。
いつあるかわからないことのために「指名されて待機」するという狂気。生き残るための2つの行動と、それを取り巻く2つのリアクション。この辺はいい加減に描いていることにも好感が持てた。