ベートーヴェン交響曲のピアノ用編曲
バーンスタイン
そうえいば、バーンスタインにはあまりいい印象がない。
理由は簡単で、
ガーシュインのラプソディーインブルー
をアンドレプレヴィンのと比べて
こりゃダメだと思ったのだった。
あまりニューヨークフィルにも、バーンスタインにもいい印象がなかった。
(カラヤン同様といったらいいのか・・・)
そんな中で、バーンスタインのベルリンフィルのマーラー9番が「すごい」という話が知恵袋にあるのを見て
気になってしまった。
で、買ったのが、
バーンスタイン交響曲全集
ウエストサイドストーリーサントラ+キャンディード+ラプソディーインブルー+巴里のアメリカ人
実は、全く違った感想になった。
もっと聴きたい気分になった。
良い作曲家で、いい指揮者だったんだなと。
いざ、鎌倉へ「ブルックナー8番」
5回目、最終回とのことで、
このシリーズは全部聞きたかった。
大フィルの「大ブルックナー展」は2015年1月24日だった。
N響は、さすが、大きい音を出してくれる。
バランスも崩れない。音も外さない。最終楽章のテンポのブレもちゃんとついていく。
(崩れて欲しいような、ほしくないような)
で、
なんと、翌日には、
スクロバチェフスキー+読売日響の「ブル8」が・・・。
長原幸太がコンマス席に座っていた。
大植英司時代の大フィルのコンマス。
ffffになるとイナバウワーになって弾くのがなんか良かった。
話はもどって、
井上道義は、例によってプレトークをしてくれた。
ブル8の謎について・・・語った。
第4楽章には、
第一楽章、第二楽章、第三楽章のテーマが再現されていると・・・。
第三楽章のテーマがどこにあるのか、
楽譜にはあるそうで、
で、そこを探したくなった。
しかし、第4楽章の「死の行進曲」そんな言い方なんだと思って聴くと、確かに、
ブルックナーの死の感覚は私には分からないかもしれない。
次のコンサートは
ブルックナー5番を西宮まで
なにはともあれ、
プログラムの解説がなんとも秀逸なものだった。
鎌倉芸術館の底力を感じた。
クラシック音楽への道(オケ編3)ドボルザーク
ドボルザーク
「ドボ8」=「イギリス」、「ドボ9(コン)」=「新世界より」
「新世界より」は、多分知らない人はいないくらい有名な交響曲だろう。
セル・クリーブランド
これくらいの緻密なサウンドなら「どうだ」という曲になる。
9番も折角ならアメリカのオーケストラで聴きたいものだ。
チェコフィルというのでいいんだろうけど、
そうなると
バーンスタイン・ニューヨークになってしまうか。
小澤・ボストンがあるならそれもアリなんだけど、CDで見つからない。
で、
ドボルザークというとチェロ協奏曲も気になる
ヨーヨー・マとマゼール・ベルリンの組み合わせは興味深い
(聴いていないけど、マゼールは弦楽器奏者の気持ちがよく分かる指揮者だから、もとヴァイオリニストだから)
クラシック音楽への道(オケ編2)ブラームス
ブラームスの名曲というと
ピアノの名手だけに「間奏曲」
「ピアノ協奏曲」
などもあるけど、
「クラリネット五重奏曲」
なども捨てがたい。
で
交響曲は
圧巻の「1番」
熟成は「4番」
絢爛は「3番」
自信の「2番」
この順で私は好きだ。
シンフォニー1番でこれだけの代表作になるのは珍しい。
交響曲1番のびっくりする演奏は
ベイヌム・コンセルトヘボウ
第4楽章のフィナーレがすごい・・・。超特急だ。爆笑ものの終わり方。チェリビダッケの真反対の構成。
定番はやっぱり
ミュンシュ・パリ官
なんでフランスなんだ。といわれてもいいものはいい。
迷いに迷って作った曲だけにためらいない演奏がいいんだろうと思う。
4番になると、生で聴いたこともあって、チェリビダッケのあのノロリノロリ演奏が魅力的だ。
ベートーヴェンほど落ち込みもせず、音楽の作りも普通で気持ちいい。
ここまでで抵抗がなくなったら、ようやくオーケストラの王道への道へ進むこととなる。
と、まった、その前にこれがあったか・・・。
ハンス・ロット
すごい作曲家がいたものだ。
というよりはこのような作曲家は沢山いるんだろう。
「ハンス・ロット」
その才能を認めていたのは「ブルックナー」と「マーラー」
というのがなんとも。
「交響曲」が出ている
こんな(SACD)CDも出ている
仕方ない。買って聴いてみるしかない。
大ブルックナー展
大フィル×井上道義のコンサートは2回目、一昨年の「第九」以来。
しかも今回は「ブルックナー8番」
「いざ鎌倉」の鎌倉芸術館のN響とのブルックナー9番も良かったけど、やっぱりブルックナーなら大フィルだ。
大フィルの演奏は朝比奈時代から聴いているけど、たまたま1999年〜2002年まで奈良にいたので、
朝比奈の最晩年をシンフォニーホールで耳にというか、心に焼き付けることができた。
で、大フィルは、大植英次になって随分演奏が変わった気がした。
彼が辞めてから(良い意味でも悪い意味でも、いや、良い意味はないか?)元の大フィルサウンドに戻ってしまった感がある。
それはは「始まりのビビり」「縦の不揃い」みたいなところ。
でも、大フィルの魅力はそんなことを越えたところにある「勢い」がやっぱりいい。
(そもそも、日本のオーケストラでブルックナーを「どうだ!!」みたいに演奏しているのあまり聴いたことがない)
(というより、30年近く、マーラーかブルックナーじゃないと聴きに行かないし、そもそも)
で、今回。
ワーグナーチューバ
ホルン
はトチリはなくホッとした。
そして、第3楽章のシンバル・トライアングルは出番にちゃんとこなしてくれた。
第4楽章に登場するコントラバスファゴットも頑張って出番をこなしていた。
コンマスも「すごい動き」で魅せてくれた。前のコンマスも凄かったけど、ちょっとあの躍動感はすごすぎだ。
第3楽章からどんどん魅入られるのはこの曲の特徴なんだろうか。
1988年・若杉弘×都響のブルックナー8番を思い出した。
実は、ブルックナー8番は「ケントナガノ」の第1稿
に惚れてしまっているので、ノヴァーク版はかなり違和感を感じる。
ブルックナーは「人間臭い、煩悩の塊」というのが私の聴き方で、たまに「鬼が憑いた」ようなメロディが天から降ってくるというそんな聴き方をしているから・・・。
カーテンコールには4回井上道義が出てきた。
4回目には、ついぞ感無量になっていたみたいだ。
コベルコホールは大きかった。
次の7番も聴きたいけど、残念。予定があって行けない。
(しかし、5000円のチケットのために3万円かけて行くのもなんとも贅沢な話だ)
いざ、鎌倉への道「ブルックナー9番」
井上道義の演奏は2013年の年末の第九以来。
井上道義は6月から9月まで病気療養のためステージを休養していた。
15:30開演なのだけど、15:00〜トークがあった(チケット販売当初からその予定はあった)
目当てはブルックナー9番
(ノヴァーク版とあって??と思った。Wikipediaで見たら、いくつかの版が存在しているという事を知った)
ショーソン:詩曲作品25
マスネ:タイスの瞑想曲
ヴァイオリンの前橋汀子は頑張っていたあの大きいホールでヴァイオリン1本で勝負するってのは大変だと思う。
終演後は井上道義は病気を克服して演奏しきれたことに感無量だったようだ。
私も一杯になってしまった。
この演奏回の翌日、10月12日には「上田」で同様のプログラムがあるようだ。
ちなみに、10月11日はブルックナーの命日なのだ。
運悪く、足でリズムをとってしまう方が席の後ろに・・・。隣のおばさまはブルックナーをご存じでなく来てしまったようで・・・。そうなると気が散って仕方ない。ブル9は特に難しいから。これは厄介で仕方ない。
鎌倉芸術館は残念なことに演奏者がよく見えない感じで、ワーグナーチューバとかホルンが見えなかったり、チェロの藤森主席が見えたりしなかったり、見ることが目的ではないんだけど。残念だった。
マーラー10番乃至は第9の呪い
初めて都響に行ったのは1985年頃だったと思う。
小林研一郎で行ったのか、若杉弘になってからなのか。
いずれにしても都響≒マーラーという人生だった。
若杉弘がマーラーシリーズは見事だった。
でも、その後都響にはあまり行かなくなってしまった。
(若杉弘・ワーグナーシリーズ以来、多分行かなくなってしまった)
そんなわけで随分久しぶりの都響のコンサートだった。
しかも、インバル×マーラー10番
第九の呪いというジンクスはあるが、やっぱりご多分に漏れず。
この10番のクック版としてライブで聴くことはなかなか機会はない。
とにかくホルンが頑張った。
あいかわらずビビりのところはあったけど、
トロンボーンもいい音出していた。
弦が負けている感じがあったのはRBブロックだからだろいうということで。
第二楽章が終わってから音の合わせ直し、インバルが舞台から引っ込んだのは何なのかは???
いずれにしてもよかった。そして、コンマスがコンミスになっているのはびっくりした。
第九演奏会
井上道義が大フィルで第9を振った。
終わってから早々に舞台を片付けて何があるかというと・・・
大フィル合唱団による「蛍の光」の合唱があった。
(どうやら「恒例」だったらしい)
涙出た。
ここまでの苦難の大フィル合唱団の道をプログラムで読んで、
更に涙が出た。
ブルックナー9番
大植英次スペシャルコンサート
プログラムによるとファンの投票した聴きたいNo1はマーラー9番だったそうな。マーラー9番は体調不良によりキャンセルになったプログラムだった記憶がある。大植英次のマーラーがあまりの遅いテンポでびっくりしたのはいつの話だったろうか。はっきりとした記憶がない。
自分でもよくまぁ、大阪まで行くよなぁと思いながら、買ってしまった。なんと前から2列目の右端・・・。見えたのは「コンマス」の表情とコントラバスの厚い音だった。
演奏は大フィルらしい演奏だった(いい意味でも悪い意味でも)。
はっきり言ってしまうと出だしがビビってバラバラ・・・っていう朝比奈時代の金管病は見事に復活していた。とても残念なことに第4楽章の最後のところで、中継のインカムの音が会場に・・・・。一番いいところでのあの興ざめは酷い。収録をしていたチームは猛省していただきたい。あんなことを許すわけにはいかない。
もっとも、ブルックナーお得意の「休止」の場面だったので少し休止が延びただけのようなそんな感じだったが、確実に、指揮者までその「インカムの音」は伝わっていた筈である。
演奏終了後は「手厚い」拍手が続いた・・・続いた・・・。あんなに長い拍手は滅多にない。
コンマスの熱演がとても心地よかった。第二バイオリンの最後列の女性奏者は「不動の姿勢」で演奏していたのに対して、あの熱い演奏は一生の思い出である。
コンサートホールには沢山の献花があったことがオーケストラと観客の熱い関係を証明しているのだろう。
コンサートマスターも同時に退団することになっていたようで、そりゃ熱くなるわけだ。
2012年3月31日(土)15:00開演(14:00開場)
ザ・シンフォニーホール
―万感の想いをこめて9年の響きが輝く―
指揮:大植英次
<プログラム>
ブルックナー/交響曲 第8番 ハ短調
・発売日
一般発売:3月6日(火) 会員先行発売:2月28日(火)
http://www.osaka-phil.com/schedule/detail.php?d=20120331
3.11のマーラー
3.11のマーラー
http://www.njp.or.jp/archives/5634
105人の聴衆のために演奏されたマーラー5番
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20120308dde012200009000c.html
http://rn.oricon.co.jp/news/rankingnews/2007408/full/
1988年だったか、都響+若杉弘で「ブルックナー8番」を東京文化会館で聴いた。そのときには東京都で震度4くらいの比較的大きな地震があった。まさに、第3楽章だったと思う。客席からは「うわぁー」みたいな声も出ていたが、演奏は止まらなかった。福沢諭吉が大砲の音のする中で授業を続けたと言う話を思い出しかし、演奏を続けたという後日談を読んだ。若杉弘は慶應義塾出身だから、そうなんだ・・・と思った。
しかし、このドキュメンタリーはちょっと違う。はるかにそれを上回る「魂」を感じた。
必見の番組だ。
見た感想は・・・。
団員、指揮者の思いというのも紹介されていたが、この会場に来た「観客」にちょっとした感動を覚えた。「不謹慎」とか「こんな時に」ということと闘ってというようなことなんだろうけど、その会場の体験を今まで語ることがなかった人、2時間半かけて歩いてきた人、1800人の会場に100人くらいしかいなかったわけだから、音響は全然違うものになっていたと思う。演奏者も特別な思いで演奏したわけだし、一生に一度の経験(思い出)となったことは間違いない。しかし、3.11に対する思いを表現する最適な音楽であることは確かで、第一楽章の葬送行進曲、そして、冒頭のトランペット、第二楽章の荒々しい雰囲気、第四楽章のアダージョ(アダージェット)楽章、別名愛の楽章と言われるあのメロディは深く心を静めてくれる。そして、復活に向けた第五楽章のフィナーレで元気を取り戻す。この1年間の思いが70分に凝縮された感じである。そんな物語を交響曲に求めるのは本当は間違っているのだとは思うけど、そういうイメージがついてしまったので、仕方ない。
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2012-03-10&ch=21&eid=495
こんな話も見つかった。
http://blog.livedoor.jp/mariko_yamamoto/archives/5087032.html
なんと、その日には日本フィルも演奏会をやっていたんだ。
http://www.japanphil.or.jp/cgi-bin/news.cgi#540
70人の観客のために80名の団員が演奏したそうだ。プログラムはこれだったみたいだ。
芥川也寸志:交響管絃楽のための音楽
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲(Vn:矢野玲子)
プロコフィエフ:バレエ音楽《ロメオとジュリエット》より
大フィル第49回東京定期演奏会
大阪フィルハーモニー交響楽団
東京定期演奏会
指揮:大植英次
ベートーベン「田園」
ストラビンスキー「春の祭典」
音楽監督大植英次による最後の定期演奏会となった。
とはいえ、3月31日には「ブルックナー8番」特別演奏会、7月にもマーラー9番を定期で振ることとなっている。
(1年契約を特別に延長しての円満退団のようだ。コンマスも一緒に去るようだ)
オーケストラのコンサートが私も久しぶりであり、サントリーホールの雰囲気にちょっと呑まれる。なんか、来場しているみなさん久しぶりに会う方々との旧交を温めているかのようなそんな雰囲気であった。この日は運が悪いことに「森ビルの電気点検日」ということで、ビルの飲食店は全て休み。近所のお店まで戻って昼飯をかっくらうことになった。
ホールの雰囲気が何か違うなと思ったのは、学生が妙に多かった。あと、高齢の方も妙にいた。
大フィルってあんな感じなんだっけ?と今ひとつ記憶にないが、熱気はあってよかった。
ベルが鳴る前に、すでに、木管パートは出てきて練習していた。
1曲目は「田園」ベートーベンの名曲なんだろうけど、私はあまり聴く機会はない。第一楽章はとても綺麗にまとめて「流石」と思ったが、第二楽章・・・だんだんとまとまりがなくなってきた。ともあれ、第四楽章、第五楽章になって、なんか涙がこみ上げてくる何かがあった。この曲で音楽監督の仕事が終わるというのもありなんじゃないか?なんて思いながら聴いていた。
もっとも、第二楽章、第三楽章あたりで、バラバラ感があったり、金管楽器が情けなかったり・・・昔の大フィルに戻ってしまった感じである。
ベートーベンというと、4番7番をやったクライバーを思い出してしまう。(生で聴いたのは、ウィーン+アバドの4番、6番ってのでびっくりしたのはもう30年くらい昔の話)
20分の休憩の後
春の祭典
こんな難しい曲をあっさり聴けるような時代になったってのは本当に凄いことだと思う(難しいというのは、演奏する側もそうだけど、聞く側だってそれなりの知識・教養が必要だ)。
満足。
ともあれ、春の祭典というと、ドラティ・デトロイトを思い出す。
大植英次の大フィルとの歴史は下記を見る限り
http://aof.moo.jp/db/cgi-bin/sh_data/sh_data/12_log.html
2005年第42回からだ(一応、全部出席した)
マーラーの「悲劇的」の演奏後に、朝比奈の写真を胸から出して挨拶していた。
悲劇的というと、小林研一郎+都響の演奏を思い出す。正指揮者から去るってことでそのプログラムが「悲劇的」なのは驚いた。が、その意図は、就任したときが「悲劇的」だったから、それで卒業したいってことだったらしい。もっとも、以来、都響に再び戻るのは24年後となっているのは何かあったのか、なかったのか・・・。
「春の祭典」で団員一同力尽きたのか、アンコールはなかった。アンコールは確かにいらないかもしれない。
丁寧に、木管パートから、金管パートをねぎらい、打楽器、チェロ、ヴィオラ、コントラバスをねぎらい、ヴァイオリンを立たせて・・・花束が大植、コンマスに渡された。コンマスは今シーズンで大フィルを去ると発表されている。すると、大植は花束を持ってパーカッションのドラのパートまで一目散に・・・・。どうやら、ドラのパーカッションの方も今シーズンで終わりとのことのようだった。
これは涙なしには・・・。
大フィルの最も涙が出たのは
朝比奈隆の誕生日記念コンサートの「復活」
サンクトフローリアン教会のブルックナー7番
ブルックナーの「9番」
ベートーベン以上の作曲家は登場しない=10番の交響曲は書けない。
という逸話がある。
実際、ドボルザークは昔「新世界より」はドボコン(9番)と言われていた。
シューベルトも昔は未完成が9番と言われていた。
マーラーは9番を書くのが怖くて、8番の次に「大地の歌」という番外を作っている。で、安心して9番を作って、まだ生きていたから、せっせと10番作り始めたところで亡くなっている。
ブルックナーも9番で力尽きている。
そして、ブルックナー9番はあまりに壮大なシンフォニーであるが、他の1〜8と異なるのは「改訂版はない」ということも特徴であり、第4楽章があるものは(生で)聴いたことがない。
しかし、第4楽章がついているCDというのは散見される。
朝比奈隆はブルックナーの9番の演奏は難しいと言っていた(第三楽章で終わるから、バランスが難しいという・・・なるほどという感じもする)。
7番は、見事なまでにアダージョ楽章(第二楽章)から立ち直る様に、エネルギーがみなぎってくる感じが「いい」。
8番は、緩徐楽章からフィナーレに向けてのカタルシス感がなんとも爽快だ。
9番は、3つの楽章の絶妙なバランスで消えゆく3楽章・・・。名演奏に出会ったことはないけど、なんかいい感じ。
で、実際、「9」にはどういう魔力が、呪いがあるんだろうか。
興味は尽きない。
そんな中でショスタコーヴィチは15番まで・・・。すごすぎる。