井上道義の第九
井上道義×大フィル
の第九は2013年に次いで2回目
シンフォニーホール
大フィルとここは思い出の地
すごかったのは、
始まり際に、
コンマスは凄く大きく体を動かして全体を統率しようとしているのか・・・。
チェロの主席もなんと足をパタパタしている。
と、2ndのヴァイオリンの主席も、足でリズムをとっている。
リズムがうまく合わないんだろうか・・・。
ティンパニーが「おぉ」という感じで気がついたのは
他のパーカッションがいない・・・
帰りの新幹線で「第九」についてWikipediaで勉強した。
こりゃすごい・・・。
ブルックナーどころの騒ぎじゃないんだ。
この曲は時代とともにそんなに変わっているのか。
ベルリオーズとワーグナーが再評価したとは。
リストのピアノ版のシンフォニーは知っていたけど。
フルトベングラーから
ケントナガノあたりまで、
一通り聞いてみねばならない。
ベートーヴェン交響曲のピアノ用編曲
Opusといえば
弦楽四重奏曲などを聴くようになったのは
「Opus」を舞台で見てから。
正直こんないい舞台だとは思わなかった。
そして、今、テレビでは「カルテット」が放送されている。
松田長男
高橋一生
松たか子
満島ひかり
がカルテットを組んでいる。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番は流れていないけど、
聴きたくなってしまう。
パッサカリア
田村宏メモリアル
モーツァルト: 4手のためのピアノ・ソナタ ニ長調 KV381
シューベルト: ピアノ五重奏曲 イ長調「鱒」 op.114 D.667
富山民謡/間宮芳生編曲:「さんさい踊り」 (2台ピアノ、3人のピアニストによる6手のための編曲)
ベートーヴェン/間宮芳生編曲: 交響曲第5番 ハ短調 op.67 (2台ピアノ、3人のピアニストによる6手のための編曲)
東京文化会館というのは音楽を聴くのに本当にいいホールで
特に、小ホールというのはどうだ!!というほど、
音が綺麗に聞こえる。
(オーケストラは無理だけど)
http://www.sankei.com/entertainments/news/160311/ent1603110009-n1.html
で、田村宏メモリアル
という不思議なコンサートを見つけた。
なんと、ベートーヴェンの第⒌ピアノ版である。
しかも6手(3人)2台のピアノによるという。
リスト編曲はなんとなく記憶があった。
すごいのは、
オーケストラ版と比較してしまうほどの「ダイナミック」さを保持したままの曲だということ。
もちろん、オーケストラの弦楽器・管楽器は「打楽器」にない魅力がある。
ベートーヴェンはその魅力を使いこなして作曲したということを改めて関心させられてしまうわけだが、
間宮芳生のご苦労が偲ばれる。素晴らしい編曲(作曲)だと感心した。
(ちなみに、これが初演である)
第九演奏会
井上道義が大フィルで第9を振った。
終わってから早々に舞台を片付けて何があるかというと・・・
大フィル合唱団による「蛍の光」の合唱があった。
(どうやら「恒例」だったらしい)
涙出た。
ここまでの苦難の大フィル合唱団の道をプログラムで読んで、
更に涙が出た。
ベートーヴェンの第九(マーラー編)
ベートーヴェンの第九(ピアノ版)
ワーグナー編曲、ピアノ版があるとは・・・。
1台のピアノで第九を表現するってのはやっぱり難しいようだ。
第一楽章ちょっと意外。
演奏はヒステリックという言い方は悪いけど、そんな感じ。
音一つ一つは鮮明なんだけど、
全ての音楽を経験した終着点で味わう第九というものとはちょっと違う雰囲気。
と思いながら第一楽章の9分あたりからちょっと違う様相になってきた。
なんか、バッハを聴いているようなそんな気分になってきた。
(基本的に、私は(まだ)バッハは理解できない。50歳過ぎたら聴こうと決めた曲なので。例外は「シャコンヌ」なんだけど、理解できない曲ということではなく、何か理解を超えたところに感動を誘うというか、そういう不思議な魔力を感じている)
第二楽章は普通にいい。
第三楽章もかなりいい。
第四楽章・・・見事だ。やっぱりベートーヴェンだった。
こいつは必聴の名曲だと思う。
大フィル第49回東京定期演奏会
大阪フィルハーモニー交響楽団
東京定期演奏会
指揮:大植英次
ベートーベン「田園」
ストラビンスキー「春の祭典」
音楽監督大植英次による最後の定期演奏会となった。
とはいえ、3月31日には「ブルックナー8番」特別演奏会、7月にもマーラー9番を定期で振ることとなっている。
(1年契約を特別に延長しての円満退団のようだ。コンマスも一緒に去るようだ)
オーケストラのコンサートが私も久しぶりであり、サントリーホールの雰囲気にちょっと呑まれる。なんか、来場しているみなさん久しぶりに会う方々との旧交を温めているかのようなそんな雰囲気であった。この日は運が悪いことに「森ビルの電気点検日」ということで、ビルの飲食店は全て休み。近所のお店まで戻って昼飯をかっくらうことになった。
ホールの雰囲気が何か違うなと思ったのは、学生が妙に多かった。あと、高齢の方も妙にいた。
大フィルってあんな感じなんだっけ?と今ひとつ記憶にないが、熱気はあってよかった。
ベルが鳴る前に、すでに、木管パートは出てきて練習していた。
1曲目は「田園」ベートーベンの名曲なんだろうけど、私はあまり聴く機会はない。第一楽章はとても綺麗にまとめて「流石」と思ったが、第二楽章・・・だんだんとまとまりがなくなってきた。ともあれ、第四楽章、第五楽章になって、なんか涙がこみ上げてくる何かがあった。この曲で音楽監督の仕事が終わるというのもありなんじゃないか?なんて思いながら聴いていた。
もっとも、第二楽章、第三楽章あたりで、バラバラ感があったり、金管楽器が情けなかったり・・・昔の大フィルに戻ってしまった感じである。
ベートーベンというと、4番7番をやったクライバーを思い出してしまう。(生で聴いたのは、ウィーン+アバドの4番、6番ってのでびっくりしたのはもう30年くらい昔の話)
20分の休憩の後
春の祭典
こんな難しい曲をあっさり聴けるような時代になったってのは本当に凄いことだと思う(難しいというのは、演奏する側もそうだけど、聞く側だってそれなりの知識・教養が必要だ)。
満足。
ともあれ、春の祭典というと、ドラティ・デトロイトを思い出す。
大植英次の大フィルとの歴史は下記を見る限り
http://aof.moo.jp/db/cgi-bin/sh_data/sh_data/12_log.html
2005年第42回からだ(一応、全部出席した)
マーラーの「悲劇的」の演奏後に、朝比奈の写真を胸から出して挨拶していた。
悲劇的というと、小林研一郎+都響の演奏を思い出す。正指揮者から去るってことでそのプログラムが「悲劇的」なのは驚いた。が、その意図は、就任したときが「悲劇的」だったから、それで卒業したいってことだったらしい。もっとも、以来、都響に再び戻るのは24年後となっているのは何かあったのか、なかったのか・・・。
「春の祭典」で団員一同力尽きたのか、アンコールはなかった。アンコールは確かにいらないかもしれない。
丁寧に、木管パートから、金管パートをねぎらい、打楽器、チェロ、ヴィオラ、コントラバスをねぎらい、ヴァイオリンを立たせて・・・花束が大植、コンマスに渡された。コンマスは今シーズンで大フィルを去ると発表されている。すると、大植は花束を持ってパーカッションのドラのパートまで一目散に・・・・。どうやら、ドラのパーカッションの方も今シーズンで終わりとのことのようだった。
これは涙なしには・・・。
大フィルの最も涙が出たのは
朝比奈隆の誕生日記念コンサートの「復活」
サンクトフローリアン教会のブルックナー7番