野外劇
南の島に雪が降る
2014/06/15 /19:00
野外劇というのはなぜこのように舞台から飛び出すのか・・・。
椿組といい・・・。
幕末太陽傳を思い起こさせるが、なにかあるのだと思う。
むしろ大雨の中でみたかった気分である。
この話、小津映画「秋刀魚の味」に出てくる加東大介の原作の小説で、なんとも切ない話になっている。
20世紀少年少女唱歌集
2012/07/16 /08:13
演劇ではあるのだけど、舞台は美術館の「講堂前」の休憩所。
「東京ノート」
劇場以外でやる演劇というと、
東急多摩川線の電車内での10分間の芝居ってのがあった。
3両編成の電車で3つの芝居が行われていた。
昔、キャラメルボックスが「JR東日本」とタイアップして、列車内で始める芝居ツアーってのをやっていたのを記憶しているが、どういうものだったかは分からない(当時演劇興味なかったから・・・・面白かったのかどうなのか)。
中村勘三郎が「三島村」でやった「俊寛」もある意味劇場以外ってことなんだろう。
オフシアターってのとは違うけど。
そんなこと言っていると「世界劇場問答」に行き着くのかとも・・・・。
http://www.geocities.jp/todok_tosen/todok/mondo/mondo.html
「東京ノート」
劇場以外でやる演劇というと、
東急多摩川線の電車内での10分間の芝居ってのがあった。
3両編成の電車で3つの芝居が行われていた。
昔、キャラメルボックスが「JR東日本」とタイアップして、列車内で始める芝居ツアーってのをやっていたのを記憶しているが、どういうものだったかは分からない(当時演劇興味なかったから・・・・面白かったのかどうなのか)。
中村勘三郎が「三島村」でやった「俊寛」もある意味劇場以外ってことなんだろう。
オフシアターってのとは違うけど。
そんなこと言っていると「世界劇場問答」に行き着くのかとも・・・・。
http://www.geocities.jp/todok_tosen/todok/mondo/mondo.html
唐組第49回公演「海星(ひとで)」
2012/06/02 /23:24
唐組第49回公演『海星(ひとで)』
作・演出:唐十郎
池袋雑司ヶ谷鬼子母神境内
唐十郎の芝居を見るのは当然ながら初めて。
テントで見る芝居ってのは
「シティボーイズ」(池上本門寺)
「椿組夏公演」(花園神社)
テントで見てるなぁって感じは
劇団鹿殺しの「轟のうた」なんかがそんな雰囲気を醸し出してくれた。
ひょっとしたら、青山円形劇場にはそんな気配があるのかもしれない。
観終わっての感想は大きく2つ。
1.今見てよかった。5年前に見ていたら、多分二度と芝居は観なくなっていただろう
会場は、伝説の「赤テント」なるほど・・・。一度は入ってみたいと思ったけど、これかと。入口は1カ所、席の殆どは桟敷席。靴は脱ぐ。長時間だと辛いなとちょっと不安になる。途中15分の休憩を挟んでも2時間かかっていなかったようだ。
2.エンディングは「椿組花園神社公園」「能登演劇堂」と同じ演出手法
流石というか、ちょっと感心。 あれ見せられると全てを許してしまう感じ。 あの手法は川島雄三監督の「幕末太陽傳」とどっちが旧いんだろうか。 何があるかというと、舞台奥は現世とつながっていて、そこに役者が出ていくという・・・。初めて見たのは私の履歴書の「仲代達矢」の紹介した「能登演劇堂」のくだりを見たときだと思う。これは舞台奥が開いて外が見えるという舞台装置だった。劇団新感線の「髑髏城の七人」(新国立劇場)を見たのもいつか記憶が定かでなくなってきたけど、あれは舞台奥から役者が50mくらい走って挨拶するという舞台の大きさを圧倒するものだった。しかし、椿組の芝居では、なんと舞台を壊して明治通りが丸見えになるというすごい演出・・・・。
おまけ、唐十郎を生で見たいと思って行ったが、けがで出ていないという・・・。
芝居に大きな穴が空いた感じがしないから、舞台役者としての関わりは「長塚圭史」的関わり方なのかと思うに至った。
作・演出の人が「主役」をやるというのは結構面倒なことになるんだろうなと思ったのは、東京セレソンDXを見て。作・演出の人がなんでこんな脇役やっているだろうと思ったのは阿佐ヶ谷スパイダースを見て感じたこと。後藤ひろひとになると、その特権をとにかく利用して「解説もしくは前座」みたいな不思議な役回りで登場する。野田秀樹の芝居はあまり観ていないけど、「NODAMAP」の場合には主役ではなく、主役級の舞台の転換点を担う役をそつなくこなしているそんな感じがした。
作・演出:唐十郎
池袋雑司ヶ谷鬼子母神境内
唐十郎の芝居を見るのは当然ながら初めて。
テントで見る芝居ってのは
「シティボーイズ」(池上本門寺)
「椿組夏公演」(花園神社)
テントで見てるなぁって感じは
劇団鹿殺しの「轟のうた」なんかがそんな雰囲気を醸し出してくれた。
ひょっとしたら、青山円形劇場にはそんな気配があるのかもしれない。
観終わっての感想は大きく2つ。
1.今見てよかった。5年前に見ていたら、多分二度と芝居は観なくなっていただろう
会場は、伝説の「赤テント」なるほど・・・。一度は入ってみたいと思ったけど、これかと。入口は1カ所、席の殆どは桟敷席。靴は脱ぐ。長時間だと辛いなとちょっと不安になる。途中15分の休憩を挟んでも2時間かかっていなかったようだ。
2.エンディングは「椿組花園神社公園」「能登演劇堂」と同じ演出手法
流石というか、ちょっと感心。 あれ見せられると全てを許してしまう感じ。 あの手法は川島雄三監督の「幕末太陽傳」とどっちが旧いんだろうか。 何があるかというと、舞台奥は現世とつながっていて、そこに役者が出ていくという・・・。初めて見たのは私の履歴書の「仲代達矢」の紹介した「能登演劇堂」のくだりを見たときだと思う。これは舞台奥が開いて外が見えるという舞台装置だった。劇団新感線の「髑髏城の七人」(新国立劇場)を見たのもいつか記憶が定かでなくなってきたけど、あれは舞台奥から役者が50mくらい走って挨拶するという舞台の大きさを圧倒するものだった。しかし、椿組の芝居では、なんと舞台を壊して明治通りが丸見えになるというすごい演出・・・・。
おまけ、唐十郎を生で見たいと思って行ったが、けがで出ていないという・・・。
芝居に大きな穴が空いた感じがしないから、舞台役者としての関わりは「長塚圭史」的関わり方なのかと思うに至った。
作・演出の人が「主役」をやるというのは結構面倒なことになるんだろうなと思ったのは、東京セレソンDXを見て。作・演出の人がなんでこんな脇役やっているだろうと思ったのは阿佐ヶ谷スパイダースを見て感じたこと。後藤ひろひとになると、その特権をとにかく利用して「解説もしくは前座」みたいな不思議な役回りで登場する。野田秀樹の芝居はあまり観ていないけど、「NODAMAP」の場合には主役ではなく、主役級の舞台の転換点を担う役をそつなくこなしているそんな感じがした。