東京交響楽団定期演奏会
ブルックナー8番
東響×ノット
ノヴァーク版を今まで嫌っていたのは、
朝比奈隆がハース版をもっぱら選んでいたから。
で、そちらがいいのだと私も思っていた。
なんで朝比奈隆がハース版を選んでいたかというと、
フルトヴェングラーに「原典版」を使うようにと言われていて、
そんな楽譜はそうそう手に入るものではなくて、
それが理由だったようなことが何かに書いてあった記憶がある。
実際、シャルクの改竄板みたいな言われ方があったり、クナッパーブッシュのブルックナーなんかも
宇野功芳のライナーノーツにノヴァーク版であるのが残念だが名演だみたいな作品があったり、
朝比奈隆を一番生で聴いた(訊くことができた)私にとっては、
やっぱりブルックナーというとハース版だったのである。
ところが、
井上道義が・・・「大ブルックナー展」「いざ鎌倉」などで「ノヴァーク版」を選んでいる。
「いざ鎌倉のブル8」
こちらでプレトークで不思議なことを2つ語っていた。
「ブルックナーは色々あるけど、ま、要するに一般的なのがノヴァーク版なんです」
「第4楽章で、ジャジャーン・ジャジャージャジャジャ、が聞こえるかな・・・確かに書いてあるんだよ、私には聞こえるんだけど、書いてあるから聞こえるんだけど、ひょっとしたら聞こえないかもしれない」
という二つの不思議なことを・・・。
前回の読売日響の「ワーグナー」でバージョンの大問題を知った。
なんと、3番は「ハース版」がないのだった。
朝比奈隆は何番を演奏していたのだろうか?
気になる。
確かに、3番は「若杉弘×N響」でライブで聴いたことがあるだけだった。
(若杉はノヴァーク版で通していた)
レコーディングした版は「ノヴァーク版」だった。
てなはなしは「厄介なブルックナー」で
で、今回は、ジョナサンノットと東響の不思議なコンサート
http://tokyosymphony.jp/common/tso/images/pdf/concerts/20160716.pdf
この回は、どうやら熱烈な信者が多数来ているようで、
いわゆるおっさん率が異常に高い。
(実際、女子トイレより男子トイレが混んでいるというのは初めての経験)
終わってからの「拍手」の大きさも、「初めて」
定期演奏会で「指揮者」を呼び戻すのも
「大フィル」以来か・・・。
知ったことは、
第4楽章に「第1楽章のテーマ」が隠れているのを初めて聴いた(聴けた)
そして、
気になったので、翌日、家にある
ケントナガノの1877年版、バレンボイムのハース版、ショルティのノヴァーク版を聴いてみた。
ケントナガノ、ショルティでは聞こえる。
バレンボイムでは聞こえない。
なるほど、解釈の問題がこれなのか、
演奏者には聞こえない、
「演奏不能」と拒否される理由はこれなのか、
「神の音」という意味が分かった気がする。
たまたま、
「KinKi Kidsのブンブンブーン」という番組に遠藤憲一が出ていて、
ベートーヴェン交響曲3番の第4楽章で号泣した謎を探るというのをやっていた、
ベートーヴェンは「ダダダダーン」で1曲を作ったわけで、
なるほど、ブルックナーも「8番でそれを試みていた訳」だ。
読売日響定期演奏会
指揮=シルヴァン・カンブルラン
チェロ=ジャン=ギアン・ケラス
ベルリオーズ:序曲「宗教裁判官」 作品3
デュティユー:チェロ協奏曲「遥かなる遠い世界」
ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調 「ワーグナー」(第3稿)
20160624_cambreling_wagner
コンサートマスターが長原幸太だということを知って行った。
レニングラード
レニングラードフィルでレニングラードを聴く
そんな夢がかなった。
もっともオケの名前は変わってしまった。
この「ちちんぷいぷい」の所は圧巻で、
初めて生で聴いたのは、井上道義の日比谷公会堂ショスタコ全曲演奏会でのことだろう。
あまりにも壮大な曲で、わからないことがまだまだある。
理解するには一生かかるのかもしれない。
フィラデルフィア管弦楽団来日公演
5/31
ベートーヴェン/マーラー編曲:弦楽四重奏曲 第11番「セリオーソ」(弦楽合奏版)
ブルックナー: 交響曲第4番 変ホ長調 「ロマンティック」(ノーヴァク版)
バッハ/ストコフスキー編:羊たちは安らかに草を食む
こいつは驚いた。
フィラデルフィアは唯一破産したオケだと記憶している。
オーマンディ・ムーティで聞いた。
その後20年以上は聴いていない。
マーラー「巨人」
ベートーヴェン「英雄」
ラヴェル「ボレロ」
を聴いた記憶がある。
そして、フィラデルフィアサウンドといえば、
圧倒的な金管楽器と、素晴らしく綺麗な弦楽器。
それは
ストコフスキーの時代から今尚、健在なようだ。
おどろいたことに、
ホルンは5人中3人が女性だった。
チューバも女性だった。
で、
やっぱり、トランペットは譜面台にベルを隠している(なのに圧倒的音量、というか、他の楽器は消えてしまう)。
多分、ブルックナー4番「ロマンティック」は生で聴くのは3回目くらい。
(あまり積極的に聴きたい曲ではなくなっていた)
が、発見が随分あって、
「ホルン」の1stが忙しいことこの上ない。
「第3楽章」でトランペットとホルンの見事な掛け合いが面白い。
そして、5番を上回る「金管楽器(特にホルンの1st)」の酷使・・・。
で、
ついつい良かったので、
金曜日のサントリーホールのチケット(6/3日)も買ってしまった。
(週に3回コンサートに行くってのも初めての経験)
B席2万円
RDブロックで、ホルンは遠かったけど、すごかった・・・・。
1曲目「フィンランディア」とメインの「ブル4」ではホルンの並びもメンバーも違った。
そして、トランペットが圧巻だった・・・。
どうやら、音の響きは譜面台で調節しているみたいだ(^_^)
東京文化よりもいいバランスで、来て良かったと思った。
8万円が飛んでいったわけだが、悔いは無い。
なんといっても、指揮者「ヤニック・ネゼ=セガン」
メトロポリタン歌劇場の音楽監督就任が来日中に発表された。
フィラデルフィアとニューヨークを行ったり来たり。
いやはや、いいもの見せてもらった。
ある若き詩人のためのレクイエム
現代音楽という「クラシック音楽」
21世紀に、解説つきで聴くと、随分簡単な曲な気がする。
http://www.suntory.co.jp/sfa/music/summer/2015/producer.html
演奏そのものは全部で60分くらい。
ヴァイオリンとヴィオラがない不思議な編成。
ワーグナーチューバが持ち替えである。
アコーディオン
マンドリン
混声合唱がPブロックに1パート
RD、LDに男性合唱各1パート
センター2階奥に合唱1パート
独唱男女
ナレーション2名
ジャズカルテット
ピアノは2台
オルガンも使うし、
が舞台に一杯に。
しかも出番は皆さん少ない。
一番多いのは「テープ音声」なのだ。
指揮者はかなり忙しそうで、前半には、分秒のカウントが譜面台前に出ているのが見えた。
会場には「スクリーン」にテキストを投影してくれたのはありがたい。
初演は1968年・・・。
すると、プラハの春かという印象を持った。
なるほど、
「ヘイ・ジュード」を60万枚売ったカバーミュージシャンがプラハにいたそうだ。
表現を禁じられることと表現を見下されることの違いは何なのか、
そんな絶望も含まれているのかという安っぽい評論をぶっとばす勢いがある音楽だった。
まさか、ソ連が崩壊するとは思っていなかったろうに、
資本主義の限界も想像できなかったろうに、
続けることだけが可能性であり、希望なんだろう。
背中を押してくれた演奏会だった。
東京海上日動とモーツァルトと物忘れ
時々、テレビでドキリとさせられる曲に出逢うことがある
この曲、どこでどうやって聴いて、泣いたのか、覚えていない。
過去に買ったのは2009年ということなんだけど。
モーツァルトは25番とレクイエム(の一部分)だけがなんか信じられる感じだったんだけど、
すごい作曲家なんだなと思ったのが、
この「アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618」
wikipediaにどういう曲かの解説がある
https://ja.wikipedia.org/wiki/アヴェ・ヴェルム・コルプス
この曲を何で忘れたのだろう。
2006年にウィーンフィル来日公演で「佐治敬三の命日」を偲んでということで演奏された。
http://blogs.yahoo.co.jp/kurahashi3591141/41763738.html
ムーティ+フィラデルフィアのCDも持っているけど、以来聴いていない。
もう1回どっかで聞いた気がするのだけど、
2009年09月26日20:43
mixiの日記に書いてあった
そして、
2006年11月03日 20:54
の日記にもちゃんと書いてあった・・・。
物忘れにかなりショック。
マーラー10番乃至は第9の呪い
初めて都響に行ったのは1985年頃だったと思う。
小林研一郎で行ったのか、若杉弘になってからなのか。
いずれにしても都響≒マーラーという人生だった。
若杉弘がマーラーシリーズは見事だった。
でも、その後都響にはあまり行かなくなってしまった。
(若杉弘・ワーグナーシリーズ以来、多分行かなくなってしまった)
そんなわけで随分久しぶりの都響のコンサートだった。
しかも、インバル×マーラー10番
第九の呪いというジンクスはあるが、やっぱりご多分に漏れず。
この10番のクック版としてライブで聴くことはなかなか機会はない。
とにかくホルンが頑張った。
あいかわらずビビりのところはあったけど、
トロンボーンもいい音出していた。
弦が負けている感じがあったのはRBブロックだからだろいうということで。
第二楽章が終わってから音の合わせ直し、インバルが舞台から引っ込んだのは何なのかは???
いずれにしてもよかった。そして、コンマスがコンミスになっているのはびっくりした。
大フィル第49回東京定期演奏会
大阪フィルハーモニー交響楽団
東京定期演奏会
指揮:大植英次
ベートーベン「田園」
ストラビンスキー「春の祭典」
音楽監督大植英次による最後の定期演奏会となった。
とはいえ、3月31日には「ブルックナー8番」特別演奏会、7月にもマーラー9番を定期で振ることとなっている。
(1年契約を特別に延長しての円満退団のようだ。コンマスも一緒に去るようだ)
オーケストラのコンサートが私も久しぶりであり、サントリーホールの雰囲気にちょっと呑まれる。なんか、来場しているみなさん久しぶりに会う方々との旧交を温めているかのようなそんな雰囲気であった。この日は運が悪いことに「森ビルの電気点検日」ということで、ビルの飲食店は全て休み。近所のお店まで戻って昼飯をかっくらうことになった。
ホールの雰囲気が何か違うなと思ったのは、学生が妙に多かった。あと、高齢の方も妙にいた。
大フィルってあんな感じなんだっけ?と今ひとつ記憶にないが、熱気はあってよかった。
ベルが鳴る前に、すでに、木管パートは出てきて練習していた。
1曲目は「田園」ベートーベンの名曲なんだろうけど、私はあまり聴く機会はない。第一楽章はとても綺麗にまとめて「流石」と思ったが、第二楽章・・・だんだんとまとまりがなくなってきた。ともあれ、第四楽章、第五楽章になって、なんか涙がこみ上げてくる何かがあった。この曲で音楽監督の仕事が終わるというのもありなんじゃないか?なんて思いながら聴いていた。
もっとも、第二楽章、第三楽章あたりで、バラバラ感があったり、金管楽器が情けなかったり・・・昔の大フィルに戻ってしまった感じである。
ベートーベンというと、4番7番をやったクライバーを思い出してしまう。(生で聴いたのは、ウィーン+アバドの4番、6番ってのでびっくりしたのはもう30年くらい昔の話)
20分の休憩の後
春の祭典
こんな難しい曲をあっさり聴けるような時代になったってのは本当に凄いことだと思う(難しいというのは、演奏する側もそうだけど、聞く側だってそれなりの知識・教養が必要だ)。
満足。
ともあれ、春の祭典というと、ドラティ・デトロイトを思い出す。
大植英次の大フィルとの歴史は下記を見る限り
http://aof.moo.jp/db/cgi-bin/sh_data/sh_data/12_log.html
2005年第42回からだ(一応、全部出席した)
マーラーの「悲劇的」の演奏後に、朝比奈の写真を胸から出して挨拶していた。
悲劇的というと、小林研一郎+都響の演奏を思い出す。正指揮者から去るってことでそのプログラムが「悲劇的」なのは驚いた。が、その意図は、就任したときが「悲劇的」だったから、それで卒業したいってことだったらしい。もっとも、以来、都響に再び戻るのは24年後となっているのは何かあったのか、なかったのか・・・。
「春の祭典」で団員一同力尽きたのか、アンコールはなかった。アンコールは確かにいらないかもしれない。
丁寧に、木管パートから、金管パートをねぎらい、打楽器、チェロ、ヴィオラ、コントラバスをねぎらい、ヴァイオリンを立たせて・・・花束が大植、コンマスに渡された。コンマスは今シーズンで大フィルを去ると発表されている。すると、大植は花束を持ってパーカッションのドラのパートまで一目散に・・・・。どうやら、ドラのパーカッションの方も今シーズンで終わりとのことのようだった。
これは涙なしには・・・。
大フィルの最も涙が出たのは
朝比奈隆の誕生日記念コンサートの「復活」
サンクトフローリアン教会のブルックナー7番