ベートーヴェン交響曲のピアノ用編曲
シューベルト
シューベルトって、不思議な作曲家だと思っている。
なぜか、シューベルトの曲だとインコが併せて啼いていた。
理由はわからない。
そんなもんらしい。
結構、曲は書き散らかしたまんまらしい。
シューベルトの「未完成」は9番
大ハ調交響曲「ザ・グレート」は8番
だと思っていたら、
未完成は今では7番
ザ・グレートは8番
になっているようだ。
そんなシューベルトを再発見させてくれたのは、
「問題のあるレストラン」
の「スマホでピアノを聴くシーン・・・」
松岡茉優と二階堂ふみと・・・
「小さい頃にピアノを少々」
と聴くのが
「ピアノソナタ21番」
そして、このCDには、
ブラームスが紹介した3つの小品 D946
がある。
どう聞いても3つを一つの曲をするには無理があって、
ブラームスもこれを一つの曲をして出版したのではなく、
3つの小品として出版したんだろう。
第1曲が大好きだ。
シューベルトの「未完成」の第三楽章を試みたのが「ヴァイルガルトナー」
その補筆は自身の第六交響曲に使われているということ。
(もっとも、なんで未完成なのか理由はわからないが、どうやら、本人の二楽章まででいいという結論のようで、納得できる)
で、そんなシューベルトは「歌曲王」
と言われているそうだけど、
「歌曲」を知らない私はシューベルト聴きとしては失格なんだと思う。
なんか、シューベルトが来ている感じがする。
昨夜たまたま映画「マエストロ」のエンディングをテレビで見た。
未完成の第二楽章の中盤からだった・・・。
ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会at日比谷公会堂
東京交響楽団定期演奏会
ブルックナー8番
東響×ノット
ノヴァーク版を今まで嫌っていたのは、
朝比奈隆がハース版をもっぱら選んでいたから。
で、そちらがいいのだと私も思っていた。
なんで朝比奈隆がハース版を選んでいたかというと、
フルトヴェングラーに「原典版」を使うようにと言われていて、
そんな楽譜はそうそう手に入るものではなくて、
それが理由だったようなことが何かに書いてあった記憶がある。
実際、シャルクの改竄板みたいな言われ方があったり、クナッパーブッシュのブルックナーなんかも
宇野功芳のライナーノーツにノヴァーク版であるのが残念だが名演だみたいな作品があったり、
朝比奈隆を一番生で聴いた(訊くことができた)私にとっては、
やっぱりブルックナーというとハース版だったのである。
ところが、
井上道義が・・・「大ブルックナー展」「いざ鎌倉」などで「ノヴァーク版」を選んでいる。
「いざ鎌倉のブル8」
こちらでプレトークで不思議なことを2つ語っていた。
「ブルックナーは色々あるけど、ま、要するに一般的なのがノヴァーク版なんです」
「第4楽章で、ジャジャーン・ジャジャージャジャジャ、が聞こえるかな・・・確かに書いてあるんだよ、私には聞こえるんだけど、書いてあるから聞こえるんだけど、ひょっとしたら聞こえないかもしれない」
という二つの不思議なことを・・・。
前回の読売日響の「ワーグナー」でバージョンの大問題を知った。
なんと、3番は「ハース版」がないのだった。
朝比奈隆は何番を演奏していたのだろうか?
気になる。
確かに、3番は「若杉弘×N響」でライブで聴いたことがあるだけだった。
(若杉はノヴァーク版で通していた)
レコーディングした版は「ノヴァーク版」だった。
てなはなしは「厄介なブルックナー」で
で、今回は、ジョナサンノットと東響の不思議なコンサート
http://tokyosymphony.jp/common/tso/images/pdf/concerts/20160716.pdf
この回は、どうやら熱烈な信者が多数来ているようで、
いわゆるおっさん率が異常に高い。
(実際、女子トイレより男子トイレが混んでいるというのは初めての経験)
終わってからの「拍手」の大きさも、「初めて」
定期演奏会で「指揮者」を呼び戻すのも
「大フィル」以来か・・・。
知ったことは、
第4楽章に「第1楽章のテーマ」が隠れているのを初めて聴いた(聴けた)
そして、
気になったので、翌日、家にある
ケントナガノの1877年版、バレンボイムのハース版、ショルティのノヴァーク版を聴いてみた。
ケントナガノ、ショルティでは聞こえる。
バレンボイムでは聞こえない。
なるほど、解釈の問題がこれなのか、
演奏者には聞こえない、
「演奏不能」と拒否される理由はこれなのか、
「神の音」という意味が分かった気がする。
たまたま、
「KinKi Kidsのブンブンブーン」という番組に遠藤憲一が出ていて、
ベートーヴェン交響曲3番の第4楽章で号泣した謎を探るというのをやっていた、
ベートーヴェンは「ダダダダーン」で1曲を作ったわけで、
なるほど、ブルックナーも「8番でそれを試みていた訳」だ。
いざ、鎌倉へ「ブルックナー8番」
5回目、最終回とのことで、
このシリーズは全部聞きたかった。
大フィルの「大ブルックナー展」は2015年1月24日だった。
N響は、さすが、大きい音を出してくれる。
バランスも崩れない。音も外さない。最終楽章のテンポのブレもちゃんとついていく。
(崩れて欲しいような、ほしくないような)
で、
なんと、翌日には、
スクロバチェフスキー+読売日響の「ブル8」が・・・。
長原幸太がコンマス席に座っていた。
大植英司時代の大フィルのコンマス。
ffffになるとイナバウワーになって弾くのがなんか良かった。
話はもどって、
井上道義は、例によってプレトークをしてくれた。
ブル8の謎について・・・語った。
第4楽章には、
第一楽章、第二楽章、第三楽章のテーマが再現されていると・・・。
第三楽章のテーマがどこにあるのか、
楽譜にはあるそうで、
で、そこを探したくなった。
しかし、第4楽章の「死の行進曲」そんな言い方なんだと思って聴くと、確かに、
ブルックナーの死の感覚は私には分からないかもしれない。
次のコンサートは
ブルックナー5番を西宮まで
なにはともあれ、
プログラムの解説がなんとも秀逸なものだった。
鎌倉芸術館の底力を感じた。
3つの映画、3つのドラマ、3つの奇跡
このシーンにこの音楽か・・・・と感心することを思い出した。
テレビドラマとクラシック
「ウルトラセブン最終回」
ダンがアンヌに自分がウルトラセブンであることを告白するシーン
「シューマンのピアノ協奏曲」
あまりの格好よさに、おどろいたのを覚えている。
「カラマゾフの兄弟」
高梨臨が出ていた。吉田剛太郎ってのはすごい役者だなと感心した深夜ドラマ
最後になんと、
「ブルックナー交響曲第8番第4楽章」
そんな壮大なエンディングテレビで作れるのか?!と驚いた。
「問題のあるレストラン」
なんで真木よう子はあんなにいい役がまわってくるんだろう。
3人の女の子の心通う一方で、告白、そして、決意のシーンに。
「シューベルトピアノソナタ第21番(遺作)第一楽章」
映画とクラシック
あれこれあるけど、やっぱり映画で最高なのは
「ベニスに死す」
の
「マーラーの交響曲第5番第4楽章」
これは作曲家とあの緩徐楽章をヴィスコンティが映像化したとしか思えない。
「地獄の黙示録」
の
「ワルキューレの騎行」を使って攻撃するシーンはあまりに衝撃的だった。
実際の楽劇は超える何かがあるのは確かだけど。
「シャコンヌ」の「シャコンヌ」
これはもう、完全にインチキというか、シャコンヌに魅了されたバイオリニストの話なんで、
そりゃそうだという最高傑作。
バッハは好きではないのだけど、この曲と、この映画、は別格である。
次点としては
「プラトーン」
の
「バーバーの弦楽のためのアダージョ」
か
「2001年宇宙の旅」
の
「リヒャルトシュトラウスのツァラストラはかく語りき」と「ヨハンシュトラウスの美しく青きドナウ」
次点というのはウソでやっぱり外せないなと思う。
で、テレビドラマだともう少し違うものがある。
いまだに忘れられないドラマのサントラ・テーマ音楽というもの。
NHK大河ドラマでは
「花神」
「風と雲と虹と」
「新撰組!」
「軍師官兵衛」
見たからってことなんだけど(他は見ていない、いやみたのもあるか・・・)
フジテレビの
「愛と言う名のもとに」の「浜田省吾の『悲しみは雪のように』」
「遅咲きのひまわり」の「モンゴル800の『あなたに』」
「不便な便利屋の「スピッツの『雪風』」
見ていないんだけど
NHKの朝の連ドラで使われていたハズの「いきものがかりの『ありがとう』」
リンクをはらないのは「見ないとわからない」から。
見た人はフラッシュバックして涙するのは間違いない。
奇跡の演奏は、最近あまりコンサートに行かないからというのもあるけど、
1988年 東京都交響楽団 若杉弘指揮 ブルックナー交響曲第8番
東京文化会館だった。
第3楽章の途中で「大きな地震」があったが、演奏は中断されることなく、
すごい引き締まった演奏になった。
ミラノスカラ座 リッカルドムーティによる
「ヴェルディのレクイエム」
昭和女子大人見記念講堂
まさに「袈裟をかぶったオペラだった」
圧巻だ。あんなの見たことない。
そして、
朝比奈隆 大阪フィルハーモニー交響楽団
朝比奈隆の誕生日公演
「マーラー交響曲第2番」
最後のところでは「号泣」しそうになってしまった。
神が見えた気分になった。
クラシック音楽への道(オケ編3)ドボルザーク
ドボルザーク
「ドボ8」=「イギリス」、「ドボ9(コン)」=「新世界より」
「新世界より」は、多分知らない人はいないくらい有名な交響曲だろう。
セル・クリーブランド
これくらいの緻密なサウンドなら「どうだ」という曲になる。
9番も折角ならアメリカのオーケストラで聴きたいものだ。
チェコフィルというのでいいんだろうけど、
そうなると
バーンスタイン・ニューヨークになってしまうか。
小澤・ボストンがあるならそれもアリなんだけど、CDで見つからない。
で、
ドボルザークというとチェロ協奏曲も気になる
ヨーヨー・マとマゼール・ベルリンの組み合わせは興味深い
(聴いていないけど、マゼールは弦楽器奏者の気持ちがよく分かる指揮者だから、もとヴァイオリニストだから)
大ブルックナー展
大フィル×井上道義のコンサートは2回目、一昨年の「第九」以来。
しかも今回は「ブルックナー8番」
「いざ鎌倉」の鎌倉芸術館のN響とのブルックナー9番も良かったけど、やっぱりブルックナーなら大フィルだ。
大フィルの演奏は朝比奈時代から聴いているけど、たまたま1999年〜2002年まで奈良にいたので、
朝比奈の最晩年をシンフォニーホールで耳にというか、心に焼き付けることができた。
で、大フィルは、大植英次になって随分演奏が変わった気がした。
彼が辞めてから(良い意味でも悪い意味でも、いや、良い意味はないか?)元の大フィルサウンドに戻ってしまった感がある。
それはは「始まりのビビり」「縦の不揃い」みたいなところ。
でも、大フィルの魅力はそんなことを越えたところにある「勢い」がやっぱりいい。
(そもそも、日本のオーケストラでブルックナーを「どうだ!!」みたいに演奏しているのあまり聴いたことがない)
(というより、30年近く、マーラーかブルックナーじゃないと聴きに行かないし、そもそも)
で、今回。
ワーグナーチューバ
ホルン
はトチリはなくホッとした。
そして、第3楽章のシンバル・トライアングルは出番にちゃんとこなしてくれた。
第4楽章に登場するコントラバスファゴットも頑張って出番をこなしていた。
コンマスも「すごい動き」で魅せてくれた。前のコンマスも凄かったけど、ちょっとあの躍動感はすごすぎだ。
第3楽章からどんどん魅入られるのはこの曲の特徴なんだろうか。
1988年・若杉弘×都響のブルックナー8番を思い出した。
実は、ブルックナー8番は「ケントナガノ」の第1稿
に惚れてしまっているので、ノヴァーク版はかなり違和感を感じる。
ブルックナーは「人間臭い、煩悩の塊」というのが私の聴き方で、たまに「鬼が憑いた」ようなメロディが天から降ってくるというそんな聴き方をしているから・・・。
カーテンコールには4回井上道義が出てきた。
4回目には、ついぞ感無量になっていたみたいだ。
コベルコホールは大きかった。
次の7番も聴きたいけど、残念。予定があって行けない。
(しかし、5000円のチケットのために3万円かけて行くのもなんとも贅沢な話だ)
大植英次スペシャルコンサート
プログラムによるとファンの投票した聴きたいNo1はマーラー9番だったそうな。マーラー9番は体調不良によりキャンセルになったプログラムだった記憶がある。大植英次のマーラーがあまりの遅いテンポでびっくりしたのはいつの話だったろうか。はっきりとした記憶がない。
自分でもよくまぁ、大阪まで行くよなぁと思いながら、買ってしまった。なんと前から2列目の右端・・・。見えたのは「コンマス」の表情とコントラバスの厚い音だった。
演奏は大フィルらしい演奏だった(いい意味でも悪い意味でも)。
はっきり言ってしまうと出だしがビビってバラバラ・・・っていう朝比奈時代の金管病は見事に復活していた。とても残念なことに第4楽章の最後のところで、中継のインカムの音が会場に・・・・。一番いいところでのあの興ざめは酷い。収録をしていたチームは猛省していただきたい。あんなことを許すわけにはいかない。
もっとも、ブルックナーお得意の「休止」の場面だったので少し休止が延びただけのようなそんな感じだったが、確実に、指揮者までその「インカムの音」は伝わっていた筈である。
演奏終了後は「手厚い」拍手が続いた・・・続いた・・・。あんなに長い拍手は滅多にない。
コンマスの熱演がとても心地よかった。第二バイオリンの最後列の女性奏者は「不動の姿勢」で演奏していたのに対して、あの熱い演奏は一生の思い出である。
コンサートホールには沢山の献花があったことがオーケストラと観客の熱い関係を証明しているのだろう。
コンサートマスターも同時に退団することになっていたようで、そりゃ熱くなるわけだ。
2012年3月31日(土)15:00開演(14:00開場)
ザ・シンフォニーホール
―万感の想いをこめて9年の響きが輝く―
指揮:大植英次
<プログラム>
ブルックナー/交響曲 第8番 ハ短調
・発売日
一般発売:3月6日(火) 会員先行発売:2月28日(火)
http://www.osaka-phil.com/schedule/detail.php?d=20120331