野外劇

南の島に雪が降る

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野外劇というのはなぜこのように舞台から飛び出すのか・・・。
椿組といい・・・。
幕末太陽傳を思い起こさせるが、なにかあるのだと思う。
むしろ大雨の中でみたかった気分である。

この話、小津映画「秋刀魚の味」に出てくる加東大介の原作の小説で、なんとも切ない話になっている。

20世紀少年少女唱歌集

私にとって夏の定番となった「椿組花園神社野外劇」。なんと今年で27年目だそうだ。夏祭りのあのドキドキ感と芝居のドキドキ感を一緒に体験できるオトクなイベントだ。

昨年・一昨年と、山本亨が主演で、ちょっと濃い大芝居が展開された。
今年の演目は再演ということだったけど、確かにこの再演は「大正解」だと思う。

物語は「現代のミシンの訪問販売員」と「北朝鮮帰還事業が始まった頃」が交錯する。
四姉妹の強い生き様、男と女の心のゆらぎ、子どもの思い・・・。小ネタで20世紀の気配を深めていた。
舞台は休憩入れて2時間半くらい。
熱い客席でビールを飲みながら見るもよし、最前列でビニール持ちながら見るもよし、これだけの「昭和」を感じさせてくれる物語はなかなか・・・。

この花園神社の公演は「野外劇」というところ。そのための仕掛けには最大の努力をしているようで・・・。今年のこのエンディングはちょっと泣けた。
東京セレソンDX「夕」のエンディングに簾がどーんと落ちて「夕顔」が一杯に出るシーンがある。
能登演劇堂の舞台装置は舞台奥が開くとそのまま外の景色が見える。
子どもの頃の思い出というと線路(スタンドバイミーじゃないけど)。で、レールがが花道に敷かれているような気がするが、何なのか?
似た芝居を、
なんかにもひけをとらない圧倒する仕掛けが待っていた。
6月に唐組の公演を見たのだけど、似た感じなんだけど、こちらの方が好感が持てるのは嗜好の問題だろうということにしとえく。
http://owada.sakura.ne.jp/play2012/files/b4b5b6d5c4e7a490b5c7d825998fb700-22.html

6月 6本
5月 4本
4月 3本
3月 3本
2月 2本
1月 5本
半年で23本・・・。


唐組第49回公演「海星(ひとで)」

唐組第49回公演『海星(ひとで)』
作・演出:唐十郎
池袋雑司ヶ谷鬼子母神境内

唐十郎の芝居を見るのは当然ながら初めて。
テントで見る芝居ってのは
「シティボーイズ」(池上本門寺)
「椿組夏公演」(花園神社)
テントで見てるなぁって感じは
劇団鹿殺しの「轟のうた」なんかがそんな雰囲気を醸し出してくれた。
ひょっとしたら、青山円形劇場にはそんな気配があるのかもしれない。

観終わっての感想は大きく2つ。
1.今見てよかった。5年前に見ていたら、多分二度と芝居は観なくなっていただろう
会場は、伝説の「赤テント」なるほど・・・。一度は入ってみたいと思ったけど、これかと。入口は1カ所、席の殆どは桟敷席。靴は脱ぐ。長時間だと辛いなとちょっと不安になる。途中15分の休憩を挟んでも2時間かかっていなかったようだ。

2.エンディングは「椿組花園神社公園」「能登演劇堂」と同じ演出手法
流石というか、ちょっと感心。 あれ見せられると全てを許してしまう感じ。 あの手法は川島雄三監督の「幕末太陽傳」とどっちが旧いんだろうか。 何があるかというと、舞台奥は現世とつながっていて、そこに役者が出ていくという・・・。初めて見たのは私の履歴書の「仲代達矢」の紹介した「能登演劇堂」のくだりを見たときだと思う。これは舞台奥が開いて外が見えるという舞台装置だった。劇団新感線の「髑髏城の七人」(新国立劇場)を見たのもいつか記憶が定かでなくなってきたけど、あれは舞台奥から役者が50mくらい走って挨拶するという舞台の大きさを圧倒するものだった。しかし、椿組の芝居では、なんと舞台を壊して明治通りが丸見えになるというすごい演出・・・・。

おまけ、唐十郎を生で見たいと思って行ったが、けがで出ていないという・・・。
芝居に大きな穴が空いた感じがしないから、舞台役者としての関わりは「長塚圭史」的関わり方なのかと思うに至った。
作・演出の人が「主役」をやるというのは結構面倒なことになるんだろうなと思ったのは、東京セレソンDXを見て。作・演出の人がなんでこんな脇役やっているだろうと思ったのは阿佐ヶ谷スパイダースを見て感じたこと。後藤ひろひとになると、その特権をとにかく利用して「解説もしくは前座」みたいな不思議な役回りで登場する。野田秀樹の芝居はあまり観ていないけど、「NODAMAP」の場合には主役ではなく、主役級の舞台の転換点を担う役をそつなくこなしているそんな感じがした。