1961夜に昇る太陽
なんと、
第2部
第3部
が何かの予告があった。
スターウォーズ方式とでもいったらいいのか。
冒頭にエンディングがあってエンディングが実は第3部のどこかととながっている。
第2部・第3部が誰が主役なのかもわかった。
百花亜紀のお母さんがいなければ、辛いだけの芝居だったかもしれない。
人形劇がちょっとした救いを作ってくれたのかもしれない。
東谷英人のあの長台詞、よくぞ噛まずに・・・。見所だ。
そして、声だけの出演の「軍曹」も・・・コワイ事言っている。
大原町長も・・・なるのど。
気になったは「方言」
そりゃ、理解できないほどなまっていたら演劇にならない。
適度にゆるくしたわけだ。
終わってからの説明で納得した。
私にとっては、すっごく乱暴なことを言うと「全員が集まっているシーン」あの山場だけで構成してもいいのでは。
と思ったけど、それはマニアックすぎる。多くの人に見て見貰いたいという工夫がこの舞台の構成になっていることを
終わってひしひしと感じてきた。
白蟻の巣
すごいものを見てしまった。
ちょうど前の週には「不信」を池袋芸術劇場で見た。
どちらも「夫婦」を巡る話
時代が違うこと、
モロモロ違うことは多々あれど、
大道具が突然動くという共通項目があった。
あと
なんで平田満なんだろうと、前半に思ったことは、
休憩後に急速に意味が深まる・・・。
そして、村川絵梨が・・・。
村川絵梨というと「歌姫」を思い出す。
一番の驚きは、三島由紀夫がこういう戯曲を書いていたということだ。
猟銃の「井上靖」以来の驚きだ。
三好十郎といい、日本の昔の戯曲も捨てたものではない。
テレーズとローラン
初めてのシアターウエスト
さすがだ・・・。
谷賢一得意の時間の逆行(伏線の回収みたいなせこいことはしない)
原作の脚本化(しかもゾラ・・・)
役者は厳選
贅沢な舞台配置
90分という無駄のない作り(役者も疲れるし、あの密度で2時間は客も辛い)
てなことで、絶妙。
前日に見た「コメディ」を全部忘れてしまった。
奥村佳恵(おくむらかえ)はny best actressになってしまった。
ケラさん「黒い10人の女」
白井晃「天守物語」
に次いで、私が見るのは3回目だけど、
結構なキャリアは積んでいるようだ。
(しかも大舞台ばかり)
演劇
当分みられないのかと思うと結構残念だ。
白鳥の湖と絶叫・・・熱海殺人事件
子どもが主役・・・プロペラ犬
円形舞台・・・円形劇場
エンディングの部屋・・・劇団本谷有希子の遭難
それがdull-colored-popとしてまとまっている。
初めはどうなることかと不安になったが、
後半に急に緊張してきた。
そして、
中田顕史郎の2役の豹変ぶりが流石。存在感ありすぎる。
エンディングの部屋は、まるで「12人の怒れる男」のような。
いや「優しい日本人」の方かもしれない。
そして、
大原研二の迫力は「お母さん」「ウィトゲンシュタイン」を凌いだ。
『DULL-COLORED POP名作短編集』
本編『演劇』とは別に、かつてとっても高い評価を頂いたダルカラ短編2作品をスペシャル復刻上演! 2009年初演、バカバカしさに笑えて切なさに泣ける伝説の業界初・飲尿ミュージカル『エリクシールの味わい』(初演の際の上演時間:約40分)と、2015年に初演され、駆け抜ける無敵小学生ゆめあVSわるい大人たちの80年代演劇風・全力芝居が話題をさらった『全肯定少女ゆめあ』(初演の際の上演時間:約15分)。1公演で2作品、同時にお楽しみ頂けます。
とあるが、確かにすごい・・・。
『エリクシールの味わい』
絶対に行くことのないバーだが、興味が俄然わいた。
思い出したのは「YMO」が「君に胸キュン」を全力で演奏していた時代。
ETERNAL CHIKAMATSU
流石、谷賢一。と思わせるところと、これでいいのか?というのがあった。シアターコクーンってのは、なんとも見晴らしの悪い劇場だ。うっかり観劇前に「日経新聞」の記事を読んでしまった。あまり劇評ってのはアテにならないことが多いのだけれど、これは賛同できることがあった。
2つの時間を結びつける演劇ってのは、もっと小さな劇場でやるか、あの大きさなら、あの大きさの舞台装置をそれなりに作ってくれないとなんか「ついていけない」感があるってことがわかった。
アテルイを「歌舞伎役者」によって新橋演舞場で上演したときには、「中村七之助じゃなくて、稲森いずみだったらよかったのに」と思わずおもったが、先週は新橋演舞場で「稲森いずみ」が、今週はコクーンで「七之助」。なんかそんな巡り合わせのようだ。
最後のシーンで、フと思い出したのは「豊穣の海」。先週観た、「乱れ鶯」では「無法松の一生」を思い出した。パクリとかそういうことではなくて、そういう連想とか、想起とか、そういうことができることが大事なんだと思う。立ち見席も一杯なのは納得。
あと、深津絵里は休憩20分以外は全部舞台に出っぱなし。
この手法は・・・「長塚圭史」がよくやっていた「演出」だった。
しかも、劇中劇があってその劇を舞台上の役者が観ているってのは本当に不思議だ。いや、一人は劇作者が舞台上にいるわけで。
ひょっとすると、客席中央で観たらこの時代をいったりきたりは、別の見え方があったんじゃなかろうか。そうそう何度も見るわけにもいかないから。
そういえば、シアターコクーンに行くときには雨の日が多い。雨は舞台に似合うけど、なかなか演出で使うのは難しいはずだけど。
TUSK TUSK
「TUSK」とは象などの牙を意味しているらしい。
http://www.owlspot.jp/performance/151210.html
今年見た芝居で一番衝撃をうけたものかもしれない。
子ども・子役は嫌いだが、これはそういう概念を吹っ飛ばす。
社会の問題をそのままのど元に突きつけられた。
舞台には笑いは一瞬たりともない。
これだけの絶望を見せつけられたのは、
・・・
「人情紙風船」
「子猫をお願い」
以来かもしれない。
・・・
「モーリー・スウィーニー」
「ヌードマウス」
「TOKYOスラムエンジェル」
「従軍中のヴィトゲンシュタインは・・・(以下略)」
に繋がるものか。
思えば、
「死と乙女」
「マクベス」(佐々木蔵之介)
「Lost Memory Theatre」
「ストレンジ・フルーツ」
「国道58号戦線異状ナシ」
演出だけのもの、脚本提供も随分みた。
俺とあがさと彬と酒と『ふたりマクベス、ほか短編』の年末やら、
どうやら、ダルカラはこれだけ見ているみたいだ。
- 第11回公演『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』作・演出(2012年3月~4月、東京・アトリエ春風舎/新潟・新潟りゅーとぴあ主劇場/仙台・せんだい演劇工房10-BOX box-4/京都・アトリエ劇研/大阪・in→dependent theatre 1st/広島・レイノホール/東京・アトリエ春風舎)
- 第12回公演『完全版・人間失格』作・演出(2012年11月、こどもの城 青山円形劇場)
- 若手企画公演『プルーフ/証明』翻訳・演出(2013年5月~6月、シアター風姿花伝)
- プロデュース公演『最後の精神分析 ─フロイトVSルイス─』翻訳・演出(2013年10月、日暮里d-倉庫)
- 第13回本公演『アクアリウム』作・演出(2013年12月~2014年3月、東京・シアター風姿花伝/福岡・ぽんプラザホール/大阪・in→dependent theatre 2nd/仙台・せんだい演劇工房10-Box box-2/岡山・天神山文化プラザ)
- 番外公演『プルーフ/証明』翻訳・演出(2014年5月~6月、サンモールスタジオ)
- 第14回本公演『音楽劇・河童』作・演出(2014年7月、吉祥寺シアター)
- 第15回本公演『夏目漱石とねこ』作・演出(2015年2月、座・高円寺1)
- Mrs.fictions『15 minutes made vol.13』参加作品『全肯定少女ゆめあ』作・演出(2015年8月、王子小劇場)
- 第16回本公演『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』作・演出(2015年8月~9月、東京・王子スタジオ1/大阪・in→dependent theatre 2nd/岡山・天神山文化プラザ)
死と乙女
なんでこの舞台を見たのか
「カズオ・イシグロ」なる作家が気になったから。
安田成美が見たかったから。
演劇史に残る名作ということばにダマされて見てしまった。
シナリオ・役者についてはこんなもんなんだろうと思う。
大空祐飛という女優は初めて見たけど、最後列から2番目でもカッコイイのが分かった。
(シアタークリエはそういう方のやる劇場なんだってことも分かった)
豊原功補も迫力があった。
風間杜夫はやっぱり流石だ。いい役もらったなとつくづく感心する。
そして、演出の「谷賢一」
彼の持っている全ての技を出し切った感がある。
暗転シーンの使いどころ(休憩が適度なタイミングで)
幕が下りてからの芝居どころ(客席扉から客席を通って・・・)
音楽の使い方(逆に使っていない)
PAの使い方(あまり使っていないけど、意外なところで横から音が出てきたりする)
次にやるときに「どんな技」を見せるのか。
ちょっと大変だろう。
シューベルトは「問題のあるレストラン」で「どうだ」というくらいいいシーンを作っていたが、
こんな壮絶なものがたりに使われるとは。
ちょっとシューベルトに対する印象が変わってしまった。
夏目漱石とねこ
いやぁ、よかった。
劇評はこちら
谷賢一は外さない。
http://www.wonderlands.jp/archives/26638/
「夏目漱石とねこ」
密度の濃い、緊張感ただよう舞台。でもねこが沢山登場してその緊張感をときほぐしてくれる。「河童」「正岡子規」「I love youの英訳(月がきれいですね)」。
「今日は特に月が綺麗ですね」
「昨日も今日も明日も変わりはしませんよ」
には参った、本当に素晴らしいシーンだ。
でも、意味がわからない(^_^)
(夏目漱石の妻はいい妻なのか?悪妻なのか?)
この舞台では
開演前にすでにねこちゃんが登場していた
http://q.hatena.ne.jp/1298092060
前半では舞台に「ネコ」として全役者が舞台上にいた
http://q.hatena.ne.jp/1298091595
しかし、相変わらず谷賢一には外れがない。終盤、号泣しそうになってしまった。
http://www.dcpop.org/stage/next.html
DULL-COLORED POP「夏目漱石とねこ」
- 投稿日: 2015年3月4日 13:40
大和田龍夫
「谷賢一」演出の演劇をいくつ見たか数えてみた。初めて見たのは2010年のサンモールスタジオでの「国道58号戦線異状ナシ」(再演)の演出以来だった。結構見ていることがわかった。Théâtre des Annales『ヌード・マウス』(2012年1月@赤坂レッドシアター)、『モリー・スウィーニー』(2011年6月@シアタートラム)、第11回公演『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』(2012年3月)、第12回公演『完全版・人間失格』(2012年11月)、「俺とあがさと彬と酒と」(2012年12月)、第13回本公演『アクアリウム』(2013年11月)、第14回本公演『音楽劇・河童』、「証明/Proof」(2012年6月)(2014年5月)、Théâtre des Annales vol.2『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン…(中略)…の事実にまつわる物語』(注)(2013年3月)、「最後の精神分析 フロイトvsルイス」(2013年10月)、Théâtre des Annales vol.3「トーキョート・スラム・エンジェズルズ」(2014年11月)。随分と観てきたものだ。
並べてみて気がついた。誰でも知っているような有名人にまつわる「作品」が多い。もっとも「作・演出」とは限らず、「演出のみ」「翻訳・演出」「大きなテーマを『さいとう・たかを』の劇画的プロダクションシステムで制作した演劇(Théâtre des Annalesシリーズがこれなのだろう)」いくつかのものに分類できるようだが、分類してもあまり意味はなく、本人も多分演劇への関わり方にさしたるこだわりはなく「関わり続けること」、演出を続けることに意義を感じているのではないかと勝手に解釈することにした。機会があったら訊いてみたい。
ここ5年で、これだけの数観ているのは「中屋敷法仁」「前川知大」くらいだ。この2名と谷の違いは、Wikipediaで名前がでてくるかでてこないかがある(2015年2月現在)。こういう批評を書くときには困る。本当に困る。自ら「演劇悪魔」と名乗るだけあって、これだけ観ても「外れのない」舞台を私に提供しつづけてくれる。ありががたいことだ。
今回「夏目漱石とねこ」とこれは「我が輩はねこである」なのか、「黒ねこちゃんとベージュねこちゃん」の続編的ものなのか、色々な妄想をふくらませて会場に行くこととなった。
座・高円寺は横に広い舞台という印象がある。実際、前から2列目だったのだが、舞台の上座・下座を一望することはできず、きょろきょろしないと舞台の全貌がわからない。開場時点、開演前から既に「1匹のねこ」が舞台にたむろしていた。来場者はそれを「敢えて無視」しているのか、気がつかないのか、談笑する声の大きい人がいたり、ひそひそ声の人もいたり、劇場全体に緊張感が走りながらもその緊張感を打ち壊す瞬間もあり、その不思議な空間は面白いとしか言いようがない。
【写真は、「夏目漱石とねこ」公演から。撮影=石川純 提供=DULL-COLORED POP 禁無断転載】
物語は「夏目漱石」死が間近になったところに、「縁(ゆかり)」のあるネコが日本全国から「はせ参じる」ところから始まる。浅草から熊本まで沢山のネコが臨終の場にはせ参じようとしている。夏目漱石はまだ生きていて、危篤電報に激高する。
そこから、シーンは夏目の青年期に戻る。この戻るシーンでは「全ネコ、臨終前の漱石、門下生A、妻」は舞台上そこかしこで、演劇の進行を「観て」いる。以後、死期の迫った漱石、門下生A、妻は舞台上いずこかに登場する。回想シーンということなのであろうか。ヨーロッパ帰りでこどもが小さい頃、お金に苦労しながら大塚保治・大塚楠緒子とのやりとり、まだ「作家となっていない頃の漱石」。
次のシーンは松山で正岡子規と鰻を食べる。鰻代、二人前で3円50銭は漱石が出していた。この時点で漱石がどちらかわかっていない。小さい部屋に住んでいるのは分かったが、こんなところでくすぶっていてはいけない「ホトトギス」を刊行すると言った時点で「正岡子規」と「夏目漱石」が区別できた。漱石も私は「あんなに太っていたことはない」、と激高していたが、舞台で唯一「緩んだ」ひとときだったと記憶している。
続いて、浅草の幼少の頃の「お坊ちゃん」時代の漱石。縁日に行って親に杖で殴られた記憶。「本当の親は」ということを知る。
そして、終盤に、話は再び漱石が病床に伏して、書類整理をしているシーンにつながる。「今日は特別月が綺麗だ」という漱石の妻に対することばに、妻は「月なんていつもあるじゃないですが、昨日も今日も明日もかわりゃしませんよ」とのやりとりがでてくる。このシーンは後でまたふれることにする。
最後のシーンでは門下生Aとのやりとりが。「河童をテーマにした本を書きたい」。という言葉に対して、「あせってはいけません。ただ、牛のように、図々しく進んでいくのが大事です」と。門下生Aは夏目の妻に促され、縁側から「葬儀場」に向い、舞台は幕となる。靜かな、とても濃厚な1時間50分であった。
一通りの夏目漱石の「雰囲気」「キャラクター」は夏目の危篤の知らせに集合したネコになんとなく転写されているようで、夏目漱石の「著書」を読破していない浅学な私にも、夏目漱石を堪能させてくれる、そんな気分になる。楽しむという気分ではなく、これだけ「舞台からの圧力」の高い芝居は滅多に体験したことがない。2時間を越えたら押しつぶされてしまうのではないか、そんな芝居である。その圧力の一方で、夏目漱石が「死を前にした時間」「二十代」「三十代」「幼年期」と時間を飛び越えながら物語はテンポよく進行している。
「月が綺麗ですね」と妻とやりとりするシーンが、この芝居の殆どの印象を形成してしまった(私的な理由なのであるが)。というのも、たまたま、観劇する2週前、テレビ「相棒」で「月がきれいですね」というくだりが犯人逮捕へのきっかけとなる放送回があった。この「月がきれいですね」は、何かでそのような「翻訳を英語教師として教えた」という伝承があることをどこか、何かの話で、私はたまたま知っていた(有名なネタなので知っている人も多かろう)。
そういった事情で、私の中では観劇時点で、漱石に対して何らかの期待が高まっていたのである。夏目漱石の小説は読むには読んだが、50代になった今、40代で再読するチャンスを失った(40になって読み直すと読書感が変わると、多くの人に言われたのを記憶している)。夏目漱石はあまりこれといった影響を私の人生に与えていない。この「月がきれいですね」の真相はわからないが、「I love you」を何と訳すのか。「我、汝を愛す」という生徒のことばに対して「日本人がそんなことを言うわけがないだろう、月が綺麗ですねとでも言っておけ」と言ったという逸話に対する谷賢一の答がこの演劇に出てくる。
漱石:「今夜は月が綺麗だ」
漱石:「こういう月を見ると思い出すことなどが沢山ある。お前ならいつの月を思い出す。…」
鏡子:「さぁ。いつのでしょう。あたしにはいつもの月にしか見えません、昨日も同じような月でした。明日もきっと同じようなおつきさんですよ」
漱石:「しかし、今日の月はいつもより綺麗だよ」
このことばに込められたやりとりはどういう意味があるのだろう。観劇後時間がたった私の感想は「相思相愛」ということにしておくことにした。観劇直後には「漱石が妻への感謝の言葉と愛情」を伝える一方で、妻は「結婚したときから気持ちは変わってはいない」その気持ちは「愛ではないのだろう」と思っていた。
漱石は「妻に対する不信感」「癇癪持ち」「孤独」「偏屈」「うだつの上がらない」というか一言でいうと「屈折感」に満ちた男。漱石の妻は「悪妻」で有名だというのを(実は)観劇後に知った。ロンドン留学で挫折を味わったという逸話は有名だが、確かにWikipediaなりで夏目漱石の人生を調べてみると、この演劇の展開のような人生が「小説家夏目漱石」の裏側にあったというのを納得してしまう(演劇の背景はWikipediaを見ると大体意味が分かる旨の解説が、谷自身によってプログラムに書かれている)。どこからが「史実」でどこからが「創作」なのかわからなくなってしまうが、演劇にはそのような「無限」の可能性を持ったものであるのだから、これでいいのだと思っている。
漱石が門下生Aに「牛になりなさい」と伝えるその門下生Aの書きたい小説のテーマは「河童」だった。ちなみに、河童はDULL-COLORED POP第15回上演作品(原作:芥川龍之介)である。
日本で上演される(海外の)翻訳劇というのは「日本の演劇」に比べて大きなテーマがあるような気がしてならない(日本でも通用する内容なのだからテーマが大きいのは当然ともいえるが)。「エンロン事件」「サブプライムローン問題」などといった(本来難解であると思われる)経済劇すらやってしまっている(経済の素人が見ても分かりやすく、かつ、楽しく見られる工夫に驚かされるのである)。私がそのような「日本発」の演劇を観る機会はあまりない。私が初めてみた日本人による経済劇は「トーキョー・スラム・エンジェルズ」だ(もっとも経済劇なるジャンルがあるのかどうかは知らない)。大きなテーマを扱う人物としては「野田秀樹」を真っ先に思い浮べてしまう。次は…そんなことに「挑んでいる」演劇人のひとりに、「谷賢一」がいるのかと期待している。時代の最先端の話題を「劇画」のごとく演出を続けている演劇家がいる。その歩みは「牛」というよりは「奔馬」のごとき勢いを感じている。
(2015年2月11日14:00 観劇)
【筆者略歴】
大和田龍夫(おおわだ・たつお)
1964年東京生まれ。東京都立大学経済学部卒。現在は武蔵野美術大学・専修大学非常勤講師(メディア論)、ビッグデータの解析に従事。「季刊InterCommunication」元編集長。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/owada-tatsuo/
【上演記録】
DULL-COLORED POP vol.15「夏目漱石とねこ」
座・高円寺1(2015年2月5日-15日)
作・演出 谷賢一(DULL-COLORED POP)
出演
東谷英人、塚越健一、中村梨那、堀奈津美、百花亜希、若林えり(以上、DULL-COLORED POP)、大西玲子(青☆組)、木下祐子、西郷豊、榊原毅(三条会)、佐藤誓、西村順子、前山剛久、山田宏平、渡邊りょう(悪い芝居)
(注)正式タイトルは下記の通り。
Theatre des Annales vol.2『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行“──およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない”という言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか? という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』
ワンダーランド
休止となる
http://www.wonderlands.jp/archives/26608/
私が投稿させてもらったものはこちら
http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/owada-tatsuo/
DULL-COLORED POP「夏目漱石とねこ」
◎目の前の相手に直情的表現することが苦手な表現者「漱石」、複雑な心は坊ちゃん時代から
「谷賢一」演出の演劇をいくつ見たか数えてみた。初めて見たのは2010年のサンモールスタジオでの「国道58号戦線異状ナシ」(再演)の演出以来だった。結構見ていることがわかった。Théâtre des Annales『ヌード・マウス』(2012年1月@赤坂レッドシアター)、『モリー・スウィーニー』(2011年6月@シアタートラム)、第11回公演『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』(2012年3月)、第12回公演『完全版・人間失格』(2012年11月)、「俺とあがさと彬と酒と」(2012年12月)、第13回本公演『アクアリウム』(2013年11月)、第14回本公演『音楽劇・河童』、「証明/Proof」(2012年6月)(2014年5月)、Théâtre des Annales vol.2『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン…(中略)…の事実にまつわる物語』(注)(2013年3月)、「最後の精神分析 フロイトvsルイス」(2013年10月)、Théâtre des Annales vol.3「トーキョート・スラム・エンジェズルズ」(2014年11月)。随分と観てきたものだ。
彩の国さいたま芸術劇場/ホリプロ「わたしを離さないで」
◎大きな芝居を小さな劇場で上演したら、小さな劇場で上演された芝居を大きな劇場で上演したらと妄想しながら
彩の国さいたま芸術劇場は開館して20年。新国立劇場中劇場、神奈川芸術劇場より長い歴史を持つ有数の大劇場だということに少し驚きをもって会場に向かった。実はこの演劇チケットを買ったのは「農業少女」で好演した多部未華子が脳裏から離れなかったからと、倉持裕脚本であることがその理由。蜷川演出、カズオ・イシグロ原作にはあまり惹かれてはいなかった(というよりはその事実をヒシヒシと感じたのは会場に着いてからだった)。
muro式「グラフ~その式を、グラフで表しなさい、~」
◎器用な客演役者と不器用な主演・演出・脚本家による3つのコント
着々と大きな劇場に移っていくmuro式。第1回は見ることができなかったが(チケットは買っていた)、第2回以降、欠かさず見に行くようにしている。今回で初回から4年が過ぎているとのことで、それなりの回をこなしているようだ。ムロツヨシなる役者の存在を知ったのは映画「サマータイムマシン・ブルース」だった。しばらくの間「ヨーロッパ企画」出身の役者だと勘違いしていた(それほど、当時は違和感がなかったというか、個性が薄かったというか)、次第にムロツヨシの存在は、濃いのか、薄いのかよくわからない謎というか、異様な役者という実感を持つようになっていた。
ギンギラ太陽’s 「翼をくださいっ!さらばYS-11」
◎3つの仕掛けは東京地方公演を福岡にいる気分にさせてくれた
2005年の再演となったこの芝居には、普通の芝居に慣れた者には意表をつく3つの仕掛けが待ち受けていたのである。
プロペラ犬「マイルドにしぬ」
◎「死」をテーマにした連作コント集 持ち味出した水野美紀と河原雅彦
テレビから舞台へその活躍の場を変えてきた水野美紀が脚本家と演劇ユニットを立ち上げたという不思議な舞台を見る機会に恵まれた。テレビタレントが様々なサイドビジネスをする例はあれども、テレビタレントがお金を儲けると副業としてレストラン経営などをする人が多いそうで、それをとあるタレントは、そんなノウハウも経験もないことに手を出すくらいなら、映画監督をやった方がまだ似たジャンルのことをやっているのだから、許されてもいいのではないか?というようなことを言っていたのを思い出した。
ペンギンプルペイルパイルズ「ゆらめき」
◎妄想を増大させ狂気の階段を昇る
マンションの一室で、まるで田舎の寄合所であるかのようなにぎやかな家庭で繰り広げられる「永年の友人」と「知り合ったばかりの友人」が夫婦に降り注ぐ些細な事件を大きな妄想により大事件に拡大させている、まさに、狂気の階段を昇っていく2時間の舞台であった。
トーキョー・スラム・エンジェルス
経済劇・・・大きなテーマと小さい話が入り交じったいい話。
舞台演出も「円形劇場」の最後を彩るいい感じ。
相変わらず「谷賢一」は外さない。
なんとも皮肉なことを落語で言っていた。
プルーフ/証明
同じ芝居を3回も見るのはこれがはじめてかもしれない。
と思ったら、髑髏城の七人が3回あった・・・。
「はる」さんから「天才っぽさがない」「数式のすごさが分からない」という指摘があったけど、
その部分は勝手に「素数」ってことで補ってしまっていたかもしれない。
前回よりもより洗練された気はする。
ハル・山本匠馬、クレア・遠野あすか、ロバート・大家仁志
が見事だった。
(百花亜希はもともとお気に入り女優なので☆☆☆☆☆この役は最後かな、年齢的にも)
最後の精神分析
「最後の精神分析—フロイトvsルイス—」翻訳・演出 谷賢一
やっぱりすごかった。
あのBBCラジオから流れて来た曲目は何なのか知りたい。
今まで観たモノで、谷賢一でハズレはないのがすごい。
丁度「葛河思潮社」とカブル設定もあって、それがまた思いが増幅した。
こういうすごい脚本を見つけてくる能力に長けているところも見事。
しかし、この谷賢一が女優を綺麗に使っている芝居はあまり見たことがない。
(ストレンジ・フルーツの南沢奈央は良かった。そういえば)
90分2人芝居、圧倒的な台詞回し、二人の対峙、個々の葛藤、最後のラジオから流れる音楽。
あまりにも素晴らしすぎる。
イングリッシュジョークもなかなか。最後のイングリッシュジョークに全ての矛盾と答えがあるのが。
しみじみと、今になって更に伝わってくる。
イングリッシュライトミュージックはこのCDの2曲目だった。
プルーフ/証明
うっかりその公演を見落としていた。
こりっち舞台芸術の手塚さんのFBで知って慌てて見に行った。
4年前にこれをやっていたのか・・・。
凄い作品である。
手塚さんのFBにこんなコメントを。
既にこの段階で「谷賢一節」が出来上がっていたんだと感心した。
「モーリー・スゥィーニー」「ヌード・マウス」「ストレンジ・フルーツ」
「くろねこちゃんと・ベージュねこちゃん」「完全版人間失格」
「国道58号戦線異常なし」
今までこれだけの演出(作・演出)も含めてみたけど、
再演であることに驚きを禁じ得ない。
そして、主演女優の「百花亜希」の熱演に拍手。
中田顕史郎は「モナミザ」で見たことがあって、そういう俳優だと分かっていたので、
驚きはなかったけど、やっぱりいい(すごい)役者さんだ。
で、後半の別演出バージョンも気になって見に行くしかないと覚悟した・・・。
もうひとつのバージョンも見た・・・。
結論では床の仕上げ、舞台の全体の色意外は別格・・・。
ストレンジ・フルーツ
ストレンジ・フルーツ
http://www.strange-fruits.jp
本当の意味は違うみたいなんだけど、
かなり刺激的な芝居になっていた。
どこからが「谷賢一」演出のなせる技なのか。
前回は「ラブリー・ベイベー」河西裕介(国分寺大人俱楽部)によるもの
上田誠(ヨーロッパ企画)によるもの
着実にちゃんとした芝居をちゃんとやるグローブ座にびっくりである。
そして、
これは「てごます」と評判の増田君目当ての観客がすごかった・・・。
away感一杯である。
こういうすごい話にジャニーズファンがついてくるということを「仕掛けている」人にも感心。
谷賢一がまた一歩階段を上ったそんな感じである。
「かな」の南沢奈央はあんなに細い体だとは思わなかった。
テレビではもっとぽっちゃりした感じだった。
深谷由梨香はいつも通り熱い演技。脇役としてはよかったかも。主役を食わない演技ができるんだとちょっとした発見。
ウィトゲンシュタイン
2013年3月29日(金)~4月7日(日)
Théâtre des Annales(テアトル・ド・アナール)
『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行─およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならないという言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか?という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』
作・演出:谷賢一
変人か、偉人か?狂人か、天才か?志願兵として前線にいたウィトゲンシュタインが、 暗号混じりの文章で日記帳に書きつけた『論理哲学論考』の草稿、そこから浮かび上 がる、軍隊生活、死との戦い、「仕事」への責務と欲求、愛、そして自殺の誘惑。かの 有名な「語り得ぬことについては人は沈黙せねばならない」という言葉の裏に隠された ウィトゲンシュタインの真意と祈りを、戦火の東部戦線という背景が炙り出す、 Théâtre des Annales第二作。
見事な作品だった。正直、まだ沈黙せねばならない状態だ。
俺とあがさと彬と酒と
俺とあがさと彬と酒と
向原の「アトリエ春風舎」で
谷賢一・山崎彬・岡田あがさ
による
「マボロシ兄妹」
作・演出 山崎彬
出演 岡田あがさ 谷賢一
「ふたりマクベス」
作・演出 谷賢一
出演 岡田あがさ 山崎彬
傷は浅いぞ
なんと、これを「岡山」でも上演するようだ。
この見事な主役っぷりにちょっと痺れた。
5年前の深谷友梨香を見てみたかった・・・。
・・と思っていたら「ワンダーランド」の劇評で
「谷賢一」が見事な文章をしたためていた
http://www.wonderlands.jp/archives/12333/trackback/
(完全版)人間失格
実は、太宰治は一切読んだことないので、
どこまでが「人間失格」でどこからが「オリジナル」なのかわからない。
円形を本当に円形で使ったのを初めてみた。
舞台の作り・構成・エンディング
流石だ・・・。
主役が途中で二人に分裂するあたりは見事。
そして、舞台装置の乱暴な投入の仕方に苦笑。
会場(座席)に荻野友里と谷賢一とこりっち舞台芸術の手塚さんを見つけた。
手塚さんに終演後、谷賢一を紹介しますよ・・・と言っていただいたが遠慮した。
(いや、太宰治知らないから・・・笑、とは言えなかった)
初日であの完成度、いや、初日と楽日でどうちがうのかなんて、見比べたことのない私には関係ない話ではあるのだけど。
この主役の「コロ」なる女優は女体シェークスピアで知った女優で、なんか男前な女優だった。
この5月に柿食う客を退団したことを今日知った。なんかあったんだろうけど、柿食う客の芝居にはなんとなく合わないそんなな気はする。もっと広いところで活躍してほしいと思った。
くろねこちゃんとベージュねこちゃん
「くろねこちゃんとベージュねこちゃん」
作・演出 谷賢一
アトリエ春風舎
http://www.dcpop.org/stage/next.html
3月16日
いやはやすごいものを見た。
今年一番の芝居だと思う。
感想はちゃんとまとめて書きたい。
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=33830
その他、気になったことがいくつかつらつらに・・・
その1
3列目のL側にいたんだけど、ポタポタと水琴窟みたいな音が聞こえるところが何カ所かあった。
雨が外では降っていたので、箱の構造上でそうなっているのか、
演出としてその効果音を出しているのか。
その2
アフタートークでスマホをいじりながらなにやらやっている谷賢一。
あとで知ったけど、BGMをスマホからコントロールしていたみたいだ。
その3
「くろねこ」と「しろねこ」という明確なキャラクター設定ではなくて、「おかあさん」の内面をどういう役割分担で吐露しているんだろうかよくわからない(それは別に悪いわけでもないんだけど、分かりやすさからは離れてしまった気がする。そして、わかりやすいkればいいわけでもなく、良かったんだけど、芝居に「ピエロ」は1人なのかな、なんで2人いや、二匹なのかと気になってしまった)。
その4
9:40すぎると「音楽出し」はNGになるそうな。
向原の夜は早い。
ヌード・マウス
すごい芝居に出会った。
谷賢一の演出は
「国道58号戦線異状なし」「モーリー・スウィーニー」に次いで3回目。ただ、「脚本谷賢一」は今回が初めて。青年団演出部に所属しているとか、活動もそこかしこで見かけるのだけど、なかなか見る縁がなかった。今回も「手塚」さんに教えていただいて、「プロペラ犬」楽日チケットを手放してまでして(演劇の魅力を教えてくれたのは水野美紀で、実際、私の場合「女優目当て」で見ているだけである。脚本とか、男優とかには基本興味ない)、観に行ったという私にとって、これはかなりの覚悟というか事件である。
無理すれば二本立てで見ることも可能だったけど、そういう芝居ではない予感もあり、「プロペラ犬・ネガヒーロー」は前の週に行った。
今、9年前の「思い出」を発掘するという「事業」を抱えていて、色々なことに気がついている、今日この頃。
昨日の「青春漂流記」「ヌード・マウス」と続けて「過去」「未来」ということについてとても重要な示唆を与えてくれる芝居だった。 もう少し詳しく言うと「過去」「未来」というものは、人間の脳が作り出している「妄想」であり「想像力」であり、その「思い出」もしくは「妄想」なるものは自分の脳内に形成されるものであると結論づけてしまうとそれでおしまいだけど、他人とどう共有できるのかということが大事なんだということが段々わかってきた。
このヌード・マウスの脚本は、脳科学の諸々について随分と詳しく説明がなされている。前回の、モーリー・スウィーニーは翻訳劇とはいえ、両方に随分と深い関係があるのは間違いないだろう。いや、単に谷賢一が、そういった脳科学「Predition」に対して「Postdiction」という不思議な現象があることが脳科学の進歩で分かってきている。人間が
それはともあれ「ヌード・マウス」
山本亨・佐藤みゆき
の演技に痺れた。
イキウメの「太陽」なんかも、似た傾向の話なんだと思うけど、コピーチラシにあるとおり「ジュール・ヴェルヌ」は19世紀にあれだけのSFを書いた。ヴェルヌの想像はほぼ、20世紀に実現した。人間の想像できるこは「実現できる」
まさに、その通りで、今、想像することを放棄しすぎてしまったのかもしれない。それは量子力学が台頭したからなのか?
そう、そんな「確率論」の話は
http://kakuritsuron.sub.jp/
これはこれでなんと挑戦的な芝居だと感心したんだった。
更に、去年の春には「夏への扉」の舞台をみたのだった。
http://www.youtube.com/watch?v=18UTlFfU8tY&noredirect=1
SFの切り開く未来を今、語るべきなんだ。
そんなところに、若い才能を振り向けるべきんだんだなと、今ではそう思うようになった。
コピープログラムを見てきになったことがあって「ドラマトゥルク:野村政之」とあった。ドラマトゥルクって「時代考証」とか「校閲」とかそんな立ち位置なのか?と思っていたけど、これはちょっと違うようだ。これまた調べてみないと・・・。ドイツに始まるこのドラマトゥルクという職業は現代のメディアにおいても必要な職業であるなということに気がついた。
こういう芝居が今後も「テアトル・ド・アヌール」ではこれからも続けて欲しい。
谷賢一次回作は
Dull-colored Pop Vol.11
くろねこちゃんとベージュねこちゃん
3/14〜4/8 全国6都市ツアー
3/14〜18 アトリエ春風舎
東京・新潟・仙台・京都・大阪・広島・東京
稽古場公開
仕込み公開
執筆公開
は結構緻密にウェブで公開されている。
http://www.dcpop.org/index.html
谷賢一
今まで見たのは2つの「演出」ということになる。
「国道58号戦線異状なし」
国道58号戦線の解散公演を谷賢一が演出していた。
ハマカワフミエ、とってもいい女優だと思っている。
作者が演出したものを見ていないので、どう独創的かは今ひとつわからなかった。
オキナワの話で、オキナワを熟知しているような、オキナワとかけ離れたような、不思議な感じがした。
「モーリー・スウィーニー」
2011年に見た演劇で最高だった。
演出の見事さに感服した。
最後の暗黒で5分くらいであろうか、南果歩の独白のシーンに痺れた。
基本的に相島一之が好きな私は彼のその演技にちょっと涙した。
物語そのものは「レナードの朝」を思い起こさせるものがあるが、
確か、どちらかがどちらかに影響を及ぼしていたはずだ。
で、
1月に
「テアトル・ド・アナール」
を立ち上げ
「ヌード・マウス」
を公演する。
http://www.nudemouse.jp/annales.html
2012年の観劇計画
2011年の芝居の記録はこちら
で
2012年にやる芝居はよくわかっていないけど、
こんな芝居は見に行きたい。
劇団☆新感線
シレンとラギ
http://www.shiren-to-ragi.com/index.html
久々の中島かずき+いのうえひでのりによるいのうえ歌舞伎
劇団鹿殺し
ヨーロッパ企画
劇団本谷有希子
PPPP
ナイロン100℃
あたりははずさないでおきたい。
女体シェークスピアシリーズ
入江雅人
ムロツヨシ
シティボーイズ
も外せない。
葛河思潮社のシリーズがあるのならこれも見ておかねばならない。
猫のホテル(千葉雅子)もあるなら見てみたい気分。
谷賢一は天才だと思うので、彼の作・演出ががあるなら見てみたい。
劇団「国分寺大人倶楽部」なんかも見てみたい。
イキウメ(前川知大)も気になる。
青年団はどうしたものか。アゴラという空間は魅力的なんだけど。あまりその劇団を観に行ったことはない。
野田秀樹というか、NODA MAPもどうしたものか。
動物電気は時間があえば観に行きたいか?どうする?という感じだけど、ああいうのはやっぱり見続けることが大事そうだ。
今年の観劇ライフは「プロペラ犬」から始まる。
さてどんなことになるやら・・・。