東京芸術劇場

「て」「夫婦」

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なかなか強烈な作品のダブルパンチ。

こんな強烈な作品を創り出している岩井秀人はすごいな・・・。
平原テツの違う演技の引き出しも見られて満足。

浅野和之・山内圭哉がお母さん役を熱演というか、あれ本当に女性がやったら辛くて見ていられないかもしれない。
そんな芝居が「遭難」であった。その時は「菅原永二」が代演で好演していた。

睾丸

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なかなかすごいタイトル
内容は案外フツウ
と思っていたら、
どんどんすごいことが出てきて、
お前「きんたまついてんのか」
っていうようなことから、
最後に廣川三憲が見事な「二面」を見せて・・・
そこで終わらないのが流石。
ここに喜安浩平が生きてくる。
と、
ナイロンらしい終わり方で、大満足。

図書館的人生Vol.4襲ってくるもの

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ちょうど、この時代に「Alexa」が流行っていた。
殆ど使い物にならないスマートスピーカーと思ったが、
「誕生日ソング」を唄ってくれた。
しかも、
それなら「ドリカムのハッピーバースデー唄って」と言ったら
ドリカムの「HAPPY HAPPY Birthday」をかけてくれた。
シャッフルしてかけますと言いながら、
まっさきにかけてくれた。

そして、
「匂い」が記憶に直結すること。
「記憶の全てを計算機に移したとして自己とは」

年代があわないのだけど、大体つながっているってことで「短編集」なんだろう。

間に「刑務所仮釈放中」の彼の「たら・と・れば」

ストーカーからのCOLについてにつながる話。

どれも千葉雅子あっての名作だった。

そして、バッハって音楽は全く興味なかったんだけど、
ぐっときた。
「ピアノ協奏曲第5番ヘ短調BWV1056 2楽章」。
バッハの時代はチェンバロだろうけれど、ピアノだった(そこはどうでもいい)。
で、この舞台・・・・。
タレルだ!!

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ヒッキーオウチデテミターノ

ヒッキー
またまたハイバイにやられた。
再演ということだけど、私は初めてなので、
しかも今これだけ活躍をしている「役者」「演出家」が昔ヒキコモリだった。
その話からできた話くらいに思っていたので、
冒頭のいつもの「お願い」から始まって、アメチャンのチリチリ話から始まって・・・。
え?古舘寛治出ないんだ?
そんな急に代役大丈夫なの?
と思いながら、意外な「台本を持ちながら」というすごい舞台になることを知った。
2時間の舞台は
・・・
前半は松井周の出番はほとんどない・・・。
後半、
なるほど、
そうなって、
こうなるのか。

「淵に立つ」

の続編か?!

いや、逆なのか。

何について語りたいかというと、

あれだけ滅茶苦茶な舞台で、簡単な舞台装置で、
あそこまでの表現をしつつ、
そして、
観客の創造力を200%かき立てる。
そして、なんとも絶望の淵に立たせられてしまった。

もし、松井周が台本手に持って演じてくれなかったら、私は耐えられなかったかもしれない。
耐えられたかな・・・。

クヒオ大佐の妻

(映画)クヒオ大佐
の続編なんだろうか、
http://owada.sakura.ne.jp/play/index_files/adf0b030c27312f16c33c8d75847dc2a-229.php
コーカソイドっていうコンプレックスって確かに日本人にはあるかもしれない。
で、この演劇は
岩井秀人が主張する(セリフはちゃんと覚えていないから私のことばで)
フィクションってのはなかなかリアリティがない中で、知り合いの話だと俄然盛り上がる。
でも、そうそう知り合いの話ってのはないから、
知人の話を「ネタ」にするといい・・・
って「ワレサワレノモロモロ」そのものじゃないか?!
すごいぞ・これは・・・。
と緊張したのだけれど、
残念ながら、以後はダラダラと続く。
で「
クヒオ大佐の妻
宮沢りえの魅力意外には、
ハイバイの力に圧倒されるのと、
水澤紳吾(多分初見)
あ、するってぇと、役者さんには罪はない。
(ケラさんが良くも悪くも芝居を知らないって書いていたけど)
出ている役者さんは感じているんだろうな。
ちゃんとカーテンコールしているのがいいお客さんたちということで。

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天の敵

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なんとも壮絶な芝居だ。
2時間10
息つく間を与えてくれない。
ウェブにはこう言葉が

完全食を求めて生き延びた男をめぐる物語。2010年初演の短篇「人生という、死に至る病に効果あり」を長編化、フルスケール版にて、お送りします。
ライターの寺泊は、食事療法の取材中、戦後まもない1947年に「完全食と不食」について論文を書いた医師、長谷川卯太郎を知る。その卯太郎の写真が料理家の橋本和夫に酷似していたことで、寺泊は二人の血縁を疑い、橋本に取材を申し込む。菜食の料理家として人気を博す橋本のルーツは、食事療法を推進していた医師、卯太郎にあると考えたのだ。 「いや …… 長谷川卯太郎は私です。今年で122歳になる」


7年前には「イキウメ」なる集団を見ていなかったようで、
この後「太陽」他の作品が続いているということで、
集大成ではなくて「原点」だったというのが意外ともいえるし、納得させられるとも思う。

・人類の進化(≒多様化)
・何かを犠牲に何かの能力が拡大する
・人類共通の欲望とか何なのか

しかし、現実は「フィクション」を遙かに凌駕するところに来ている。
と思っていたが、イキウメだけは常に時代の半歩以上先を行っているようだ。

安井順平
浜田信也
盛修二
この3人は鉄板で
森下創
大窪人衛
この2人のすごい当たり役に感動・・・。
伊勢佳世
がいないのは残念でならない。

小野ゆり子、太田 ロランス、松澤 傑、有川マコト、村岡希美
の5人は見事だった・・・。
そして、結末を迎えるにあたって、村岡希美じゃないと成り立たない見事な・・・。
(2007年の芝居を見てみたかった・・・)

不信〜彼女が嘘をつく理由

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優香がよかった
段田安則は流石
栗原英雄・・・いい役者だ。
衝撃の結末にびっくり
予想を裏切ってくれた。
歴史ものでなくても出来るんだ・・・。
密室じゃなくても芝居になっていた・・・。
新しい局面に来たようだ。

足跡姫

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「いい火加減だ」「許す」
そんな一言のために延々を芝居をするものがあった。
この足跡姫も相変わらずのグダグダな一連があったんだけど、
「最後のシーン」のためだけに。
「十八代目勘三郎」
このことばを言うがためだけの
歌舞伎の芝居
「the bee」を75分で演じた野田秀樹が
色々な事情で2時間を超える演劇もやるもんなんだなと、
シミジミ思う。

しかし、どうしても不思議なのが、
あの有名な「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲

なんで、これを使ったのか。
確かに、叙情的でもあり、リアリズム文芸運動からの原作であり、これで一躍有名になったマスカーニ。
三角関係のもつれの泥沼劇。
単に耳に良い感じだから使っただけなのか、
何なのか。
興味は尽きない。


と、ここで毎日新聞は
江川紹子の記事を見つけた。
「やがて初代の猿若勘三郎の肉体も消える。だが消えても、消えたのに消えることなくずっと続いてみせる」「二代目、三代目・・・・・いやもっと、六代、七代、ううん十二、十三、十四、十五、十六、十七、十八・・・・・」「そこできっと、姉さんのひたむきさは生き返る」
2001年8月に初演された「研辰」で使われていたそうで。勘三郎襲名披露で2005年5月の再演でも「研辰」は上演したようだ・・・。やっぱりそんなことだったんだ。
「カヴァレリア・ルスティカーナ」は「田舎の騎士道」、なるほど、そんなこった。
(足跡姫ではなくて、こちらのサビの「使い回し」だったわけだ)

テレーズとローラン

初めてのシアターウエスト
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さすがだ・・・。
谷賢一得意の時間の逆行(伏線の回収みたいなせこいことはしない)
原作の脚本化(しかもゾラ・・・)
役者は厳選
贅沢な舞台配置
90分という無駄のない作り(役者も疲れるし、あの密度で2時間は客も辛い)
てなことで、絶妙。

前日に見た「コメディ」を全部忘れてしまった。
奥村佳恵(おくむらかえ)はny best actressになってしまった。

ケラさん「黒い10人の女」
白井晃「天守物語」
に次いで、私が見るのは3回目だけど、
結構なキャリアは積んでいるようだ。
(しかも大舞台ばかり)

逆鱗

野田マップ

人魚って・・・と思っていたら、人間魚雷
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見事なんだけど、
これを書いているのは320
つまり2ヶ月近く経っているんだけど、
今一つ納得がいかない。

野田秀樹の世界観・脚本・舞台は見事だと思うのだけれど、
ここまでストレートでなくていいのでは?
などと思ったり、
単に松たか子・井上真央が好きな女優ではないからか?

回天記念館に今年こそは行きたいと思った2016年初観劇。

カタルシツ

今年の最高傑作かもしれない
今年は本当に「タイムスリップ」が流行っている。
これも複雑に時間を旅している。
前日のmuro式、今年のシティボーイズと・・・。
続いて時間をテーマにした「話題」が一つの物語となった。
いずれ改めて、まとめておきたい。
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墓場、女子高生

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イキウメの真骨頂
役者はこれ以上はないという適役をもらい、
ストーリーは前川知大ワールド全開!!
そして、
今流行の、
「時間」と「空間」と「情報」をテーマにした奇っ怪な話。
思ったものがそこに登場してしまう。それはまさに2001年宇宙の旅の最後のシーン。
ドッペルゲンガーか?というあたりも映画チックな。
タイムスリップはしないところが「デスペラード」との違い。
あっという間の2時間だった。
2時間分の「分身」をどう「処分」するのか。
開場には笑いが出ているのが、その観客は内容わかっているのかどうなのか・・・
イキウメを初めて見たのはいつなんだろう・・・「太陽」からなんだ。
原題
『プランクトンの踊り場』は、2010 年ということなので、ここ5年も見ていないということになる。

新しい祝日

すごい芝居だった
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まさに今感じている課題そのもの

MIWA

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野田地図第18回公演「三輪明宏」の半生(ご健在なのでそう敢えて書く)を
宮沢りえ・古田新太が2人一役で演じた。
いままでの野田地図に比べると物静かな、そして、予想を裏切るすごみはなかったけど、
やっぱりすごい。

ゴドーは待たれながら

ゴドーは待たれながら
http://www.geigeki.jp/performance/theater019/

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いとうせいこう作・きたろう
によるマボロシの作品がなんと大倉孝二・ケラリーノサンドロビッチによって実現。
悪くないんだけど、やっぱり「得るものが何も無い」と大倉孝二が言うだけけのことはある「不毛感」がある。
これをやったきたろうさんの映像って見てみたいと思った。
でも、それ以上でもそれ以下でもないような気がする。

まとめ*図書館的人生(上)

東京芸術劇場、シアターイーストで見る

青の記憶
輪廻TM
ゴッド・セーブ・ザ・クィーン
賽の河原で踊り名来る「亡霊」
東の海の笑わない「帝王」
いずれ誰もこそ泥だ、後は野となれ山となれ
全6話がごちゃごちゃって始まって終わる

なかなかすごい物語だ。
6話同時に上演するのもすごい。
別々に見てみたいような。
いや、それだけの力のある作品6つだった。

遭難

主役が急遽交代となった。
どうなるのかと思ったら、男優が女優役をこなしていた。
確かに、あの役を女優が演じるのはかなり酷なことだとは思う。
初演とはかなり姿が変わっていたようだ。
http://etheatrix01.eplus2.jp/article/283024779.html

精神的にかなり参った状態で見るには「酷」な芝居だった。
本谷有希子の才能にはやっぱり驚きだ。

無差別

「柿食う客」
ここの芝居を見たのは初めて。
実は、中屋敷法仁がというか、「女体シェークスピア」シリーズは気になって見ている。

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NODA MAPというか、「エッグ」で気がついたことがあった。大きいテーマを芝居にしないという今の日本の演劇事情に少々もどかしさを感じつつある今日、この頃。エッグと続けて無差別も「個人ではかかえきれないような大きなテーマ」を舞台上で展開してくれた。舞台の上では「何でもあり」ということをうまいこと表してくれた快心作だと思う。
テーマは「穢れ」に基づいた「差別」の話、障がいに対する差別の話、神となるモノの話、神への畏敬の念と神がヒトとなってしまった時代の話、信仰の対象が自然から概念へ、そして科学へと変遷する話。沢山のことを77分で表現してくれた。このネタで2時間やられるとやっぱり辛いだろうなと思った。
秀逸だったのは、1000年続いた「楠」の神が手のないモグラに倒され、モグラが神になり、
倒された楠は穢れた村人に切り取られ、天神により燃やされ、その楠の怨念はキノコの胞子となり、やがてキノコ雲、黒い雨となり・・・。
一方、モグラは望むべくして神になったのではなかったが、神として生き(続ける)のか、モグラとして一生を終えるのかを問いただされ、モグラとしての一生を選択する。
天神は1000年間恨み続けていることになった今の地位を悔やんでいる。
目の開かない踊り人は、祈るために踊ることを続ける。
これは物語の伏線で、

本編は、
狗殺しの兄と、殺生をしない・仏を掘る妹、その妹を母親と慕うメス犬の「3人」が展開する物語。


エッグ

NODA・MAP第17回公演「エッグ」
9月8日に見た

東京芸術劇場はながいこと改修をしていた。
何を改修したのかよくわからないけど、
入口にあるコンサートホールまでのエスカレーターは撤去され、端に移動していた。
あのエスカレーターは私は怖くて乗れなかったので、大英断に拍手したい。

なんか劇場全体が明るくなった気がするのと、公共の劇場とプライベートの劇場の大きな差である、まったりとする場所のあるなし、広い、狭いみたいな・・・東京芸術劇場は公共の劇場なので、その辺は以前から広めではあったのが、更に充実している感じがした。

芝居そのものはすごいことになっていて、
こんな「でかい」テーマを扱えるのは流石「野田秀樹」
そして、寺山修司の遺作原稿を発見して・・・という設定
オリンピックが遡って・・・。
731部隊チックな話になって、
旧財閥のイデオロギーを越えたレベルでの「生き残るという戦略」、
円谷を思わせる名前で遺書を出しながら、裏切る見事さ。
満州の悲劇をなんとも巧いこと表現するなとか、
劇場の改修をおちょくりながらも、そのプレッシャーと闘う様。
プログラムに書いてあった、創作ノートにあった「自分のとも誰のともわからない2行の台詞」
それが何なのか気になって仕方が無い。

仲村トヲル、深津絵里、大倉孝二は、野田秀樹以外の演出で見ていることもあって、演技に違和感を感じた。持ち味を十二分に出しているのかどうかとか、そういうことになるんだけど、なんか、違和感を感じた。その理由はプログラムを見ていてわかったのだけど、稽古で芝居を作り上げていく(のが野田秀樹のやりかたということらしく)役者にどう演じるかを「問う」のが野田秀樹のやり方らしい。役者とはどうあるべきかという議論をしても私は演劇業界の人間ではないので、意味ないけど、役者は脚本・演出の中で動く「コマ」として存在していて、そのコマをどう料理するかは「演出家」に委ねられるべきものなのかな。となんとなく感じている。
もちろん、舞台の幕が開くと、役者が主役になり、役者と舞台制作陣(大道具・小道具・照明・音響・舞台監督)の力量で「芝居」は完成されるわけだけど。料理でいうところの「下ごしらえ」と「調理」の関係に似ているのかもしれない。

で、この大きなテーマを芝居は描けるのか?
終わってしばらくは「こういう大きなものを描けるのは野田秀樹くらい」なんだろうと勝手に思って、それが演劇に向いていないのではないか?と思ったが、いやいや、「エンロン」「サブプライムローン」「証券投資」なんかをテーマにした演劇をイギリスでは上演して成功しているわけである。実際、翻訳された芝居を見てみると、見事なまでに完成した形になっている。

別に大きなテーマを描くのに
「テレビドラマ」のような長尺は要らない(スポンサーの関係もあって実は放映できないわけだし)
「映画」みたいに舞台を越えた表現ができることはうらやましいけど、映画は舞台より制作費がかかるわけだし。
舞台の扱うテーマとして野田秀樹のやっているようなテーマは「あり」なんだということを確信した。
要するに「世代」「関心」の問題なんだってことが分かった。