マーラー5番
マーラー5番・・・
ベニスに死すであまりにも有名になりすぎた曲
クラシックにはまったのはこの曲が。
こんなのとか
チェロとピアノのバージョンもある
YouTubeは深い。
エルガー「エニグマ変奏曲」ニムロッド
初めて聴いたのは大植英次が大フィルのコンサートのアンコールで演奏したとき。
何年前か覚えていない。
あまりのぐっとくる曲でちょっと涙が出た。
この曲は
なるほど、吹奏楽でもいい感じだ
ピアノでもいい感じだ。
のだめカンタービレで使われたのか・・・。
どんな終わり方かわからないけど、これで終わるとちょっと心奪われると思う。
2011年4月に東京フィルの演奏会で演奏されたのがこれ
シカゴ・バレンボイムのもアップされている
YouTube恐るべし
大植英次スペシャルコンサート
プログラムによるとファンの投票した聴きたいNo1はマーラー9番だったそうな。マーラー9番は体調不良によりキャンセルになったプログラムだった記憶がある。大植英次のマーラーがあまりの遅いテンポでびっくりしたのはいつの話だったろうか。はっきりとした記憶がない。
自分でもよくまぁ、大阪まで行くよなぁと思いながら、買ってしまった。なんと前から2列目の右端・・・。見えたのは「コンマス」の表情とコントラバスの厚い音だった。
演奏は大フィルらしい演奏だった(いい意味でも悪い意味でも)。
はっきり言ってしまうと出だしがビビってバラバラ・・・っていう朝比奈時代の金管病は見事に復活していた。とても残念なことに第4楽章の最後のところで、中継のインカムの音が会場に・・・・。一番いいところでのあの興ざめは酷い。収録をしていたチームは猛省していただきたい。あんなことを許すわけにはいかない。
もっとも、ブルックナーお得意の「休止」の場面だったので少し休止が延びただけのようなそんな感じだったが、確実に、指揮者までその「インカムの音」は伝わっていた筈である。
演奏終了後は「手厚い」拍手が続いた・・・続いた・・・。あんなに長い拍手は滅多にない。
コンマスの熱演がとても心地よかった。第二バイオリンの最後列の女性奏者は「不動の姿勢」で演奏していたのに対して、あの熱い演奏は一生の思い出である。
コンサートホールには沢山の献花があったことがオーケストラと観客の熱い関係を証明しているのだろう。
コンサートマスターも同時に退団することになっていたようで、そりゃ熱くなるわけだ。
2012年3月31日(土)15:00開演(14:00開場)
ザ・シンフォニーホール
―万感の想いをこめて9年の響きが輝く―
指揮:大植英次
<プログラム>
ブルックナー/交響曲 第8番 ハ短調
・発売日
一般発売:3月6日(火) 会員先行発売:2月28日(火)
http://www.osaka-phil.com/schedule/detail.php?d=20120331
ふなうた(舟歌・舟唄)
八代亜紀の
「おさけはぬるめの燗がいい、さかなはあぶったいかでいい」
で始まる歌はそういえば「ふなうた」だった。
ショパンの好きな曲で
「舟歌」
を熱狂的に挙げる人がいたのを数年前のショパンイヤーで気になりながらながめていた。
この曲を聴いてなんとも言えぬいい感じになった。
曲は本当にあれこれ入っている小品集なので節操ない。
バッハ・スカルラッティ・ショパン・リスト・ラヴェル・エネスコ・・・・。
なんかショパンのひびきが圧倒的だった。
舟歌を調べてみるとなかなか興味深いことがわかってきた。
確か、世界三大舟歌なるものがあって、その一つが最上川舟歌だった筈。
他にこんな人が作曲していて
メンデルスゾーンのヴェネツィアのゴンドラの歌
フォーレ
プッチーニ
ラフマニノフ
オッフェンバックのホフマン物語の「ホフマンの舟歌」
レクイエムも沢山の人が作曲しているけど、そういう聞き比べもまた楽しいものだ。
3.11のマーラー
3.11のマーラー
http://www.njp.or.jp/archives/5634
105人の聴衆のために演奏されたマーラー5番
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20120308dde012200009000c.html
http://rn.oricon.co.jp/news/rankingnews/2007408/full/
1988年だったか、都響+若杉弘で「ブルックナー8番」を東京文化会館で聴いた。そのときには東京都で震度4くらいの比較的大きな地震があった。まさに、第3楽章だったと思う。客席からは「うわぁー」みたいな声も出ていたが、演奏は止まらなかった。福沢諭吉が大砲の音のする中で授業を続けたと言う話を思い出しかし、演奏を続けたという後日談を読んだ。若杉弘は慶應義塾出身だから、そうなんだ・・・と思った。
しかし、このドキュメンタリーはちょっと違う。はるかにそれを上回る「魂」を感じた。
必見の番組だ。
見た感想は・・・。
団員、指揮者の思いというのも紹介されていたが、この会場に来た「観客」にちょっとした感動を覚えた。「不謹慎」とか「こんな時に」ということと闘ってというようなことなんだろうけど、その会場の体験を今まで語ることがなかった人、2時間半かけて歩いてきた人、1800人の会場に100人くらいしかいなかったわけだから、音響は全然違うものになっていたと思う。演奏者も特別な思いで演奏したわけだし、一生に一度の経験(思い出)となったことは間違いない。しかし、3.11に対する思いを表現する最適な音楽であることは確かで、第一楽章の葬送行進曲、そして、冒頭のトランペット、第二楽章の荒々しい雰囲気、第四楽章のアダージョ(アダージェット)楽章、別名愛の楽章と言われるあのメロディは深く心を静めてくれる。そして、復活に向けた第五楽章のフィナーレで元気を取り戻す。この1年間の思いが70分に凝縮された感じである。そんな物語を交響曲に求めるのは本当は間違っているのだとは思うけど、そういうイメージがついてしまったので、仕方ない。
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2012-03-10&ch=21&eid=495
こんな話も見つかった。
http://blog.livedoor.jp/mariko_yamamoto/archives/5087032.html
なんと、その日には日本フィルも演奏会をやっていたんだ。
http://www.japanphil.or.jp/cgi-bin/news.cgi#540
70人の観客のために80名の団員が演奏したそうだ。プログラムはこれだったみたいだ。
芥川也寸志:交響管絃楽のための音楽
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲(Vn:矢野玲子)
プロコフィエフ:バレエ音楽《ロメオとジュリエット》より
グールド編曲のワーグナー
もっとも、そんなanother versionとして一番馴染みのあるのは、
ムソルグスキーの「展覧会の絵」だろう。あの場合にはあの難曲をラベルがオーケストラ版にしたのだけど。これはこれで感動的だ。
バッハのシャコンヌもピアノで演奏するってのは本当はなしなんだろうけど、
バッハのすごさはシャコンヌで語ってはいけないんだろうけど、
でも、すごいなと思った。まだ、他の曲はあまりぐっとこない。
そんなことに触れているうちに、すごいものに出会ってしまった。
グールド編曲による
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲
「神々のたそがら」より「夜明けとジークフリートのらラインへの旅」
「ジークフリート牧歌」
ぴあの曲
トロント交響楽団メンバーをプライベートに雇って自身による指揮もやっている。
あまりのすごさにちょっと涙が出る。
これはワーグナーの威力なのか、グールドの才覚なのか?
ライナーノーツによると
グールドは
1982年にその指揮をやった後に、脳卒中で亡くなっているようである。
グールドが50歳で亡くなったってのはこのCDを聴いて改めて驚愕・・・。
(もっとも、グールドは自身の鼻歌がレコードに入っているってこと以上に関心はない・・・今のところ)
長富彩
デビューピアノリサイタルでびっくりした。
http://www.ayanagatomi.com/concert/
2010年10月コロムビアミュージックエンタテインメント(株)より『イスラメイ - 100年の時を経て甦る、ピアノの黄金時代』を発売、CDデビューを果たす。
翌11月には浜離宮朝日ホールにてデビューリサイタルを開催、好評を博す。
この浜離宮ホールのコンサートに行ったのは、曲目がぶっとんでいるからだった。
記録がはっきりしていないんだけど、
ラフマニノフ
『幻想的小品集』作品3-2 「前奏曲嬰ハ短調」 《鐘》
『10の前奏曲』作品23-1から5
スクリャービン
『3つの小品』作品2-1「練習曲嬰ハ短調」
『12の練習曲』作品8-4「ロ長調」
『12の練習曲』作品8-12「嬰ニ短調」 《悲愴》
「幻想曲ロ短調」作品28
フランク
『前奏曲,コラールとフーガ』
ラヴェル
『ラ・ヴァルス』
アンコール
サンサーンスの白鳥
を演奏したはずで、
いわゆるかわいらしい女の子が弾くような選曲とは思えなかった。
そして、
ピアノもオールドピアノで。
なんか、音楽への情熱ってのをひしひしと感じて満足した記憶がある。
(演奏終了後のサイン会は長蛇の列だったのを記憶している。流石と感心した)
またレコードというよりは、ライブで聴いてみたい。
ベートーヴェンの第九(ピアノ版)
ワーグナー編曲、ピアノ版があるとは・・・。
1台のピアノで第九を表現するってのはやっぱり難しいようだ。
第一楽章ちょっと意外。
演奏はヒステリックという言い方は悪いけど、そんな感じ。
音一つ一つは鮮明なんだけど、
全ての音楽を経験した終着点で味わう第九というものとはちょっと違う雰囲気。
と思いながら第一楽章の9分あたりからちょっと違う様相になってきた。
なんか、バッハを聴いているようなそんな気分になってきた。
(基本的に、私は(まだ)バッハは理解できない。50歳過ぎたら聴こうと決めた曲なので。例外は「シャコンヌ」なんだけど、理解できない曲ということではなく、何か理解を超えたところに感動を誘うというか、そういう不思議な魔力を感じている)
第二楽章は普通にいい。
第三楽章もかなりいい。
第四楽章・・・見事だ。やっぱりベートーヴェンだった。
こいつは必聴の名曲だと思う。
春の祭典ピアノ版
なんか、舞台上では客を舐めたような表情をしちゃいるけど、べらぼうに腕が立つ。
展覧会の絵を前半で弾いて、後半で別の曲をさらりとやってのけたりする。
今日、大植英次+大フィルで「春の祭典」が始まる前に、妻がチラシで見つけた「2台のピアノのための春の祭典」。確か、以前探したらラベック姉妹のくらいしか無かった気がした。
で、探したら、サイのピアノ版があった・・・。買ったような気もするけど、注文してしまった。
サイというと
シャコンヌ
奈良に住んでいた時代にこのCDを聴きながら会社に行っていた。
なんか、自殺しちゃいそうなそんな曲で、なんで惹かれるのかは分からなかった。
で、映画「シャコンヌ」を国名劇場で見て・・・。そうか、そういうことかと分かった。
ピアノで聴いちゃいけないけど、良い曲は何で聴いてもいい。
と、思っていたら、4手用春の祭典が見つかった。こちらもそんなわけで注文。聞き比べをしたい。
大フィル第49回東京定期演奏会
大阪フィルハーモニー交響楽団
東京定期演奏会
指揮:大植英次
ベートーベン「田園」
ストラビンスキー「春の祭典」
音楽監督大植英次による最後の定期演奏会となった。
とはいえ、3月31日には「ブルックナー8番」特別演奏会、7月にもマーラー9番を定期で振ることとなっている。
(1年契約を特別に延長しての円満退団のようだ。コンマスも一緒に去るようだ)
オーケストラのコンサートが私も久しぶりであり、サントリーホールの雰囲気にちょっと呑まれる。なんか、来場しているみなさん久しぶりに会う方々との旧交を温めているかのようなそんな雰囲気であった。この日は運が悪いことに「森ビルの電気点検日」ということで、ビルの飲食店は全て休み。近所のお店まで戻って昼飯をかっくらうことになった。
ホールの雰囲気が何か違うなと思ったのは、学生が妙に多かった。あと、高齢の方も妙にいた。
大フィルってあんな感じなんだっけ?と今ひとつ記憶にないが、熱気はあってよかった。
ベルが鳴る前に、すでに、木管パートは出てきて練習していた。
1曲目は「田園」ベートーベンの名曲なんだろうけど、私はあまり聴く機会はない。第一楽章はとても綺麗にまとめて「流石」と思ったが、第二楽章・・・だんだんとまとまりがなくなってきた。ともあれ、第四楽章、第五楽章になって、なんか涙がこみ上げてくる何かがあった。この曲で音楽監督の仕事が終わるというのもありなんじゃないか?なんて思いながら聴いていた。
もっとも、第二楽章、第三楽章あたりで、バラバラ感があったり、金管楽器が情けなかったり・・・昔の大フィルに戻ってしまった感じである。
ベートーベンというと、4番7番をやったクライバーを思い出してしまう。(生で聴いたのは、ウィーン+アバドの4番、6番ってのでびっくりしたのはもう30年くらい昔の話)
20分の休憩の後
春の祭典
こんな難しい曲をあっさり聴けるような時代になったってのは本当に凄いことだと思う(難しいというのは、演奏する側もそうだけど、聞く側だってそれなりの知識・教養が必要だ)。
満足。
ともあれ、春の祭典というと、ドラティ・デトロイトを思い出す。
大植英次の大フィルとの歴史は下記を見る限り
http://aof.moo.jp/db/cgi-bin/sh_data/sh_data/12_log.html
2005年第42回からだ(一応、全部出席した)
マーラーの「悲劇的」の演奏後に、朝比奈の写真を胸から出して挨拶していた。
悲劇的というと、小林研一郎+都響の演奏を思い出す。正指揮者から去るってことでそのプログラムが「悲劇的」なのは驚いた。が、その意図は、就任したときが「悲劇的」だったから、それで卒業したいってことだったらしい。もっとも、以来、都響に再び戻るのは24年後となっているのは何かあったのか、なかったのか・・・。
「春の祭典」で団員一同力尽きたのか、アンコールはなかった。アンコールは確かにいらないかもしれない。
丁寧に、木管パートから、金管パートをねぎらい、打楽器、チェロ、ヴィオラ、コントラバスをねぎらい、ヴァイオリンを立たせて・・・花束が大植、コンマスに渡された。コンマスは今シーズンで大フィルを去ると発表されている。すると、大植は花束を持ってパーカッションのドラのパートまで一目散に・・・・。どうやら、ドラのパーカッションの方も今シーズンで終わりとのことのようだった。
これは涙なしには・・・。
大フィルの最も涙が出たのは
朝比奈隆の誕生日記念コンサートの「復活」
サンクトフローリアン教会のブルックナー7番
ブルックナーの「9番」
ベートーベン以上の作曲家は登場しない=10番の交響曲は書けない。
という逸話がある。
実際、ドボルザークは昔「新世界より」はドボコン(9番)と言われていた。
シューベルトも昔は未完成が9番と言われていた。
マーラーは9番を書くのが怖くて、8番の次に「大地の歌」という番外を作っている。で、安心して9番を作って、まだ生きていたから、せっせと10番作り始めたところで亡くなっている。
ブルックナーも9番で力尽きている。
そして、ブルックナー9番はあまりに壮大なシンフォニーであるが、他の1〜8と異なるのは「改訂版はない」ということも特徴であり、第4楽章があるものは(生で)聴いたことがない。
しかし、第4楽章がついているCDというのは散見される。
朝比奈隆はブルックナーの9番の演奏は難しいと言っていた(第三楽章で終わるから、バランスが難しいという・・・なるほどという感じもする)。
7番は、見事なまでにアダージョ楽章(第二楽章)から立ち直る様に、エネルギーがみなぎってくる感じが「いい」。
8番は、緩徐楽章からフィナーレに向けてのカタルシス感がなんとも爽快だ。
9番は、3つの楽章の絶妙なバランスで消えゆく3楽章・・・。名演奏に出会ったことはないけど、なんかいい感じ。
で、実際、「9」にはどういう魔力が、呪いがあるんだろうか。
興味は尽きない。
そんな中でショスタコーヴィチは15番まで・・・。すごすぎる。
音楽のある生活
音楽を外で聴く習慣はなくて、自宅で聴くってのは、なんだかんだと、縁が減ってきた。
なのに、CDは増えていく一方だ。
増えても聴く機会が減った。
そもそもコンサートも行く機会すら減った。
で、今日、CDプレーヤーを新たに買った。
いい音で聴きたいというよりは慣れた音で聴きたいってことで、
これのアンプを1992年以来使っている。
スピーカーも
これを1992年以来使っている。
いい音かどうかというより「慣れた音」ってことで、それこそ、ミュージアムなんかでちょいとPA使うときなんかはこのセットがとても便利で、役に立ってくれたこともあって、お気に入りだ。
けど、このスピーカーはもう売っていないようで、アンプも時間の問題なんだと思う。実はアンプは2010年に壊れて(音がでなくなった)買い直した。いっそ別の買えばいいのに、なんとなく慣れた音ってことでそのまま買い換えた。おかげでリモコンはない音楽生活となっている。
で、聴いている音楽は
朝比奈隆&都響のブラームスの1番。
演奏時間53分とは驚きだ。
リスト編曲のワーグナー
その中で気になったことは、やたらリストが多かったこと。
そして驚いたことには、ピアノリサイタルで「ワーグナー」が流れたこと。
リスト編曲による「トリスタンとイゾルデ」があることを知った。
全曲ってのはま、まず無理なんだろうけど、いや、CDならあるのか?
てことで買ったCDがこれ。
トラック1〜10はリストのP協1番・2番
トラック11から14がそのワーグナーをピアノで弾いてしまうというすごい芸当。
私にとっては全くなじみの無い
ゾルタン・コチシュ(p)
イヴァン・フィッシャー(指揮)
ブダペスト祝祭管弦楽団
で、やっぱり、ワーグナーはピアノで演奏してもワーグナーだった。すごいもんだ。