俺とあがさと彬と酒と
俺とあがさと彬と酒と
向原の「アトリエ春風舎」で
谷賢一・山崎彬・岡田あがさ
による
「マボロシ兄妹」
作・演出 山崎彬
出演 岡田あがさ 谷賢一
「ふたりマクベス」
作・演出 谷賢一
出演 岡田あがさ 山崎彬
月とスイートスポット
ヨーロッパ企画第31回公演
「月とスイートスポット」
ヨーロッパ企画テイストと北野武映画(アウトレイジII)が一緒になったような、
望月綾乃がとてもいい。
http://www.europe-kikaku.com/projects/e31/main.htm
祈りと怪物
シアターコクーン
ケラ演出版と蜷川演出版がある
4時間10分の一大巨編
夏帆の体当たり演技にグッときた
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/13_inorininagawa.html
明るい部屋
高谷史郎・新国立劇場小劇場
http://www.nntt.jac.go.jp/dance/pdf/20000628.pdf
念願かなって東京公演を見ることができた
私にはChromaがいいと感じた。
(舞台の仕上がり、照明、出演者が良かったので)
見る順番を間違えた(明るい部屋→Chromaという順番で作られたので)んだと思う。
まとめ*図書館的人生(上)
青の記憶
輪廻TM
ゴッド・セーブ・ザ・クィーン
賽の河原で踊り名来る「亡霊」
東の海の笑わない「帝王」
いずれ誰もこそ泥だ、後は野となれ山となれ
全6話がごちゃごちゃって始まって終わる
なかなかすごい物語だ。
6話同時に上演するのもすごい。
別々に見てみたいような。
いや、それだけの力のある作品6つだった。
傷は浅いぞ
なんと、これを「岡山」でも上演するようだ。
この見事な主役っぷりにちょっと痺れた。
5年前の深谷友梨香を見てみたかった・・・。
・・と思っていたら「ワンダーランド」の劇評で
「谷賢一」が見事な文章をしたためていた
http://www.wonderlands.jp/archives/12333/trackback/
アンドロイド版「三人姉妹」
平田オリザの芝居を見るのは
革命日記・東京ノートに次いで3回目
どれも似たような作りであることが分かった。
もちろん、似たようなっていうのはいい意味でもあり、なんとなく次にも見ようというモチベーションを維持するのはどうしたらいいのかということにつながる。
オリジナルの三人姉妹がどのようなものか知らないので、このアンドロイド版がどう異端なのか今一つわからない。そして、この世界観が異常なのか、正常なのかもわからない。そして、ここに登場する「旧式」のロボットに最も人間らしい親近感を抱くのは狙いなのか?何かミスキャストなのか。
アンドロイドの音源がもし、本体から発せられたらかなり違う印象を持ったかもしれない。
(完全版)人間失格
実は、太宰治は一切読んだことないので、
どこまでが「人間失格」でどこからが「オリジナル」なのかわからない。
円形を本当に円形で使ったのを初めてみた。
舞台の作り・構成・エンディング
流石だ・・・。
主役が途中で二人に分裂するあたりは見事。
そして、舞台装置の乱暴な投入の仕方に苦笑。
会場(座席)に荻野友里と谷賢一とこりっち舞台芸術の手塚さんを見つけた。
手塚さんに終演後、谷賢一を紹介しますよ・・・と言っていただいたが遠慮した。
(いや、太宰治知らないから・・・笑、とは言えなかった)
初日であの完成度、いや、初日と楽日でどうちがうのかなんて、見比べたことのない私には関係ない話ではあるのだけど。
この主役の「コロ」なる女優は女体シェークスピアで知った女優で、なんか男前な女優だった。
この5月に柿食う客を退団したことを今日知った。なんかあったんだろうけど、柿食う客の芝居にはなんとなく合わないそんなな気はする。もっと広いところで活躍してほしいと思った。
笑う巨塔
やはりこの形で続けるのは無理があるのだろう。
思えば「鹿男あをによし」で詫間孝行を見つけて、「歌姫」で「サタケミキオ」を見つけた。
気がつけば名前は一緒になっていたけど、彼の「夕」には大いに泣かされた。
笑いと感動を交互にということが彼の狙いだったらしいのだけれど、
「くちづけ」は賛否両論の分かれる作品だったようだ。
(私は好きな作品で、あまりに残酷な現実に直面しているというのは「演劇」で見せるべきものではないのではないか?という意見もあったようだけれど、こういう問題をつきつける実力を持っているのが演劇なんだと信じたい)
そういう意味では詫間孝行は少しお休みするのはいいことなのかもしれない。
沢山のお客さんに愛されてここまで来たのだから恩返しの凱旋公演の期待は高まるばかりである。
遭難
どうなるのかと思ったら、男優が女優役をこなしていた。
確かに、あの役を女優が演じるのはかなり酷なことだとは思う。
初演とはかなり姿が変わっていたようだ。
http://etheatrix01.eplus2.jp/article/283024779.html
精神的にかなり参った状態で見るには「酷」な芝居だった。
本谷有希子の才能にはやっぱり驚きだ。
田舎の侍
http://shika564.com/shika564/tokusetsu/1002008/info.html
鹿殺しに小劇場のパワーを教えてもらった。
それから4年・・・
ロックオペラ「田舎の侍」
こいつはびっくりした。
そもそも芝居っていいなと思うきっかけになったのは
「髑髏城の七人」
だったのだけど、
水野美紀の男前っぷりに感動したのだった。
舞台挨拶の格好良さに感動したのだった。
今回の「田舎の侍」
観た人なら分かる
「髑髏城の七人」
「五右衛門ロック」
「蜉蝣峠」
が一緒になったようなそんな感じ。
どうみても「作:中島かずき」となってしまいそうな。
エンディングで「鹿殺しらしさ」があってホットした。
安心した。けど、やっぱり、こういう芝居は2年に1回くらいにして、
「丸尾丸ワールド」を前回にしてほしい。
10月22日まで
駅前劇場にて。
必見
無差別
ここの芝居を見たのは初めて。
実は、中屋敷法仁がというか、「女体シェークスピア」シリーズは気になって見ている。
NODA MAPというか、「エッグ」で気がついたことがあった。大きいテーマを芝居にしないという今の日本の演劇事情に少々もどかしさを感じつつある今日、この頃。エッグと続けて無差別も「個人ではかかえきれないような大きなテーマ」を舞台上で展開してくれた。舞台の上では「何でもあり」ということをうまいこと表してくれた快心作だと思う。
テーマは「穢れ」に基づいた「差別」の話、障がいに対する差別の話、神となるモノの話、神への畏敬の念と神がヒトとなってしまった時代の話、信仰の対象が自然から概念へ、そして科学へと変遷する話。沢山のことを77分で表現してくれた。このネタで2時間やられるとやっぱり辛いだろうなと思った。
秀逸だったのは、1000年続いた「楠」の神が手のないモグラに倒され、モグラが神になり、
倒された楠は穢れた村人に切り取られ、天神により燃やされ、その楠の怨念はキノコの胞子となり、やがてキノコ雲、黒い雨となり・・・。
一方、モグラは望むべくして神になったのではなかったが、神として生き(続ける)のか、モグラとして一生を終えるのかを問いただされ、モグラとしての一生を選択する。
天神は1000年間恨み続けていることになった今の地位を悔やんでいる。
目の開かない踊り人は、祈るために踊ることを続ける。
これは物語の伏線で、
本編は、
狗殺しの兄と、殺生をしない・仏を掘る妹、その妹を母親と慕うメス犬の「3人」が展開する物語。
エッグ
9月8日に見た
東京芸術劇場はながいこと改修をしていた。
何を改修したのかよくわからないけど、
入口にあるコンサートホールまでのエスカレーターは撤去され、端に移動していた。
あのエスカレーターは私は怖くて乗れなかったので、大英断に拍手したい。
なんか劇場全体が明るくなった気がするのと、公共の劇場とプライベートの劇場の大きな差である、まったりとする場所のあるなし、広い、狭いみたいな・・・東京芸術劇場は公共の劇場なので、その辺は以前から広めではあったのが、更に充実している感じがした。
芝居そのものはすごいことになっていて、
こんな「でかい」テーマを扱えるのは流石「野田秀樹」
そして、寺山修司の遺作原稿を発見して・・・という設定
オリンピックが遡って・・・。
731部隊チックな話になって、
旧財閥のイデオロギーを越えたレベルでの「生き残るという戦略」、
円谷を思わせる名前で遺書を出しながら、裏切る見事さ。
満州の悲劇をなんとも巧いこと表現するなとか、
劇場の改修をおちょくりながらも、そのプレッシャーと闘う様。
プログラムに書いてあった、創作ノートにあった「自分のとも誰のともわからない2行の台詞」
それが何なのか気になって仕方が無い。
仲村トヲル、深津絵里、大倉孝二は、野田秀樹以外の演出で見ていることもあって、演技に違和感を感じた。持ち味を十二分に出しているのかどうかとか、そういうことになるんだけど、なんか、違和感を感じた。その理由はプログラムを見ていてわかったのだけど、稽古で芝居を作り上げていく(のが野田秀樹のやりかたということらしく)役者にどう演じるかを「問う」のが野田秀樹のやり方らしい。役者とはどうあるべきかという議論をしても私は演劇業界の人間ではないので、意味ないけど、役者は脚本・演出の中で動く「コマ」として存在していて、そのコマをどう料理するかは「演出家」に委ねられるべきものなのかな。となんとなく感じている。
もちろん、舞台の幕が開くと、役者が主役になり、役者と舞台制作陣(大道具・小道具・照明・音響・舞台監督)の力量で「芝居」は完成されるわけだけど。料理でいうところの「下ごしらえ」と「調理」の関係に似ているのかもしれない。
で、この大きなテーマを芝居は描けるのか?
終わってしばらくは「こういう大きなものを描けるのは野田秀樹くらい」なんだろうと勝手に思って、それが演劇に向いていないのではないか?と思ったが、いやいや、「エンロン」「サブプライムローン」「証券投資」なんかをテーマにした演劇をイギリスでは上演して成功しているわけである。実際、翻訳された芝居を見てみると、見事なまでに完成した形になっている。
別に大きなテーマを描くのに
「テレビドラマ」のような長尺は要らない(スポンサーの関係もあって実は放映できないわけだし)
「映画」みたいに舞台を越えた表現ができることはうらやましいけど、映画は舞台より制作費がかかるわけだし。
舞台の扱うテーマとして野田秀樹のやっているようなテーマは「あり」なんだということを確信した。
要するに「世代」「関心」の問題なんだってことが分かった。
其礼成心中
なかなか面白いもので、
人形にあそこまで「表情があること」「動きが人間的なこと」「唄、三味線の見事なこと」
名前の使い方が今一つわからない。
もっとも、パルコ劇場の最後部で見ていたので細かいところがよく見えなかった。
前の方で見たらちがったろうに・・・。
http://www.parco-play.com/web/page/information/sorenarishinju/
明日を落としても
佐藤佐吉演劇祭3本目
京都の劇団、なんとなく雰囲気がダムタイプチックなのか?などと勝手に妄想を広げて出かけた。
感想はクロスレビューということでこちらに
ちょっと甘い評だけど(★一つ追加した感じ)
http://www.wonderlands.jp/archives/21338/
http://www.geocities.jp/pinkundergrounder/
父母姉僕弟君
永野宗典不条理劇場で「望月綾乃」を見ていいと思ったから。
もっとも永野宗典不条理劇場II「劇野郎が来る」は「人形劇」だった。
で
王子小劇場「佐藤佐吉演劇祭」2つ目の作品を見ることとなった。
http://llo88oll.com/bio.html
舞台は、前回みた競泳水着(good night)配置の逆・・・どっちが普通なのかわからない。
なんとも不条理な展開で物語は進む。
言いたいこともわかるし、すごいシーンもある。
全体はちょっと残念な感じ(冗長というか、役者が場を支えきれないというか)。
とはいえ、2時間を堪能できることは間違いない。
これが小劇場の魅力なんだと思う。
鎌塚氏、すくいあげる
舞台は船上にとかわっていた。
三宅弘城はそのまま
タマキング、広岡由里子は前回同様の登場となっていて、
ちょっとしたシリーズ化を狙ったものなのかもしれない。
見ていて、タイタニックとローマの休日と・・・。
いや、それは悪い意味ではなくて、ちょっと心地いいまでの物語になっていた。
そして、六角精児の器用さというか、くせ者ブリも発揮されて楽しい130分だった。
昨年、「鎌塚氏放り投げる」というシリーズ第一弾があった。
なんといっても、見所は「ともさかりえ」のメイド服姿。
これだけメイド服の似合う女優もいないのではないか?
というか、メイド服の「絵」のイメージはなんとなくともさかりえっぽい感じである。
今回の「満島ひかり」
私はあまり興味のない女優だった。
去年の今頃やっていたテレビドラマでなんとも暗い訳をやっていて、そのイメージのまま本多劇場に出かけることとなってしまった。
途中で、
満島ひかりが豹変するシーンがいくつかある。
その変幻ぶりに魅惑されてしまった。
特に、ティアラをかぶったシーン、髪をくしゃくしゃにしてソファに座るシーン、ラウンジでマイクを前にするシーン、物置から出てくるシーン、ミコノス島に上陸するシーンに惚れた。
この分だと、この鎌塚氏のシリーズはあと5話くらいできるのでは・・・いや、三宅弘城は、メイド服の似合う女優とライフワークのようにこの芝居を続けてくれるのではないか?という期待感で一杯である。
と思うと、そんな質問が知恵袋にあった。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1120698261
第三弾が楽しみで仕方ない。
綾瀬はるか
夏帆
及川奈央
あたりでお願いしたい。
満島ひかりが「ローマの休日」のアン王女(では全然ないんだけど)だんだん、そんな風に見えてきてとても満足。舞台挨拶で「あ、満島ひかり」と再認識してちょっとがっかりするような。でも、とても綺麗に、そして、中森明菜の唄がよかった。思わず拍手をしてしまった。
荒野1/7
muro式6
東京ノート
「東京ノート」
劇場以外でやる演劇というと、
東急多摩川線の電車内での10分間の芝居ってのがあった。
3両編成の電車で3つの芝居が行われていた。
昔、キャラメルボックスが「JR東日本」とタイアップして、列車内で始める芝居ツアーってのをやっていたのを記憶しているが、どういうものだったかは分からない(当時演劇興味なかったから・・・・面白かったのかどうなのか)。
中村勘三郎が「三島村」でやった「俊寛」もある意味劇場以外ってことなんだろう。
オフシアターってのとは違うけど。
そんなこと言っていると「世界劇場問答」に行き着くのかとも・・・・。
http://www.geocities.jp/todok_tosen/todok/mondo/mondo.html
20世紀少年少女唱歌集
「東京ノート」
劇場以外でやる演劇というと、
東急多摩川線の電車内での10分間の芝居ってのがあった。
3両編成の電車で3つの芝居が行われていた。
昔、キャラメルボックスが「JR東日本」とタイアップして、列車内で始める芝居ツアーってのをやっていたのを記憶しているが、どういうものだったかは分からない(当時演劇興味なかったから・・・・面白かったのかどうなのか)。
中村勘三郎が「三島村」でやった「俊寛」もある意味劇場以外ってことなんだろう。
オフシアターってのとは違うけど。
そんなこと言っていると「世界劇場問答」に行き着くのかとも・・・・。
http://www.geocities.jp/todok_tosen/todok/mondo/mondo.html
温室
以前は、何か「国立」ということばに違和感を感じていたのか?
初めて感動した芝居は「新国立劇場中劇場」で見た「髑髏城の七人」だったというのに、不思議なものである。
なんでそんな感覚が変わってきたかというと、
翻訳モノの演劇というものは「想像以上に面白い」ということがある。
どうやら、イギリスの演劇ってのはかなりのレベルにあるみたいで、そりゃ、シェークスピア以来の伝統というと簡単だんだけど、いわゆる現代演劇において「前衛」とはかくあるべしみたいな何かがあるような気がしてならない。
簡単にいうと「テーマ」のおもしろさ、「物語展開」の単純さ、そして「舞台装置の抽象度の高さと」「演劇のリアリティ」のバランスの良さ。この辺になにやら日本と違う何かがあるような気がしてならない。
簡単にいうと、「書き割り」に頼らない演劇の妙技とでもいうのか。
照明プランも単調にならない何かがある気がする。
そのうち、誰かに教わりたい気分だけど。
(自分で調べりゃいいんでしょうね)
で、この温室。
なんとなく古くさい感じもしたんだけど、やっぱり原作は少々旧いようだ。
(カッコーの巣の上でとか、レナードの朝とか、モーリースウィーニーとか、ヌードマウスとか・・・。違うんだけど似ている何か、そうそう、去年のPPPPの「ベルが鳴る前に」もそんな感じ)
で、なんとも嫌な感じだけが残ったのと、
物語が今一つ理解出来ていない感があったのは、
もう少したってから整理することとしたい。
小島聖
すごい女優だ。
終演後のあの怒った感じがまたたまらなかった。
ウチナー妄想見聞録VOL.23
前回は一昨年にあって「南島妄想見聞録」と言っていた。
プーテンさんの話だった。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1534719406&owner_id=14373
初めてこの人の存在を知ったのは
「パイナップルツアーズ」だった。
あまりに酔狂なこの役者にびっくりしたものだった。
そして、日経新聞夕刊に出ていた「ボード事件」の話・・・。
「異聞ボード事件」
を下北沢駅前劇場に観に行くこととなった。
2回目は「山之口獏」
3回目は「阿賀島の日本兵の投降秘話」
4回目は糸満出身の夏子の話の「海人草」
・・・
以来、2010年まで毎年出かけることとなった。
2011年にはこの妄想見聞録はなくて、秋に3回ほど1夜限りの舞台があった。
今回は2年ぶりに「中野MOMO」に帰ってきてくれた。
なんか、この妄想見聞録を聴くと「夏」になったという気分になる。
で、
今日の舞台は
ゆんたくトーク(時事ネタ)
民主党がオキナワから消えてしまったって話から、おもむろに、
本土復帰40周年のネタに移行する。
1セントネタ
小遣い稼ぎでパラシュートたたんだり、
切手集めたり・銀貨集めたり・・・
島民一丸となってこげば鹿児島に近づくのでは・・・
40年というトキの移ろいと、歴史を面白く・楽しく語ってくれた。
スライドで「シーサー」
の変遷を紹介して
オキナワが誇る「琉神マブヤー」
http://www.mabuyer.com/
ネタからの「ゴーヤ」からの「ヘチマ」ネタへ。
なかなか深い話で・・・。
と休憩。
今日の琉球落語の演目を知らずに来た。
今日のネタは「ボード事件」の話だった・・・。
と、始まってみると随分と変わっていて、
いやはや、この10年ほどで随分と「進化」しているんだと、終わってちょっと涙が。
残念でならないのは
MOMOのどっかから「どっかんどっかん」足音?
携帯から流れる音楽?
最前列の子どもはちょっと辛いと思うんですが・・・。
これだけの演目を3000円ってのはオトク以外の何者でもないのに、空席が・・・。
勿体ない。もっと正しく広めて、会場を埋めて欲しい。いや、埋めてあげたい。
(というか、なんで埋まらないのか?前回までは満員だったのに・・。時代が変わったのか、いや、1年休むとこういうことになるのか?)
明日まで。
で、最後に今回の琉球落語でちょっと感動したのは・・・
このボード事件は「記録に残る最古の米軍兵士による婦女暴行事件」というのがその特徴であり、オキナワを知る上で色々と勉強になった話だった。
前回はベッテルハイム宣教師の話が中心にあったような記憶があるんだけど、今回はテンペストのモデルとなった板良敷ペーチン、度慶次(とけし)カマの登場シーンがメインになり・・・。
下げで「一番弱い立場の女性(手込めにされた女性ウミトゥさん)」への配慮が足りなかったことを詫びての終演となったこと。
goodnight
7月1日(日)夜公演に行った。
川村紗也は「スケベな話」で見た。
http://owada.sakura.ne.jp/play2012/files/6c4a1f46b3331909d29f8e28ebca110b-10.html
岡田あがさは「金閣寺」「確率論」「女体シェークスピア」(悩殺ハムレット・絶頂マクベス)で5本目
他の人は初対面だと思う。
で、こんな濃い芝居がこういう空間で描かれることにちょっと感動。
そして、肝心のシーンは「見せない」というのは「元禄忠臣蔵」を思わせる妙技だと思う。
過去のしがらみを活かしつつ、あかるい未来を予感させる秀作。
「タイミングが大事」
「その場にいる人には何か理由があってその場にいる。役に立たない人なんていない」
ということをあっさり、綺麗に伝えてくれた。
王子小劇場
佐藤佐吉演劇祭
に感謝。
次の佐藤佐吉演劇祭は劇団ロロに行くつもり。
天日坊
初めて見た。
歌舞伎そのものは3回くらい見にいった。
「元禄忠臣蔵」
「野田版鼠小僧」
「大江戸りびんぐでっど」
で、私にとっての最高傑作はやっぱり「大江戸りびんぐでっど」で、今回見たのは、そう、宮藤官九郎が脚本を担当しているから。
やっぱり歌舞伎。
2週前には「TheBee」の75分芝居を見ただけに、3時間20分の長編はやっぱり疲れた。
「俺は誰だ」
これはまさに、私も自問自答している。よく、他人にも「あなたは何者なんですか?」みたいな質問をされることがある。一体、私をどう見ているのか、じっくりお伺いしたいけど、本気で話をしてくれることはないんだろうし、そこまで見てくれている人もいないだろうと思う。
で、井上歌舞伎と比べちゃ失礼なんだろうけど、
やっぱり比べてしまう。
歌舞伎役者は「タメ」が巧い。
トランペットの生音でないのは残念(PA使っているんですね。当たり前ではあるけど)
で、やっぱり、女優が出ている芝居がいいやという結論。
(もちろん、充分な満足はしている)
しかし、この演目は明治時代以来、上演されていなかった。なんでなんだろう。かなり良かった。どうやらオリジナルの脚本はかなり複雑怪奇になっていたようで、今回「いい」と思ったのは現代風アレンジによるものなんだろう。
南部高速道路
黒沢あすか・・・どこかで見たことがあると思ったら「冷たい熱帯魚」のでんでんの奥さん役だ・・・。そっか、迫力あるわけだ。
小林勝也、この役者さんは何度か見ていて、昨年末に「山崎美貴」の芝居見たさに出かけた雑遊の主宰だった。その芝居を知ったのは新国立劇場でやった「天守物語」の謎の仙人役だった。やっぱりこの人の爆発力はすごいものがあった。
江口のり子は、ま、やっぱり江口のり子なわけで、そういえば、週刊真木よう子で共演していたのを今思い出した。
不思議なことが沢山あるけど、プログラムも袋とじだらけで未だに開いて読めない(笑)。
劇場を出ると「不条理劇場II」をやった永野宗典がまさに「劇野郎が帰る」ところだった。
長塚圭史の芝居ではよく役者が舞台袖で見ているなんていうのが多いけど、
ついに、観客が舞台に上がっちゃったというか、上手、下手には客席が2列。
私は東側で観劇となった。
なるほど。なんとなくその秘密が分かってきたきがする。
もっとも、
1年間も高速道路に閉じ込められてしまうという不条理状態・・・。
当然、3.11を思い出してしまい、なんともやるせない状況になる。
結構早い段階でその様を楽しむようになっているのが救いなんだけど、やっぱり徹底して楽しんで見られない自分がいる。ここがやっぱり難しさなんだと感じた。
超越した物語とそうでない物語が私の中に存在している。
満足いく不条理劇に出会えたそんな気分に浸って、サンライズ瀬戸に乗って香川県に向かっている。
The Bee
とても75分の芝居とは思えない時間の濃さ・・・。
あれで2時間やられたら役者も観客も耐えられないな。
http://www.nodamap.com/productions/thebee/index.html
やっぱりすごいのは
野田秀樹のアクティブさ加減。
そして、あの役は他の人には譲りたくないんだろうなとつくづく・・・。
池田成志もすごいけど、
ダンサーのあの人はなかなかすごい役者だ。
そして、
宮沢りえは圧巻。
やっぱり生の宮沢りえ見ると惚れちゃう。
帰りのスーパーあずさは事故で40分ほど遅れていた。
どうやらグリーン車には「役者さんたち」が乗っていたようで。
一杯おごりたかった。
たまにこういう地方都市で見る芝居ってのも一興だと思った初夏の一日。
月の岬
http://www.seinendan.org/jpn/info/2012/06/tsukinomisaki/#tokyo
見ていたのを半年後に気がついた。
その月は随分と沢山見ていたからついつい書きそびれていたのかもしれない。
いい芝居だった記憶がある。
近藤強さんが脇役ながら重要な役をこなしていた。
ただ、書いているのが11月になってからなので、
私小説的演劇に何か意味があるのか?という問いに対して答えがないとなんとも納得がいかなくなってしまっている。
シレンとラギ
劇団新感線の芝居を見るようになったのは「髑髏城の七人」(青髑髏・赤髑髏)という2バージョンを続けて上演したとき以来。もっとも、水野美紀目当てで観に行ったわけで、あまり新感線フリークというわけでも、ミュージカルも、大きな芝居も(小さい芝居も)興味があったということではなかった。
舞台が綺麗なこと、水野美紀が男前なことに惹かれたけど、一番の感動は「舞台挨拶」の格好良さだった。圧倒的だった。いまだに、あの舞台挨拶を越える舞台はない(笑)。
この会の新感線の舞台は(私の中では)2つめの転換点だった。
1つめの転換点は舞台装置の革命が起きた時代があった。
舞台装置には「プロジェクション」を多用してテクスチャ-を変化させるというすごい技を見せてくれた。昔(1995年頃)ジョージコーツパフォーミングアーツという団体がやったマルチメディアオペラなんてものがあったけど、まさに、そんな感じのものを完成度を高めたそんな感じ。
http://www.bara-samu.com/
今回の舞台は、その、青髑髏のような「新国立劇場中劇場」のような贅沢な舞台装置がないことを逆手にとってなんだろうけど、単純だけど「ぐっとくる」舞台への「入り」「出」を作りだしたんだと思った。
で、
永作は細い・小さい・可愛いそんな40歳・・・。今回の役も、とある事件(仕事)から20年たって・・・。もう一度ミッションが下った。というところから。
そこでその使命を果たすべく、門をくぐる・・・・「どーん」とタイトルが出てくる。
ここで号泣しそうになってしまった。
始まって15分くらいか・・・。
満足して思わず帰りそうな。
流石、いのうえ歌舞伎。
今回は「唄」「踊り」は控えめというか、第一幕にはなかった。
で、衝撃の事実が発覚・・・!!!
役者の動きが止まり、幕が下りた。
ここまでの注目するべきとことは
・高橋克実(ごだい様・・・後醍醐天皇)
・三宅弘城(二代将軍・・・足利義詮)
の圧倒的な役者ぶり。
よかった。ここで満足してはいけなかった。この2人の出番は第二幕で爆発するのだった。
第二幕になって
壮絶な結末に向かっていった。
ラギの運命や如何に・・・・。
エンディングは多分、今までの「いのうえ歌舞伎」とは違うのかなと感じた。
安っぽいことばでいうと「希望」というものが加えられたかのような気がする。
いままでのいのうえ歌舞伎はどんどん「墜ちていく」という作りで、そこに
救いは求めない潔さがあったような気がするが、いや、そうでもないのか?
私の満足度としては
永作が可愛かったことと、
石橋杏奈が可愛かったことが◎。
いや、そこはとても大事なところであって。
藤原竜也扮する「ラギ」の永作博美扮する「シレン」への愛
古田新太扮する「京極」の娘への愛
この辺が物語りの重要なテーマとなっている。
中島かずきは仮面ライダーの脚本も書いていたみたいで、
そこに、それまでの「罪」と「贖罪の思い」、親子の愛と、人としての愛そういうことが見事に交わって、どん底の中で明日への希望を持てた終わりに大満足なわけだ。
永野宗典不条理劇場II劇野郎が来る!
永野宗典不条理劇場Iは今は亡きリトルモア地下だった。
観客の多くは「不条理じゃない」みたいな感触を持ったみたいで、
今回の不条理劇は・・・。
意表をつかれた。
土曜日に「唐十郎」の芝居を見たけど、
その不条理具合に比べるとまだまだ不条理感が薄い感じがしたけど、
・・・・なかなか。
舞台は漆黒の闇から始まる。
そして・・・。
人形劇が始まった。
いつ人形劇が終わるのかと思ったが・・・。
役者4名も姿は徐々に現しはじめるけど、全編人形劇。
感動のエンディングで、舞台挨拶となった。
第三幕で 「世界劇場問答が始まるか」と思った瞬間にはちょっと期待が高まった(笑)
ところが・・・。人形の反乱があった。
終わりは、つるされた糸を切って解放されることで終演となる。
終演の告知を劇場スタッフが言うまでが芝居なようだ。
望月綾乃
という女優、多分初めてなんだと思うけど、
充分に渡り合っていて良かった。
劇場には
本多・中川という仲間も見に来ていたようで。(本多君は私のすぐ後ろにいた)
日曜日に見た「入江雅人」一人芝居も、これくらい気楽に(言い方は失礼になるけど、いい意味で言っているので)やれば続けられるのに、勿体ないってそんな気がした。もちろん、どっちも良かった。ってことは間違いない。
[入江雅人グレート一人芝居]マイクレイジー サンダーロード
2011年10月29日に観に行っている。
http://www.owada.org/play2011.html
「プロローグ(人形との漫才) 」
完璧な登場シーンから
茂木健一郎のブログはうざい・・・というネタへ。
「100 」
ラーメン100杯を「ボレロ」に合わせて食べる闘い。
「デストロイヤー(作:古田新太) 」
ラーメン屋の主人の言うことが次々と現実になっていく。初めは「占い」のようなものだったのがやがて「預言」に・・・。そして。
「富士そばの友人(作:赤堀雅秋) 」
バイト仲間が誕生日祝いに来てくれた。初めて開く誕生日会。テレながらも喜ぶ中年の喜劇。
「スーパーカーナビ 」
こんなカーナビ欲しくない?!
「一人朗読劇「いつか見た青い空」 」
書簡小説の究極の姿がここにある?
「さらば 劇団 松田優作 」
松田優作といえば「なんじゃこりゃ」か?
「Run For The Dream(作:ブルースカイ) 」
独身看護師女子寮管理人になるのが夢だった男がユニコーンに導かれたその道は。
「ブロークバックマウンテン 」
地球に隕石が落ちてくる、そのときに思い出した高校時代の出来事。そして、思い出の山に登山をする。
人に与えられた使命とは?甘い缶コーヒーを山頂で呑む至福のひととき。
2時間半に渡る大一人舞台。
前回のゾンビネタの予告は本編は見ることなく終わった。
とはいえ、前作以上に力の入った作品が次々と登場した。
作・演出・主演と一人でやっているから迷っているようだけど、
これだけの「クオリティ」そうそう見られるものではない。
もっと気楽にやっていいんじゃないか?と思うけど、
そのこだわりが49歳ってことなんだと思う。
同世代ってこともあって、一つ一つが身に染みる。
となりのライブハウスの音漏れとかあまりきにならない。
一人で全部やるのはやっぱり大変だから、新作は一つは自分で、あとは他の人にもらうとか、一人芝居は最後だけにして、あとは2人芝居にするとか、もう少し気楽にやって年2本を目指してほしいって思ったのは他の人も一緒なのではないかと・・・。
ユニコーンが私の背中を押してくれたそんな気がした。
唐組第49回公演「海星(ひとで)」
作・演出:唐十郎
池袋雑司ヶ谷鬼子母神境内
唐十郎の芝居を見るのは当然ながら初めて。
テントで見る芝居ってのは
「シティボーイズ」(池上本門寺)
「椿組夏公演」(花園神社)
テントで見てるなぁって感じは
劇団鹿殺しの「轟のうた」なんかがそんな雰囲気を醸し出してくれた。
ひょっとしたら、青山円形劇場にはそんな気配があるのかもしれない。
観終わっての感想は大きく2つ。
1.今見てよかった。5年前に見ていたら、多分二度と芝居は観なくなっていただろう
会場は、伝説の「赤テント」なるほど・・・。一度は入ってみたいと思ったけど、これかと。入口は1カ所、席の殆どは桟敷席。靴は脱ぐ。長時間だと辛いなとちょっと不安になる。途中15分の休憩を挟んでも2時間かかっていなかったようだ。
2.エンディングは「椿組花園神社公園」「能登演劇堂」と同じ演出手法
流石というか、ちょっと感心。 あれ見せられると全てを許してしまう感じ。 あの手法は川島雄三監督の「幕末太陽傳」とどっちが旧いんだろうか。 何があるかというと、舞台奥は現世とつながっていて、そこに役者が出ていくという・・・。初めて見たのは私の履歴書の「仲代達矢」の紹介した「能登演劇堂」のくだりを見たときだと思う。これは舞台奥が開いて外が見えるという舞台装置だった。劇団新感線の「髑髏城の七人」(新国立劇場)を見たのもいつか記憶が定かでなくなってきたけど、あれは舞台奥から役者が50mくらい走って挨拶するという舞台の大きさを圧倒するものだった。しかし、椿組の芝居では、なんと舞台を壊して明治通りが丸見えになるというすごい演出・・・・。
おまけ、唐十郎を生で見たいと思って行ったが、けがで出ていないという・・・。
芝居に大きな穴が空いた感じがしないから、舞台役者としての関わりは「長塚圭史」的関わり方なのかと思うに至った。
作・演出の人が「主役」をやるというのは結構面倒なことになるんだろうなと思ったのは、東京セレソンDXを見て。作・演出の人がなんでこんな脇役やっているだろうと思ったのは阿佐ヶ谷スパイダースを見て感じたこと。後藤ひろひとになると、その特権をとにかく利用して「解説もしくは前座」みたいな不思議な役回りで登場する。野田秀樹の芝居はあまり観ていないけど、「NODAMAP」の場合には主役ではなく、主役級の舞台の転換点を担う役をそつなくこなしているそんな感じがした。
ハンドダウンキッチン
http://www.parco-play.com/web/play/hand-down-kitchen/
蓬莱竜太の作品は
「Love30」(2006年)、水野美紀、東風真智子、なんかが出ていた回の「You+生瀬勝久」で観ていた。なんか、縁がなかったみたいだ。
登場している役者は
江守徹・・・・・流石の役者だ、いい味ってのはこれなんだろう。
仲村トオル・・・「奇っ怪」で凄いと思った。「黴菌」でもいい感じだった。
基本ああいう役者なんだってことは分かってきた
千葉哲也・・・・新感線とかでよく名前を観るけど、素顔を観たのは初めて?
「寿歌」の演出をそういえばやっていた。
中村倫也・・・・「ロッキー・ホラー・ショー」「muro式4『xyz』」
で観ていた。そういえば、muro式のアフタートークで呑みに誘っても
来てくれないってムロツヨシに暴露されていた
柄本佑・・・・・多分観たのは初めて。時生の方が見た目のインパクトがある。
You・・・・・・「シティボーイズ・ミックス」に出ていたのを思い出した。
佐藤めぐみ・・・今回、このチケットを買った理由は彼女を舞台で観たかったから。
「料理のできない料理人 」
なんといっても、換気扇が回らない・・・空気がなにやらよどんでいるそこに色々な秘密があることが想像つく。この換気扇はいつ回るのか、そこが、そこだけが気になってしまった。換気扇にスポットライトを当ててというので思い出すのは「越後妻有トリエンナーレ」のボルタンスキーの「最後の学校」である(舞台じゃなくて美術作品だけど)。
物語の展開で、外から人が来てなにやら歯車が狂い始める・・・というのはなんとも倉持裕っぽい感じもするけど、違いはその歯車が内部崩壊をきたすようなことはなくて、もう一人の外からの客人(佐藤めぐみ)がその中で和んでしまう感じで、緊張と緩和がうまいこと機能している。
変な人の登場と、その人によって舞台転換があるというのは、シェークスピア以来の伝統なんだと思うけど、今では舞台転換は「携帯電話」で済ませる安易なことが多いけど、この舞台ではしっかり舞台上でその現象を示しているあたりが見事だと思った。(電話は厨房の外で受けて・・・その結果をしっかり登場人物が「語る」、インターネットもその画面の内容を登場人物が「語る」ことでその現象を説明する)舞台だとテレビと違って見せたいものをアップにして解決できないための工夫がいいなと思った。
やはり、映画を撮らない映画監督とか、絵を描かない画家とか、作品つくらないアーティストとか、変なことが沢山あるけど、包丁の握れないシェフがいて、絵描き・ウェブ仕掛け人・ギャンブル好き元居酒屋オーナーが「イケメンオーナーシェフの創作フレンチ」を提供している、この様はすごいと思った。
江守徹が舞台をきりりと締めているのは明らかで、仲村トオルの好きにやっているようで押さえながらやっている所作にかなり感心してしまった。そして、周りを固める役者とのハーモニーは見事だった。Youは好演していたんだと思うけど、なんか小声でボソボソという役が向いている人とそうでない人がいると思って、Youは素のままの怒りキャラが安心してしまう。
ハイライトは
・11件の料理の感想のところ
・江守徹が再現しようとしてできないスープの味の隠し味とは
・そのスープを飲んだ7人の感想のめちゃくちゃ加減
・換気扇が回り始めるところ、長くなる話の予感
で、最後のシーン
やっぱりここでも長塚圭史の多用する演出手法が出てきていた。
いや、正確には長塚圭史のやっている演出とは違うんだけど、やっぱりこれ使うんだと思い出した。
舞台から、出演者が、一人、一人、抜けていって、主役の二人になって、最後に一人・・・。
長い間があって、
戻ってくる、
換気扇が回り始める・・・。
舞台の回りには出演者が戻ってきて二人を見守っている(イメージシーンとしてのとりまきなんだと思うけど)。
なるほど、長塚圭史オリジナルってことではないんだ、こういうシーンは以前からあったんだな。と。
ちなみに「ハンドダウン」
っていうのは「受け継ぐ」というような意味だそうだ。
でも、もう少し違う意味もあるみたいで、真意は今一つわからない。
「評決する」みたいなそんな意味もあるそうだ。
なんか、自分の人生(というか日々の仕事とか、デジタル時代の諸問題)と照らし合わせてしまうかのようなそんな舞台だった。
佐藤めぐみ
舞台挨拶2回目にはメガネをとって出てきてくれてちょっと嬉しかった(笑)
佐藤めぐみがどういう役者なのか、どんな人なのかよくわかっていないので、あの演技が「素晴らしい」のか「素」なのかは今一つ分からない。けど、プログラム読む限りでは「今までにない役」をこなしていたようなので、「よかった」と思うことにした。私にとっては佐藤めぐみの場合は演技が巧い、下手とかそういうこと抜きに、舞台に立って、台詞をこなしてくれる、それだけで充分すぎるくらい満足な気分になる。今回の舞台も、登場シーンは少なく、台詞も少なめではあるが「山猫」の一連の幇助者としての立ち位置をいい感じに表現してくれていた。
「山猫」は注文の多い料理店からとったのは多分間違いなかろう。
そんなフりの巧さも蓬莱竜太のすごさなんだと思う。
蓬萊というと「551」を思い出してしまうのはなんか・・・。
フレンチレストランで
朝食にコンビニのサンドイッチ
昼食のまかないに仕出し弁当
隠し味の「味の素」に気がつかない先代シェフ。息子の指摘で味を再現できて満足する先代シェフ。
料理を作らないオーナーシェフがその再現できた味は再現できたことを理解しつつ「不味い」と言い切る。
100年の秘密
休憩時間を入れて3時間25分の対策。
基本的にケラさんの作品は長時間になるわけだけど、やっぱりこれも長かった。
この芝居の驚いたところは3つ。
その1
世界初なんではないか?(いや、あるんだろうな、きっと)
舞台セットを工夫して「居間」と「前庭」の2つが1つの舞台上に同居している。
メリットは暗転なく演じることができること、2カ所の出来事を同事に表現できること。デメリットは客がぼんやりしているとどこの話か分からなくなる危険性があること。実際にはその話題展開がどこなのかは「照明」「立ち位置」「大道具」の工夫で戸惑うことはなく、しかも「メイドさんの記憶」をベースに物語りを進めるということになっているので、人間の記憶の実際はこんな感じなんだろうということを実感する。
実際自分も歳をとってきて、この記憶の混同感、つじつまのおかしさというのにはとても共感を持ってしまっている。
その2
ということで、その100年をどのように表現するのか、時計の針は進んだり、戻ったり、実際人間の記憶の多くは「時系列」が都合がいい。が、何かを思い出して語る場合に必ずしも時系列の通りだとは限らなくて、概ね時系列、ときどき前後する。この断片化した物語にはなんとも素晴らしい。
その3
多分、「100年の孤独」をフィーチャリングしたんだとは思うけど、観終わって思い出したのは「1900年」だった。いや、いい舞台ってのは一本そびえ立っているとは限らなくて、いくつもの物語が糸のように紡がれているうちの一本をそっとのぞき見するそんな感じになるのかもしれない。
「すごいな」
というのが観ているときに思った感想
「案外小さい話だな」
と思ったのが終わって呑み屋に座ったときの感想
「語るに難しい壮大な話だな」
というのがことばにしようとしたときの感想
で、一晩だって、まだよくわからないところがあります。
(全編観れば、わからなくていいところを除いて、理解できないことは何もない)
いえ、舞台セット、物語の時計が進んだり戻ったり、その辺にかくも見事な仕組みがあることに感動。そして、純愛(ってことでいいんでしょうね)、すれ違いの恋、いわゆる「病気」とでもいったらいいのか性癖、この辺が見事に表現されていて、それがどういうことなんだろう、100年の秘密は「悲劇」なのか、人生とはそういうものなのか、なんてことをフと我が事と照らし合わせてわからなくなってしまっています。死ぬ時に分かることなんだとは思うのですが。いや、そこでもわからないのか、すると永遠の謎になってしまうなぁとも。
あと、長塚圭史の芝居で、出演者が舞台袖(見えるところ)に椅子を置いて、出番でないときに、そこで演劇を観ているという不思議な演出があった。今回の「メイド」が物語を見守る様をみて、なんとなくその「必然性」なるものが見えてきた。
5月19日、中央線が工事のため国分寺から吉祥寺までドキドキしながら移動した。武蔵小金井ー東小金井が折り返し運転になっていて、想定しない駅で大量の乗客が乗降した。なるほど、ターミナルってのはそういう乗降のための「システム」がしっかりしているということなんだ。「慣れ」というものも含めて。
下北沢に異常に若者が多いのも気になった。何かお祭りでもあったのだろうか?
ミッション
あまりにすごいその物語にかなりぐっときた。
その後
「太陽」を見て、似ているなと思いながらも抜群の物語に2作目もそれなりの満足をもって見ていた。なもんで、前川知大というか、イキウメという存在が結構気になっていた。
今回の作品には俄然期待が高まっていた。結論からすると、期待以上のいい感じ。会場もシアタートラムとはいえ満員で客席とくか、観客も満足感で満ちているのが分かった。
このミッションで思い出した人生のエピソード
1988年に、会社のテレビニュースで藤本義一が社員に対しての一言
「俺はどうせ会社の歯車だ、って思っている人がいるでしょうけど、機械の歯車は歯が欠けたら機械は止まります。あなたが会社からいなくなっても会社はつぶれません。せめて歯車になれるよう頑張ってください」
これは新入社員のときに聞いたショッキングなメッセージだった。
誰でもできることをやっているだけ、それが会社員である。
っていうのは今でも色々悩まさせられている。最大の呪縛である。
人間の行動ってのは視覚から脳に認識して身体に「行動指示」を出す結果という反応をすると全然間に合わない。会話においても話を聞き終わってから返事をしていたのでは「とろい」と認識されてしまう。
人間の行動の多くは実は事後的に理由を考えているのではないか?という話を脳科学者から聞いたことがある。その「衝動」とかは何なのか・・・まだ分かっていないようだ。ある意味、神の啓示なのか、何なのか。
仕事と社会のギャップ
生業ということばがあるけど、それは果たして給料をもらうための仕事なのか?それとも社会のために何か貢献をしようとしているのか?本田宗一郎と社員の会話。
本田「今、仕事楽しいか?」
社員(おやじが聞くんだからそりゃそう答えなきゃ・・・)
「あ、はい。楽しいです」
本田「そうか、それじゃ、給料は要らないな。給料は苦痛の代償として払っているんだから」
社員「え・・・・」
という逸話。社員は、多分その後のホンダの社長になった人の話なんだと思う。
自分も含め、会社でえらくなるってこととやりたいことをやるってのは全く独立事象で、経営をやりたいっていう人は相関があるんでしょうけど、やりたいことは仕事になるとは限らない。いや、むしろ仕事になる筈がない。
厄介な叔父
物語のお約束として「厄介なおじさんの周りで事件が起きてあれこれ・・・」
「男はつらいよ」に限らず、物語の基本かもしれない。
この場合、悲劇的結末は似合わない。
物語は「ハッピーエンド」であってほしいものだ。
シダの群れ—純情巡礼編—
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/12_shida/index.html
2010年に第一弾があって
あらかたの人は死んでしまった筈なんだけど・・・。
そっか、続編ということである。
堤真一と松雪泰子という組み合わせは「ガリレオ―容疑者Xの献身」を思い出してしまう。もちろん、あの薄幸そうな松雪泰子にぐっと来たわけだけど、今回は「岩松了ワールド」を堪能しにシアターコクーンに戻ってきたそんな感じだ。
シアターコクーンは改装していて、ここで芝居を見るのは久しぶりな感じ。パルコ劇場とも下北沢の劇場とも、新国立劇場とも違う雰囲気がある。ちょっと似ているのはシアタークリエなのかもしれない。特に、今回は「獣匂」の香水があちこりに・・・。そんな観劇は初めてだ(年齢を重ねた女子が多いということなんだと勝手に想像している)。
今回の芝居だけでも楽しめるっていうことがどこかに書いてあった気がするけど、第1回を知らないと重要なことが見えなくなってしまうそんな感じがする。
第三話があるとすると、風間杜夫が車椅子で出てくる、阿部サダヲがでっかくなって出てくる、荒川良々が片手ないか何かで出てくるあたりから、堤真一と松雪泰子を巡る色恋沙汰と小池徹平の愛情の裏返しの敵討ちみたいな・・・。それは楽しみだ。なんか、そういう大河ドラマチックなものに惹かれるのが人生ってことなのかもしれない。
ヤクザ映画ってのはゴッドファーザーくらいしか見たことなくて、たまたま、鷹の台駅前の本屋で「アナーキー日本映画史1959-1979」(洋泉社MOOK)を見てびっくりした。東映実録映画、松方弘樹の話を見て俄然興味が沸いてきた。なるほど、シェークスピア劇のような「嫉妬」と「裏切り」を表現する世界として歴史があるんだということがわかってきた。
あきらかに第3話を意識したかのエンディング。
しかし、この人の描く女というのは、なんか面倒な感じがキャラクターだ。
劇中に役者役で登場した役者荒川良々はでかいなぁと感心。
エンロン
2010年5月に「ザ・パワー・オブ・ザ・イエス」
http://www.owada.org/play2010.html
2009年11月に「デッド・キャット・バウンス」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1347626826&owner_id=14373
なんかを見ている。私にとってはいわゆる「経済演劇第三弾」ということになる。
よかった・・・。
役者さんは特にどうということはないんだけど、
(ロングランなのか?疲れた役者さんが目立った、知らない役者さんが多かったのも特徴)
脚本は、エンロン事件の裏まで見えてきて、芝居に深みがでていると感じた。経済に詳しくない人でも勿論それなりに楽しめるようになっているし、なんとなく事件の真相が分かることも、演劇で経済の勉強というのがアリなんだ。 イギリス演劇というか、イギリスのいいものだけが日本に来るからか、とても舞台が綺麗。その舞台が綺麗ということだけで、3時間近い舞台に客席で耐えることができるのか?
現代人には是非みてもらいたいそんな気分になる芝居だ。
で、やっぱりイギリスはすごい。舞台が綺麗だ。 これに尽きる。
しかし、この芝居、シェークスピアよりも激しいドラマになっているところがすごい。
なるほど、経済ドラマ。これは一つのジャンルになることがわかった。
「ASH&Dライブ」Vol.3
第1回・第2回と観に行った筈だんだけど、あまりしっかりとした印象がない。似た会では「斉木しげる」が若手を集めた会があって、それは築地本願寺でというなんかすごいものだった(実際には普通の貸しホールがあってそこでやる会だった)。第2回まで中心にいた筈の「ユリオカ超特Q」は出ないようだ。いつの間にかムロツヨシは名前が前の方にある。山田雅人の名前もある、夙川アトムの名前がない・・・。
前回に続いて「前進座劇場」。この劇場は1月で閉館となるらしい。伝統芸を見るにはいい箱だとは思うけど、前の席の人の頭で舞台はちゃんと見えない。この劇場は「流れ姉妹」を見に来て以来。
ザ・ギース
阿佐ヶ谷姉妹
中村有志
久本朋子
ニュー喜劇2本
シティボーイズ
2時間弱の演目だった。
斉木しげるの話がなんとも深かった。
斉木しげるの話がなんとも深かった。
内容はこんな感じ。
「ロト6」をかれこれ10年同じ番号で毎週買い続けている。あるとき、そのロト6を2週続けて買い損ねたことに気がついて「不安」が高まった。案の定、「外れ」だったので、その不安は杞憂だったのだけど、ここで、その不安は自分が作り出したものであることに気がついた。そもそも、ロト6を買い続けなければこのような不安はそもそも存在しなかった。という話。
で、きたろう・大竹まことの突っ込みでボロボロになってしまったけど、
その次が本題で、
今の若い人は「表情が暗い」のが気になる。昔の若い人は世の中への不満が顔に表れ暗いという感じだった。なんで暗くなってしまうか?。それは未来に対しての不安があるからである。その不安はどこからくるのか?「期待」「予想」があるからで、常に「泰然」としていればそんなことにならない。常に闘うそういう姿勢を持つことが大事だ。
というようなことを言っていた。
だんだんグダグダな話になったが、要するに「不安」の仕組み。その考察は見事。
ニュー喜劇というと、後藤ひろひとが吉本でやりたいと言っていたもののことであろう・・・。今までにない喜劇をやりたい・・・新しい喜劇・・・新喜劇・・・で吉本新喜劇の脚本・・・王立劇場という大胆なものがあったけど、こちらのニュー喜劇は確かに、今までにないものではある。
乱暴に言うと「フィクション」≒すべらない話。話芸(ぴん)+脇役も入れて再現シーン≒現代劇
確かに新しい形だと思う。
絶頂マクベス
第一弾は悩殺ハムレット
第三弾は発情ジュリアスシーザー
だそうだ(第一弾はシアタートラムで見た。ガールズナイトで大変なものも見てしまった)。
舞台は大道具を使うことなく、女優と照明プランだけで「マクベス」を90分で演じきる・・・。なかなかすごい。シェークスピアを知らない人は楽しめるのか?マニアには楽しめるのか?テキトーに知っている私には丁度いい感じ。しかし、会場が「男」ばかりなのが・・・。女子はガールズナイトに行くのだろうか?
主役の深谷由梨香は前作に続いての主役、メガネ姿がなんともいい。メガネ姿というと、スコットランド国王役の荻野友里がなんともかわいらしい女優なんだけど、すぐに殺されて出番がなくなって残念。
そして、なんといっても怪優・岡田あがさは圧巻だった。
http://kaki-kuu-kyaku.com/main/?page_id=555
アフタートークもなかなかよかった。中屋敷法仁の人柄、姿勢が見えていい感じだった。
予想外なことはあまり出てこなかったけど、贅沢なスタッフで「桃太郎」をやりたいという。水野美紀が1年ちかくかけて桃太郎を書いていたが、そういうものなのか?
七味まゆみという人がどういう人か今ひとつ分かっていないので、そこだけ違和感を感じた。
終わってから近所のつくね専門店で一杯。
テキサス
作:長塚圭史
演出:河原雅彦
出演:星野 源、木南晴夏、野波麻帆、岡田義徳、福田転球、政岡泰志、伊達 暁、吉本菜穂子、山岸門人/湯澤幸一郎、河原雅彦/高橋和也、松澤一之
なんかそうそうたるメンバーが出ていて、個々の出演者はとてもいい感じ。
前日に見た芝居が濃かったってこともあって、今日はちょっと薄れてしまった感がある。
ともあれ、動物電気の政岡泰志は服を脱いでいるからってことだけではなく、存在感が多きい。その割には物語の重要な役割はなかったような。福田転球は、さすが関西の最終兵器といわれるだけに(誰が言っているかはしらない)最後に見事なオチを見せてくれた。なんとなくそんな予感もあったんだけど、流石。
伊達暁はやっぱり、政岡泰志が脱いじゃったから脱ぐタイミングを逸したのか?そこはポイントじゃないんだろうけど。そして、山岸門人は良い役もらったなぁ。あの不気味さは鹿殺しで鍛えたものが見事に開花したかんじがする。
吉本菜穂子、基本的に彼女のやる役のような女は嫌いで(笑)その嫌いな女を見事に演じているということでやっぱり凄い女優なんだと思う。本谷有希子が大事にするのも分かる気がする。
高橋和也、実はこの人はよくわからない。すごい存在感と、物語進行上とても重要な役割を担っていた。あの濃い顔、整形をしていない、闘鶏のライバル、そして・・・。ジャニーズ(男闘鼓組のメンバー)だったらしいんだけど、いやはや、すごい。6児の父ってところでも尊敬してしまう。
松澤一之は予想通り、岡田義徳も予想の範囲、野波麻帆はなるほど。いい役だけどそれだけか?
125分の舞台はあっというまというほどあっさり進むものではないけど、それなりのテンポで楽しめるのかもしれないけど、実は終演後「どんより」感があまりに強い。日曜日に見る(べき)芝居ではなかった・・・。
ただ、これだけ一人一人の役者がしっかりしていると見ていて楽しい。
10年前の作品の再演らしいんだけど、やっぱり2011.3.11以降に見るべき、やるべき芝居なのかどうかというところでちょっと残念な感じ。
ともあれ、お気に入りの役者さんが沢山いたことと、女優目当ての私としては「木南晴夏」という女優を発見したことで収穫ありということとする。
この感じ・・・。
モーリー・スウィーニーの翌日にベッジパードンを見たあのときと同じかもしれない。
(谷賢一がすごいってことなんだろう)
くろねこちゃんとベージュねこちゃん
「くろねこちゃんとベージュねこちゃん」
作・演出 谷賢一
アトリエ春風舎
http://www.dcpop.org/stage/next.html
3月16日
いやはやすごいものを見た。
今年一番の芝居だと思う。
感想はちゃんとまとめて書きたい。
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=33830
その他、気になったことがいくつかつらつらに・・・
その1
3列目のL側にいたんだけど、ポタポタと水琴窟みたいな音が聞こえるところが何カ所かあった。
雨が外では降っていたので、箱の構造上でそうなっているのか、
演出としてその効果音を出しているのか。
その2
アフタートークでスマホをいじりながらなにやらやっている谷賢一。
あとで知ったけど、BGMをスマホからコントロールしていたみたいだ。
その3
「くろねこ」と「しろねこ」という明確なキャラクター設定ではなくて、「おかあさん」の内面をどういう役割分担で吐露しているんだろうかよくわからない(それは別に悪いわけでもないんだけど、分かりやすさからは離れてしまった気がする。そして、わかりやすいkればいいわけでもなく、良かったんだけど、芝居に「ピエロ」は1人なのかな、なんで2人いや、二匹なのかと気になってしまった)。
その4
9:40すぎると「音楽出し」はNGになるそうな。
向原の夜は早い。
スケベの話
最優秀団体賞受賞記念講演
ブルドッキングヘッドロックvol.22
女々しくてシリーズ
スケベの話
バットとボール編
http://www.bull-japan.com/stage/sukebe/
11名の役者が舞台一杯に登場する。
話は甲子園の話だけど、甲子園は出てこない。
甲子園の試合前夜までの3日間の話。
観に行ったのは
はるさんが絶賛していたのと、佐藤みゆき(こゆび侍)が出ているのを見つけたから。谷賢一の「ヌードマウス」でいい演技をしていた。ついつい当日券目当てで会場に行った。
あっという間の2時間20分だった。
高校時代の甘酸っぱいなにやらが見られた。
大川役の河村紗也(競泳水着)もよかった。
9人の野球部員もいい。
作・演出:喜安浩平
ということだけど、ナイロン100℃とはあたりまえだけど違うテイストでありながら、ちょっと似た感じもある。
設定が細かいというところがナイロンっぽかった。
作りそのものは「元禄忠臣蔵」を思い出す(元禄忠臣蔵はいわゆる「討ち入りシーン」がない。打ち入りまでの話と、討ち入り後の話がちょっとということになっている)というか、肝心のところは描かない。いや、大事なところはその本番前だよということを語っているのであろう。そういう芝居とか、映画とか、表現するものは私は好きだ。映画でいうと「地獄の黙示録」の最後の炎上シーンのないコッポラ版とかってことだ。
で、この演出は流石だと感心した。満足した。実は、予想としては、試合のシーンは「暗黒でナレーション・音」だけであっさり終わるってのも期待していたけど、そうすると谷賢一のパクリになってしまうから、それはやらないのが正解だとも思った。
セイなる夜編
次回作
気になる・・・。
持ち主、登場
作・演出・出演:大倉孝二、峯村リエ、村岡希美、KENTARO!!、ブルースカイ
声だけ:生瀬勝久
うっかり買って見てしまった。
思い出したのは、竹中直人の会とか、中島らもの「桃天紅」とか、プロペラ犬「ネガヒーロー」とか、役者がやりたいとこういうことになるのか・・・。というような苦々しい思いもありながら、無事1時間50分は終わった。
そりゃもう、大倉孝二と峯村リエと村岡希美を見たくて行っているわけだからそう、細かいところは文句言うことはない。
最後に出てきた娘がかわいいくてよかった。
最後の「ベンチ」のシーンはシュールでいいんだけど、その必然性が薄いのがちょっとご愛敬だったり、あそこまで「古典」を入り交じらせながら「大化の改新」となって、話がとっちらかってしまうのは残念。そりゃ、大倉君ではなくて、藤原君だったら「なるほどぉ」となるわけだけど、こうなると殆ど妄想が病んでいるのか?というような状態で。
始めに出てきた「tomorrow」のオチが見えてこないあたりに、ちょっと不満がある。
文句がつい出てきてしまったけど、そりゃ、普段はあの完成度の「ナイロン100℃」の芝居をやる人たちなわけだから。
峯村リエの「えげつないヘアヌード写真」是非見てみたい。
とはいえ、#11はすごい。次回に期待という思いも強い。
で、シブゲキは座席がなんか変である。開演後に入場されるのはやっぱり勘弁してほしい。
3名ほど周りでうろうろされたが、ちょっと迷惑を越えて腹立たしい。
ベルが鳴る前に
「ベルが鳴る前に」
作・演出:倉持裕
出演:小林高鹿、ぼくもとさきこ、玉置孝匡、近藤フク、吉川純広、奥菜恵 ほか
今までみたPPPPの芝居で一番登場人数が多い芝居だ。(客演だけど)やっぱり、奥菜恵はいい。とてもいい。今回の芝居は一人(タマキング)以外は、一人二役だったようで(大体正しいと思うんだけど自信はない)、そのどちらの役も「華」があってよかった。奥菜恵芝居は、阿佐ヶ谷スパイダースで見たのだけれど、それも抜群だった。役者ってのはいい演技ができればそれでいいんだって思った瞬間だった。ベニサンピット最後の講演でなんかそれもあいまったということもあるのかもしれない。
基本、芝居は役者がよければそれでいいんだけど、この芝居、シナリオもなかなか見事な作りで、乱暴に言うと「ゴドーを待ちながら」「走れめろす」「渚にて」「ノアの方舟」とか、いろいろな話がSFと神話とがあいまってできあがっているようで「イロアセル」と似た匂いがあった。
「ホムンクルス(錬金術)」vs「科学技術」、「知らないことの幸運」vs「知っていた上での間に合わない」「自分の目標のために邁進」vs「困っている人を助けながら生きていく」、「選ばれた人」vs「全ての人を」、あたりが、この芝居の構成要因かと思う。で、いつ来るかわからないその日のために「万端の準備をしておく」「全力でやりきること」が・・・。もっとも、見事なオチがあって、帰りの電車では、後ろの男性が「あれはないだろう」と言っていたのも半分賛成・半分苦笑という感じ。
舞台セットには「ロベルトの操縦」同様、主題が真ん中にあって・・・。この舞台転換には痺れた。そして、そのスピード感を出すために「街灯」を動かす様が見事だった。そして、タマキングが最後置き去りにされるところに妙技があった。なかなかいい大道具さんがいるもんだ。
いつあるかわからないことのために「指名されて待機」するという狂気。生き残るための2つの行動と、それを取り巻く2つのリアクション。この辺はいい加減に描いていることにも好感が持てた。
ヌード・マウス
すごい芝居に出会った。
谷賢一の演出は
「国道58号戦線異状なし」「モーリー・スウィーニー」に次いで3回目。ただ、「脚本谷賢一」は今回が初めて。青年団演出部に所属しているとか、活動もそこかしこで見かけるのだけど、なかなか見る縁がなかった。今回も「手塚」さんに教えていただいて、「プロペラ犬」楽日チケットを手放してまでして(演劇の魅力を教えてくれたのは水野美紀で、実際、私の場合「女優目当て」で見ているだけである。脚本とか、男優とかには基本興味ない)、観に行ったという私にとって、これはかなりの覚悟というか事件である。
無理すれば二本立てで見ることも可能だったけど、そういう芝居ではない予感もあり、「プロペラ犬・ネガヒーロー」は前の週に行った。
今、9年前の「思い出」を発掘するという「事業」を抱えていて、色々なことに気がついている、今日この頃。
昨日の「青春漂流記」「ヌード・マウス」と続けて「過去」「未来」ということについてとても重要な示唆を与えてくれる芝居だった。 もう少し詳しく言うと「過去」「未来」というものは、人間の脳が作り出している「妄想」であり「想像力」であり、その「思い出」もしくは「妄想」なるものは自分の脳内に形成されるものであると結論づけてしまうとそれでおしまいだけど、他人とどう共有できるのかということが大事なんだということが段々わかってきた。
このヌード・マウスの脚本は、脳科学の諸々について随分と詳しく説明がなされている。前回の、モーリー・スウィーニーは翻訳劇とはいえ、両方に随分と深い関係があるのは間違いないだろう。いや、単に谷賢一が、そういった脳科学「Predition」に対して「Postdiction」という不思議な現象があることが脳科学の進歩で分かってきている。人間が
それはともあれ「ヌード・マウス」
山本亨・佐藤みゆき
の演技に痺れた。
イキウメの「太陽」なんかも、似た傾向の話なんだと思うけど、コピーチラシにあるとおり「ジュール・ヴェルヌ」は19世紀にあれだけのSFを書いた。ヴェルヌの想像はほぼ、20世紀に実現した。人間の想像できるこは「実現できる」
まさに、その通りで、今、想像することを放棄しすぎてしまったのかもしれない。それは量子力学が台頭したからなのか?
そう、そんな「確率論」の話は
http://kakuritsuron.sub.jp/
これはこれでなんと挑戦的な芝居だと感心したんだった。
更に、去年の春には「夏への扉」の舞台をみたのだった。
http://www.youtube.com/watch?v=18UTlFfU8tY&noredirect=1
SFの切り開く未来を今、語るべきなんだ。
そんなところに、若い才能を振り向けるべきんだんだなと、今ではそう思うようになった。
コピープログラムを見てきになったことがあって「ドラマトゥルク:野村政之」とあった。ドラマトゥルクって「時代考証」とか「校閲」とかそんな立ち位置なのか?と思っていたけど、これはちょっと違うようだ。これまた調べてみないと・・・。ドイツに始まるこのドラマトゥルクという職業は現代のメディアにおいても必要な職業であるなということに気がついた。
こういう芝居が今後も「テアトル・ド・アヌール」ではこれからも続けて欲しい。
谷賢一次回作は
Dull-colored Pop Vol.11
くろねこちゃんとベージュねこちゃん
3/14〜4/8 全国6都市ツアー
3/14〜18 アトリエ春風舎
東京・新潟・仙台・京都・大阪・広島・東京
稽古場公開
仕込み公開
執筆公開
は結構緻密にウェブで公開されている。
http://www.dcpop.org/index.html
青春漂流記
なんと、紀伊國屋ホールへ進出となった。
紀伊國屋ホールというと、つかこうへいが数々の芝居をやっていた場所だってのはきいたことがある。私はここ5年くらい芝居を見ているような新参者なので、そんな事情は知らないのだけど、このホールで演劇をやるってのは、とある人にとっては憧れであるとともに、目標なんだろうなと思ったりする。私がここで見たものというと、中村有志ワンマンショーと、大宮エリー、ヨーロッパ企画とか、そんなもんだったりする。
今回の客演は豪華で、
主役には高田聖子(劇団☆新感線の看板女優)
重要な脇役に、廣川三憲(NYLON100℃)、村木仁(おにぎり)が出ている。
村木仁は劇団☆新感線に良く出ていたと思うんだけど、去年、座高円寺で「おにぎり」という演劇ユニットを立ち上げて、すごい芝居をやってくれた。いのうえひでのりが小さい箱で小さい芝居の演出をやったってのも画期的だったと思っている。
話は戻って、この3人の客演のおかげで?百千万(再演)以来の見たなかでは、鹿殺し「最高傑作」に出会えたと思っている。芝居には色々な要素があると思っていて「役者」「脚本」「舞台」「熱気」「完成度」「客席との一体感」みたいな沢山の要素があってのものなので、一概に何がいい、悪いってのはいいずらいのかもしれないけど、一言で言うと「実社会」と密接に関わっていて、バランスが良くてということである。
今回の舞台となったところは「元町高架下」ここには2011年秋に「神戸ビエンナーレ」で訪れている。まさに、この芝居のとおり「復興の起爆」として現代美術を利用しようとしていた。
芝居は、フィンガー5なのか、ジャクソン5なのか、アイドルの栄枯盛衰と、夢に向かった挑戦と、歳の衰えと、世知辛い世の中との闘い、嫉妬と、夢を捨てないこと、そして、それを支援する人々の愛と友情と、日本的怪奇話が入り交じった秀作。
もし、まだ元町高架下商店街を知らない人はぜひ訪ねてほしい。
ネガヒーロー
プロペラ犬公演は第1回から行っている。
旗揚げ公演「マイルドにしぬ」(2007年11月 - 12月 作・楠野一郎、演出・入江雅人、客演・河原雅彦)
第2回公演「ジャージマン」(2008年11月 - 12月 作・楠野一郎、演出・福原充則、客演・設楽統(バナナマン) 玉置孝匡(ペンギンプルペイルパイルズ))
第3回公演「サボテニング」(2009年11月 - 12月 作・楠野一郎、演出・倉持裕(ペンギンプルペイルパイルズ)、客演・福田転球 猫背椿(大人計画))
番外公演「アウェーインザライフ」(2010年6月 作・楠野一郎、演出・河原雅彦、出演・水野美紀 村上知子(森三中) ソニン 小林顕作(宇宙レコード、コンドルズ) 伊藤明顕 市川しんぺー(猫のホテル) 木野花)
第4回公演はかなりそれまでの様相とは違っている。そもそも、水野美紀はOCNで月1のエッセイを発表している。1年近くにわたって「桃太郎を執筆」していたので、ひょっとしてという予感があった「作:水野美紀」。こうなると「プロペラ犬を支える楠野君はどうなる?!」ということが心配である。
作者が舞台に出るというのは大きく2つのパターンがあると思っていて、ひとつが「詫間孝行」的「俺様」脚本。もちろん、脚本は自分を主役として一番光る形で描いている。これはこれで心地良い。他の役者は(多分)たまったものではないのだろう。でも、客は満足できる。そして、あれだけ「泣ける芝居」を作れる詫間孝行はすごいと思う。
ちょっとひねった形なのが「丸尾丸一郎」。出ているけど「演出はしない」。主役ではない(重要な役だけど)。
で、一番変わっているのは「長塚圭史」であろう。完全な脇役で登場している。
アフタートークとか、ボクたちの時代とかで長塚圭史が話しているのを見る限り、その芝居の空間で立ち会いたいということらしい。ボクたちの時代で「市川染五郎」「北村有起哉」と鼎談しているのを見て謙虚なのか、自己顕示欲旺盛なのかよくわからなくなったのは2011年の12月頃の話。
で、今回はプロペラ犬初の、水野美紀が主役ではない芝居。しかも、番外編同様、一編の物語となっている。オムニバスを見せてくれるのでもいいのに、頑張っちゃった感がひしひしと伝わってくる。
とにかくプロペラ犬については「いい」「悪い」ではなくて、水野美紀のアツイ思いを受け止められるかどうかにかかっている特殊な「舞台」だ。いや、これは舞台というよりは「生き様」なんだと思う。
第1回の入江雅人が演出となったことは、入江雅人の人生にも色々な与えたようだ(プログラムにはそうあった。2011年11月に入江雅人の一人舞台を見たが、なんでそんなことを再開したのか、劇団も再開したとか・・・)。
入江雅人=ウッチャンナンチャンファミリーということは分かっていたけど、ああ、こういう人なんだと、入江雅人を知ることができた、とてもいい舞台だった。その舞台をみたのも「シブゲキ」だった。
プログラムによると入江雅人は(も?)プロペラ犬旗揚げ公演に「アツイ」ものを感じたようで、第1回旗揚げ公演以降に、忘れていた何かを思い起こされたようだ。
で、肝心の本編は、2時間15分くらいのちょっと長めの舞台だった。
実力派俳優を配して、「根がヒーロー」は着々とすすんでいく。
根がをネガティブと受け取るとちょっと展開に誤解が生まれる。いや、ネガティブなことも充分に物語には登場している。
あれだけの配役に物語りがあるのだからそれをオムニバスにして、本編の暗転代わりに使って、展開すればいいのに、なんか、IOHの芝居みたいな流れにしてしまったのはちょっと勿体ない気がする。そして、話自体は、入江雅人一人芝居の最後のネタを思い起こさせるようなものがある。いわゆるストレートな芝居。もちろん、日本一のアクション女優だけに、殺陣はたっぷり。水野美紀と前田悟のアクションシーンは「恋人はスナイパー」以来のいい感じ。そして、この前田悟は寡黙で雄弁な語り部として大事な役割を持っていた。
第5回も楽しみだ。
(もっとも、今回の客入りは次回への大きな課題となるような気がする。立ち見も出るほどの客入りになると思い込んでいた私にとっては、意外な空席に意表を突かれた)
これだけ熱い思いをもって演劇(の全て)に関わっている女優は他に知らない。
(補筆:なんて書いていたら、1月29日のTBS情熱大陸に登場予定と)。
寿歌
http://www.siscompany.com/03produce/36hogiuta/index.htm
出演:堤真一・橋本じゅん・戸田恵梨香
演出:千葉哲也
北村想・・・有名な劇作家みたいなんだけど、初めて見る芝居だった。
この芝居は、色々なことを言っているのも分かるし、こういう終末的舞台は嫌いじゃない。そういえば、こんな芝居を見たなというのは、イキウメ「太陽」が似たテーマを引きずっているのかと思うけど、イキウメは絶望と希望が入り交じった感があって、少し救いがあった気がしている。その一方で、この「寿歌」には絶望の先にある「救い」は見た直後にはまだ分からない。
プロローグの部分は新たなる書き下ろしらしく、確かに、橋本じゅんがナニモノかということと、あのプロローグと、エンディングを合わせると希望というか、3.11以降の救いのようなものが見えてくる感じがする。
ともあれ、80分という短い時間に盛り込むのが大変だったのか?舞台は綺麗だった。橋本じゅんの真面目な演技もよかった。堤真一の台詞トチリも含めて良かった。戸田恵梨香も頑張っていたと思う(多分、吉高由里子がやったらもっと良かったんだろうなぁと密かに・・・)。
ミュージカル「モンティ・パイソンのスパマロット」
featuring PSAM®
1月15日(日)13:00開演
http://www.spamalot.jp/
2012年初の芝居は「ミュージカル」になった。
買った理由は「モンティ・パイソン」「池田成志」「戸次重幸」「ムロツヨシ」「皆川猿時」というなじみの役者が気になって。
ミュージカルということは殆ど意識していなかった。
結論からはミュージカルも面白いもんだ。
ってことで、まさにタイトル通り「スパム」が沢山な芝居で、本編はあっという間に終わるような話なんだろうに、寄り道が沢山。肝心の歌姫の登場はちょっと・・・。彩吹真央なる元タカラジェンヌの唄いっぷりにちょっと惚れた。
ともあれ、主役の「ユースケサンタマリア」は置いておいて。
池田成志 この中では一番その「芝居」を見ている。さすが、どんな芝居も全力で取り組む。圧倒的だった。
劇団新感線の「鋼鉄番長」のアキレス腱断裂前の回を奇跡的に見ている。「どんな芝居も全力で取り組む」というその姿勢に好感を持った。(あげくにであるし・・・)。他では、「49日後」「流れ姉妹」あたりが印象に残っている。そんなこんなの集大成として(なこと言っては失礼か)見るのもまた楽し。
戸次重幸 2010年の最高傑作ドラマ「宇宙犬作戦」で存在を知った。以来、久しぶりに見かけたけど、その迫力は出し切れていなかったと思う。片桐仁みたいな名バイプレイヤーで光るタイプなのか。この濃い人たちの中では霞んでしまうのもやむなしか。
ムロツヨシ 「サマータイムマシンブルース」以来、気になっている俳優。ムロ式も結構見ているけど、テレビにも最近登場している。全力で取り組んでいた。ムロツヨシは唄は得意なのか、全力で下手なのか、本当のところを知りたい。
皆川猿時 初めてみたのはR2C2メカロックオペラのファミレス店長役が多い役者として紹介されていた。流石にエネルギッシュだ。
見てわかったのは、ミュージカルというのは脇役がしっかり唄ってくれるといい唄になるってこと。メインの役者は頑張っていればいいってことで。
で、この話は「アーサー王伝説」がベースになっている。
アーサー王伝説とは・・・。