プレイヤー
遠野物語・奇ッ怪其ノ参
仲村トオルの芝居は何本みただろうか、
ひょっとすると一番見ている役者かもしれない。
(いや、水野美紀の方が多分多い・・・)
遠野物語を初めて読んだのはいつだったか・・・。中学校だか、高校だか・・・。
高校1年のときに、写真部合宿で遠野に行った。
それから何年後か定かではないけど、もう1回、遠野に行った。
いずれにしても「遠野物語」を読んだ衝撃を超えるものはなかったような気がする。
が、実は、衝撃を受けたのは「山の人生」だったのかもしれない。
・・・
電話で「もしもし」
と会話が始まる理由は、
「申す」と「たそがれどき」に「妖怪」が後ろから声をかけてくる。
振り返ると殺されてしまう。だから、申すと言うのには「振り返らないで」一心不乱に逃げること。
人間なら「申す、申す」と言える。
それなら振り返っていい。
というのを、いつだったか読んだ記憶があった。
・・・
時が過ぎて、電話の会社に勤めることになってびっくりしたことがあった。
業務用電話で「もっしー」と言う符丁がある。
(その場合には同業者でアルということのようで)
え、その会社の人は「妖怪なのか・・・」と驚いたものだった。
そんな話が、検索で出てくるようになったのは21世紀になってから。
・・・
伝説
物語
事件
個人の経験
・・・
どうするのか。
やはり、ものがたりを語れるようになるべき、そんな時代なんでしょう。
グッドバイ
タバコを吸う2人の男、なにやら意味ありそうな。
兄弟がなにやらゆるキャラと交わるネタ。
コインランドリーの2人の男のトピック。
上品にまとまった宅間孝行と言ってはどちらにも失礼なんだろうけど、
自分の劇団員ではなくて、この間を演じられるのは見事。
というか、常連さんで固めているのだからある意味当然か。
太宰はどこまで書いたんだろう。
なにより驚いたのは「舞台」の出し引きの黒子さんの素早さ。
2週続けて世田谷パグリックシアターというのも初めてなら、
先週は1列目・今週は2列目
どちらもほぼ中央席で、
水野美紀・夏帆をじっくり鑑賞できたことに感謝。
喪服・法事があんなに舞台映えするってのは今更ながらにしみじみと。
途中休憩を挟んでの2部構成。
でも、第一部と第二部は休憩後にやってきたという怪奇もあった。
終わったら、先週につづき「テケテケ」に。
これで観劇後にテケテケが3回続いた。
王子様々だ。
夕空ははれて〜よくかきくうきゃく〜
新作を見ることができなかったのは残念。
しかし、この人の不条理劇のすごさは感心した。
ここまで不条理だと時代を超えて不条理でありつづけられる。
いや、やっぱり現実の方が脚本を越えた感は強い。
しかし、仲村トオルはいつからこんないい役者になったんだろう。
(舞台で見る限り確実に「イケメン俳優」改め「怪優」の域に達している)
奥菜恵はやっぱりすごい。緒川たまきは私にとっては視野の外の人なのでノーコメント。
で、この芝居が私にとっての最後の「青山円形劇場」となる。
またこんな劇場が復活して欲しいと祈るのみだ。
ハンドダウンキッチン
http://www.parco-play.com/web/play/hand-down-kitchen/
蓬莱竜太の作品は
「Love30」(2006年)、水野美紀、東風真智子、なんかが出ていた回の「You+生瀬勝久」で観ていた。なんか、縁がなかったみたいだ。
登場している役者は
江守徹・・・・・流石の役者だ、いい味ってのはこれなんだろう。
仲村トオル・・・「奇っ怪」で凄いと思った。「黴菌」でもいい感じだった。
基本ああいう役者なんだってことは分かってきた
千葉哲也・・・・新感線とかでよく名前を観るけど、素顔を観たのは初めて?
「寿歌」の演出をそういえばやっていた。
中村倫也・・・・「ロッキー・ホラー・ショー」「muro式4『xyz』」
で観ていた。そういえば、muro式のアフタートークで呑みに誘っても
来てくれないってムロツヨシに暴露されていた
柄本佑・・・・・多分観たのは初めて。時生の方が見た目のインパクトがある。
You・・・・・・「シティボーイズ・ミックス」に出ていたのを思い出した。
佐藤めぐみ・・・今回、このチケットを買った理由は彼女を舞台で観たかったから。
「料理のできない料理人 」
なんといっても、換気扇が回らない・・・空気がなにやらよどんでいるそこに色々な秘密があることが想像つく。この換気扇はいつ回るのか、そこが、そこだけが気になってしまった。換気扇にスポットライトを当ててというので思い出すのは「越後妻有トリエンナーレ」のボルタンスキーの「最後の学校」である(舞台じゃなくて美術作品だけど)。
物語の展開で、外から人が来てなにやら歯車が狂い始める・・・というのはなんとも倉持裕っぽい感じもするけど、違いはその歯車が内部崩壊をきたすようなことはなくて、もう一人の外からの客人(佐藤めぐみ)がその中で和んでしまう感じで、緊張と緩和がうまいこと機能している。
変な人の登場と、その人によって舞台転換があるというのは、シェークスピア以来の伝統なんだと思うけど、今では舞台転換は「携帯電話」で済ませる安易なことが多いけど、この舞台ではしっかり舞台上でその現象を示しているあたりが見事だと思った。(電話は厨房の外で受けて・・・その結果をしっかり登場人物が「語る」、インターネットもその画面の内容を登場人物が「語る」ことでその現象を説明する)舞台だとテレビと違って見せたいものをアップにして解決できないための工夫がいいなと思った。
やはり、映画を撮らない映画監督とか、絵を描かない画家とか、作品つくらないアーティストとか、変なことが沢山あるけど、包丁の握れないシェフがいて、絵描き・ウェブ仕掛け人・ギャンブル好き元居酒屋オーナーが「イケメンオーナーシェフの創作フレンチ」を提供している、この様はすごいと思った。
江守徹が舞台をきりりと締めているのは明らかで、仲村トオルの好きにやっているようで押さえながらやっている所作にかなり感心してしまった。そして、周りを固める役者とのハーモニーは見事だった。Youは好演していたんだと思うけど、なんか小声でボソボソという役が向いている人とそうでない人がいると思って、Youは素のままの怒りキャラが安心してしまう。
ハイライトは
・11件の料理の感想のところ
・江守徹が再現しようとしてできないスープの味の隠し味とは
・そのスープを飲んだ7人の感想のめちゃくちゃ加減
・換気扇が回り始めるところ、長くなる話の予感
で、最後のシーン
やっぱりここでも長塚圭史の多用する演出手法が出てきていた。
いや、正確には長塚圭史のやっている演出とは違うんだけど、やっぱりこれ使うんだと思い出した。
舞台から、出演者が、一人、一人、抜けていって、主役の二人になって、最後に一人・・・。
長い間があって、
戻ってくる、
換気扇が回り始める・・・。
舞台の回りには出演者が戻ってきて二人を見守っている(イメージシーンとしてのとりまきなんだと思うけど)。
なるほど、長塚圭史オリジナルってことではないんだ、こういうシーンは以前からあったんだな。と。
ちなみに「ハンドダウン」
っていうのは「受け継ぐ」というような意味だそうだ。
でも、もう少し違う意味もあるみたいで、真意は今一つわからない。
「評決する」みたいなそんな意味もあるそうだ。
なんか、自分の人生(というか日々の仕事とか、デジタル時代の諸問題)と照らし合わせてしまうかのようなそんな舞台だった。
佐藤めぐみ
舞台挨拶2回目にはメガネをとって出てきてくれてちょっと嬉しかった(笑)
佐藤めぐみがどういう役者なのか、どんな人なのかよくわかっていないので、あの演技が「素晴らしい」のか「素」なのかは今一つ分からない。けど、プログラム読む限りでは「今までにない役」をこなしていたようなので、「よかった」と思うことにした。私にとっては佐藤めぐみの場合は演技が巧い、下手とかそういうこと抜きに、舞台に立って、台詞をこなしてくれる、それだけで充分すぎるくらい満足な気分になる。今回の舞台も、登場シーンは少なく、台詞も少なめではあるが「山猫」の一連の幇助者としての立ち位置をいい感じに表現してくれていた。
「山猫」は注文の多い料理店からとったのは多分間違いなかろう。
そんなフりの巧さも蓬莱竜太のすごさなんだと思う。
蓬萊というと「551」を思い出してしまうのはなんか・・・。
フレンチレストランで
朝食にコンビニのサンドイッチ
昼食のまかないに仕出し弁当
隠し味の「味の素」に気がつかない先代シェフ。息子の指摘で味を再現できて満足する先代シェフ。
料理を作らないオーナーシェフがその再現できた味は再現できたことを理解しつつ「不味い」と言い切る。