6月の観劇計画
2012/5月/27
かなり過酷だ
2日(土) 唐組…done
3日(日) 入江雅人 グレート一人芝居(シブゲキ)…done
5日(火) 不条理劇場II(シアター711)
9日(土) 劇団☆新感線(青山劇場)
10日(日) 青年団(座・高円寺)
17日(日) THE BEE(松本市民芸術館)
23日(土) 南部高速劇場(シアタートラム)
30日(土) コクーン歌舞伎
2日(土) 唐組…done
3日(日) 入江雅人 グレート一人芝居(シブゲキ)…done
5日(火) 不条理劇場II(シアター711)
9日(土) 劇団☆新感線(青山劇場)
10日(日) 青年団(座・高円寺)
17日(日) THE BEE(松本市民芸術館)
23日(土) 南部高速劇場(シアタートラム)
30日(土) コクーン歌舞伎
ハンドダウンキッチン
パルコ劇場で「ハンドダウンキッチン」を観た
http://www.parco-play.com/web/play/hand-down-kitchen/
蓬莱竜太の作品は
「Love30」(2006年)、水野美紀、東風真智子、なんかが出ていた回の「You+生瀬勝久」で観ていた。なんか、縁がなかったみたいだ。
登場している役者は
江守徹・・・・・流石の役者だ、いい味ってのはこれなんだろう。
仲村トオル・・・「奇っ怪」で凄いと思った。「黴菌」でもいい感じだった。
基本ああいう役者なんだってことは分かってきた
千葉哲也・・・・新感線とかでよく名前を観るけど、素顔を観たのは初めて?
「寿歌」の演出をそういえばやっていた。
中村倫也・・・・「ロッキー・ホラー・ショー」「muro式4『xyz』」
で観ていた。そういえば、muro式のアフタートークで呑みに誘っても
来てくれないってムロツヨシに暴露されていた
柄本佑・・・・・多分観たのは初めて。時生の方が見た目のインパクトがある。
You・・・・・・「シティボーイズ・ミックス」に出ていたのを思い出した。
佐藤めぐみ・・・今回、このチケットを買った理由は彼女を舞台で観たかったから。
「料理のできない料理人 」
なんといっても、換気扇が回らない・・・空気がなにやらよどんでいるそこに色々な秘密があることが想像つく。この換気扇はいつ回るのか、そこが、そこだけが気になってしまった。換気扇にスポットライトを当ててというので思い出すのは「越後妻有トリエンナーレ」のボルタンスキーの「最後の学校」である(舞台じゃなくて美術作品だけど)。
物語の展開で、外から人が来てなにやら歯車が狂い始める・・・というのはなんとも倉持裕っぽい感じもするけど、違いはその歯車が内部崩壊をきたすようなことはなくて、もう一人の外からの客人(佐藤めぐみ)がその中で和んでしまう感じで、緊張と緩和がうまいこと機能している。
変な人の登場と、その人によって舞台転換があるというのは、シェークスピア以来の伝統なんだと思うけど、今では舞台転換は「携帯電話」で済ませる安易なことが多いけど、この舞台ではしっかり舞台上でその現象を示しているあたりが見事だと思った。(電話は厨房の外で受けて・・・その結果をしっかり登場人物が「語る」、インターネットもその画面の内容を登場人物が「語る」ことでその現象を説明する)舞台だとテレビと違って見せたいものをアップにして解決できないための工夫がいいなと思った。
やはり、映画を撮らない映画監督とか、絵を描かない画家とか、作品つくらないアーティストとか、変なことが沢山あるけど、包丁の握れないシェフがいて、絵描き・ウェブ仕掛け人・ギャンブル好き元居酒屋オーナーが「イケメンオーナーシェフの創作フレンチ」を提供している、この様はすごいと思った。
江守徹が舞台をきりりと締めているのは明らかで、仲村トオルの好きにやっているようで押さえながらやっている所作にかなり感心してしまった。そして、周りを固める役者とのハーモニーは見事だった。Youは好演していたんだと思うけど、なんか小声でボソボソという役が向いている人とそうでない人がいると思って、Youは素のままの怒りキャラが安心してしまう。
ハイライトは
・11件の料理の感想のところ
・江守徹が再現しようとしてできないスープの味の隠し味とは
・そのスープを飲んだ7人の感想のめちゃくちゃ加減
・換気扇が回り始めるところ、長くなる話の予感
で、最後のシーン
やっぱりここでも長塚圭史の多用する演出手法が出てきていた。
いや、正確には長塚圭史のやっている演出とは違うんだけど、やっぱりこれ使うんだと思い出した。
舞台から、出演者が、一人、一人、抜けていって、主役の二人になって、最後に一人・・・。
長い間があって、
戻ってくる、
換気扇が回り始める・・・。
舞台の回りには出演者が戻ってきて二人を見守っている(イメージシーンとしてのとりまきなんだと思うけど)。
なるほど、長塚圭史オリジナルってことではないんだ、こういうシーンは以前からあったんだな。と。
ちなみに「ハンドダウン」
っていうのは「受け継ぐ」というような意味だそうだ。
でも、もう少し違う意味もあるみたいで、真意は今一つわからない。
「評決する」みたいなそんな意味もあるそうだ。
なんか、自分の人生(というか日々の仕事とか、デジタル時代の諸問題)と照らし合わせてしまうかのようなそんな舞台だった。
佐藤めぐみ
舞台挨拶2回目にはメガネをとって出てきてくれてちょっと嬉しかった(笑)
佐藤めぐみがどういう役者なのか、どんな人なのかよくわかっていないので、あの演技が「素晴らしい」のか「素」なのかは今一つ分からない。けど、プログラム読む限りでは「今までにない役」をこなしていたようなので、「よかった」と思うことにした。私にとっては佐藤めぐみの場合は演技が巧い、下手とかそういうこと抜きに、舞台に立って、台詞をこなしてくれる、それだけで充分すぎるくらい満足な気分になる。今回の舞台も、登場シーンは少なく、台詞も少なめではあるが「山猫」の一連の幇助者としての立ち位置をいい感じに表現してくれていた。
「山猫」は注文の多い料理店からとったのは多分間違いなかろう。
そんなフりの巧さも蓬莱竜太のすごさなんだと思う。
蓬萊というと「551」を思い出してしまうのはなんか・・・。
フレンチレストランで
朝食にコンビニのサンドイッチ
昼食のまかないに仕出し弁当
隠し味の「味の素」に気がつかない先代シェフ。息子の指摘で味を再現できて満足する先代シェフ。
料理を作らないオーナーシェフがその再現できた味は再現できたことを理解しつつ「不味い」と言い切る。
http://www.parco-play.com/web/play/hand-down-kitchen/
蓬莱竜太の作品は
「Love30」(2006年)、水野美紀、東風真智子、なんかが出ていた回の「You+生瀬勝久」で観ていた。なんか、縁がなかったみたいだ。
登場している役者は
江守徹・・・・・流石の役者だ、いい味ってのはこれなんだろう。
仲村トオル・・・「奇っ怪」で凄いと思った。「黴菌」でもいい感じだった。
基本ああいう役者なんだってことは分かってきた
千葉哲也・・・・新感線とかでよく名前を観るけど、素顔を観たのは初めて?
「寿歌」の演出をそういえばやっていた。
中村倫也・・・・「ロッキー・ホラー・ショー」「muro式4『xyz』」
で観ていた。そういえば、muro式のアフタートークで呑みに誘っても
来てくれないってムロツヨシに暴露されていた
柄本佑・・・・・多分観たのは初めて。時生の方が見た目のインパクトがある。
You・・・・・・「シティボーイズ・ミックス」に出ていたのを思い出した。
佐藤めぐみ・・・今回、このチケットを買った理由は彼女を舞台で観たかったから。
「料理のできない料理人 」
なんといっても、換気扇が回らない・・・空気がなにやらよどんでいるそこに色々な秘密があることが想像つく。この換気扇はいつ回るのか、そこが、そこだけが気になってしまった。換気扇にスポットライトを当ててというので思い出すのは「越後妻有トリエンナーレ」のボルタンスキーの「最後の学校」である(舞台じゃなくて美術作品だけど)。
物語の展開で、外から人が来てなにやら歯車が狂い始める・・・というのはなんとも倉持裕っぽい感じもするけど、違いはその歯車が内部崩壊をきたすようなことはなくて、もう一人の外からの客人(佐藤めぐみ)がその中で和んでしまう感じで、緊張と緩和がうまいこと機能している。
変な人の登場と、その人によって舞台転換があるというのは、シェークスピア以来の伝統なんだと思うけど、今では舞台転換は「携帯電話」で済ませる安易なことが多いけど、この舞台ではしっかり舞台上でその現象を示しているあたりが見事だと思った。(電話は厨房の外で受けて・・・その結果をしっかり登場人物が「語る」、インターネットもその画面の内容を登場人物が「語る」ことでその現象を説明する)舞台だとテレビと違って見せたいものをアップにして解決できないための工夫がいいなと思った。
やはり、映画を撮らない映画監督とか、絵を描かない画家とか、作品つくらないアーティストとか、変なことが沢山あるけど、包丁の握れないシェフがいて、絵描き・ウェブ仕掛け人・ギャンブル好き元居酒屋オーナーが「イケメンオーナーシェフの創作フレンチ」を提供している、この様はすごいと思った。
江守徹が舞台をきりりと締めているのは明らかで、仲村トオルの好きにやっているようで押さえながらやっている所作にかなり感心してしまった。そして、周りを固める役者とのハーモニーは見事だった。Youは好演していたんだと思うけど、なんか小声でボソボソという役が向いている人とそうでない人がいると思って、Youは素のままの怒りキャラが安心してしまう。
ハイライトは
・11件の料理の感想のところ
・江守徹が再現しようとしてできないスープの味の隠し味とは
・そのスープを飲んだ7人の感想のめちゃくちゃ加減
・換気扇が回り始めるところ、長くなる話の予感
で、最後のシーン
やっぱりここでも長塚圭史の多用する演出手法が出てきていた。
いや、正確には長塚圭史のやっている演出とは違うんだけど、やっぱりこれ使うんだと思い出した。
舞台から、出演者が、一人、一人、抜けていって、主役の二人になって、最後に一人・・・。
長い間があって、
戻ってくる、
換気扇が回り始める・・・。
舞台の回りには出演者が戻ってきて二人を見守っている(イメージシーンとしてのとりまきなんだと思うけど)。
なるほど、長塚圭史オリジナルってことではないんだ、こういうシーンは以前からあったんだな。と。
ちなみに「ハンドダウン」
っていうのは「受け継ぐ」というような意味だそうだ。
でも、もう少し違う意味もあるみたいで、真意は今一つわからない。
「評決する」みたいなそんな意味もあるそうだ。
なんか、自分の人生(というか日々の仕事とか、デジタル時代の諸問題)と照らし合わせてしまうかのようなそんな舞台だった。
佐藤めぐみ
舞台挨拶2回目にはメガネをとって出てきてくれてちょっと嬉しかった(笑)
佐藤めぐみがどういう役者なのか、どんな人なのかよくわかっていないので、あの演技が「素晴らしい」のか「素」なのかは今一つ分からない。けど、プログラム読む限りでは「今までにない役」をこなしていたようなので、「よかった」と思うことにした。私にとっては佐藤めぐみの場合は演技が巧い、下手とかそういうこと抜きに、舞台に立って、台詞をこなしてくれる、それだけで充分すぎるくらい満足な気分になる。今回の舞台も、登場シーンは少なく、台詞も少なめではあるが「山猫」の一連の幇助者としての立ち位置をいい感じに表現してくれていた。
「山猫」は注文の多い料理店からとったのは多分間違いなかろう。
そんなフりの巧さも蓬莱竜太のすごさなんだと思う。
蓬萊というと「551」を思い出してしまうのはなんか・・・。
フレンチレストランで
朝食にコンビニのサンドイッチ
昼食のまかないに仕出し弁当
隠し味の「味の素」に気がつかない先代シェフ。息子の指摘で味を再現できて満足する先代シェフ。
料理を作らないオーナーシェフがその再現できた味は再現できたことを理解しつつ「不味い」と言い切る。
100年の秘密
ナイロン100℃ 38th session
休憩時間を入れて3時間25分の対策。
基本的にケラさんの作品は長時間になるわけだけど、やっぱりこれも長かった。
この芝居の驚いたところは3つ。
その1
世界初なんではないか?(いや、あるんだろうな、きっと)
舞台セットを工夫して「居間」と「前庭」の2つが1つの舞台上に同居している。
メリットは暗転なく演じることができること、2カ所の出来事を同事に表現できること。デメリットは客がぼんやりしているとどこの話か分からなくなる危険性があること。実際にはその話題展開がどこなのかは「照明」「立ち位置」「大道具」の工夫で戸惑うことはなく、しかも「メイドさんの記憶」をベースに物語りを進めるということになっているので、人間の記憶の実際はこんな感じなんだろうということを実感する。
実際自分も歳をとってきて、この記憶の混同感、つじつまのおかしさというのにはとても共感を持ってしまっている。
その2
ということで、その100年をどのように表現するのか、時計の針は進んだり、戻ったり、実際人間の記憶の多くは「時系列」が都合がいい。が、何かを思い出して語る場合に必ずしも時系列の通りだとは限らなくて、概ね時系列、ときどき前後する。この断片化した物語にはなんとも素晴らしい。
その3
多分、「100年の孤独」をフィーチャリングしたんだとは思うけど、観終わって思い出したのは「1900年」だった。いや、いい舞台ってのは一本そびえ立っているとは限らなくて、いくつもの物語が糸のように紡がれているうちの一本をそっとのぞき見するそんな感じになるのかもしれない。
「すごいな」
というのが観ているときに思った感想
「案外小さい話だな」
と思ったのが終わって呑み屋に座ったときの感想
「語るに難しい壮大な話だな」
というのがことばにしようとしたときの感想
で、一晩だって、まだよくわからないところがあります。
(全編観れば、わからなくていいところを除いて、理解できないことは何もない)
いえ、舞台セット、物語の時計が進んだり戻ったり、その辺にかくも見事な仕組みがあることに感動。そして、純愛(ってことでいいんでしょうね)、すれ違いの恋、いわゆる「病気」とでもいったらいいのか性癖、この辺が見事に表現されていて、それがどういうことなんだろう、100年の秘密は「悲劇」なのか、人生とはそういうものなのか、なんてことをフと我が事と照らし合わせてわからなくなってしまっています。死ぬ時に分かることなんだとは思うのですが。いや、そこでもわからないのか、すると永遠の謎になってしまうなぁとも。
あと、長塚圭史の芝居で、出演者が舞台袖(見えるところ)に椅子を置いて、出番でないときに、そこで演劇を観ているという不思議な演出があった。今回の「メイド」が物語を見守る様をみて、なんとなくその「必然性」なるものが見えてきた。
5月19日、中央線が工事のため国分寺から吉祥寺までドキドキしながら移動した。武蔵小金井ー東小金井が折り返し運転になっていて、想定しない駅で大量の乗客が乗降した。なるほど、ターミナルってのはそういう乗降のための「システム」がしっかりしているということなんだ。「慣れ」というものも含めて。
下北沢に異常に若者が多いのも気になった。何かお祭りでもあったのだろうか?
休憩時間を入れて3時間25分の対策。
基本的にケラさんの作品は長時間になるわけだけど、やっぱりこれも長かった。
この芝居の驚いたところは3つ。
その1
世界初なんではないか?(いや、あるんだろうな、きっと)
舞台セットを工夫して「居間」と「前庭」の2つが1つの舞台上に同居している。
メリットは暗転なく演じることができること、2カ所の出来事を同事に表現できること。デメリットは客がぼんやりしているとどこの話か分からなくなる危険性があること。実際にはその話題展開がどこなのかは「照明」「立ち位置」「大道具」の工夫で戸惑うことはなく、しかも「メイドさんの記憶」をベースに物語りを進めるということになっているので、人間の記憶の実際はこんな感じなんだろうということを実感する。
実際自分も歳をとってきて、この記憶の混同感、つじつまのおかしさというのにはとても共感を持ってしまっている。
その2
ということで、その100年をどのように表現するのか、時計の針は進んだり、戻ったり、実際人間の記憶の多くは「時系列」が都合がいい。が、何かを思い出して語る場合に必ずしも時系列の通りだとは限らなくて、概ね時系列、ときどき前後する。この断片化した物語にはなんとも素晴らしい。
その3
多分、「100年の孤独」をフィーチャリングしたんだとは思うけど、観終わって思い出したのは「1900年」だった。いや、いい舞台ってのは一本そびえ立っているとは限らなくて、いくつもの物語が糸のように紡がれているうちの一本をそっとのぞき見するそんな感じになるのかもしれない。
「すごいな」
というのが観ているときに思った感想
「案外小さい話だな」
と思ったのが終わって呑み屋に座ったときの感想
「語るに難しい壮大な話だな」
というのがことばにしようとしたときの感想
で、一晩だって、まだよくわからないところがあります。
(全編観れば、わからなくていいところを除いて、理解できないことは何もない)
いえ、舞台セット、物語の時計が進んだり戻ったり、その辺にかくも見事な仕組みがあることに感動。そして、純愛(ってことでいいんでしょうね)、すれ違いの恋、いわゆる「病気」とでもいったらいいのか性癖、この辺が見事に表現されていて、それがどういうことなんだろう、100年の秘密は「悲劇」なのか、人生とはそういうものなのか、なんてことをフと我が事と照らし合わせてわからなくなってしまっています。死ぬ時に分かることなんだとは思うのですが。いや、そこでもわからないのか、すると永遠の謎になってしまうなぁとも。
あと、長塚圭史の芝居で、出演者が舞台袖(見えるところ)に椅子を置いて、出番でないときに、そこで演劇を観ているという不思議な演出があった。今回の「メイド」が物語を見守る様をみて、なんとなくその「必然性」なるものが見えてきた。
5月19日、中央線が工事のため国分寺から吉祥寺までドキドキしながら移動した。武蔵小金井ー東小金井が折り返し運転になっていて、想定しない駅で大量の乗客が乗降した。なるほど、ターミナルってのはそういう乗降のための「システム」がしっかりしているということなんだ。「慣れ」というものも含めて。
下北沢に異常に若者が多いのも気になった。何かお祭りでもあったのだろうか?
ミッション
前川知大の存在を知ったのは「奇っ怪その弐」を見てから。
あまりにすごいその物語にかなりぐっときた。
その後
「太陽」を見て、似ているなと思いながらも抜群の物語に2作目もそれなりの満足をもって見ていた。なもんで、前川知大というか、イキウメという存在が結構気になっていた。
今回の作品には俄然期待が高まっていた。結論からすると、期待以上のいい感じ。会場もシアタートラムとはいえ満員で客席とくか、観客も満足感で満ちているのが分かった。
このミッションで思い出した人生のエピソード
1988年に、会社のテレビニュースで藤本義一が社員に対しての一言
「俺はどうせ会社の歯車だ、って思っている人がいるでしょうけど、機械の歯車は歯が欠けたら機械は止まります。あなたが会社からいなくなっても会社はつぶれません。せめて歯車になれるよう頑張ってください」
これは新入社員のときに聞いたショッキングなメッセージだった。
誰でもできることをやっているだけ、それが会社員である。
っていうのは今でも色々悩まさせられている。最大の呪縛である。
人間の行動ってのは視覚から脳に認識して身体に「行動指示」を出す結果という反応をすると全然間に合わない。会話においても話を聞き終わってから返事をしていたのでは「とろい」と認識されてしまう。
人間の行動の多くは実は事後的に理由を考えているのではないか?という話を脳科学者から聞いたことがある。その「衝動」とかは何なのか・・・まだ分かっていないようだ。ある意味、神の啓示なのか、何なのか。
仕事と社会のギャップ
生業ということばがあるけど、それは果たして給料をもらうための仕事なのか?それとも社会のために何か貢献をしようとしているのか?本田宗一郎と社員の会話。
本田「今、仕事楽しいか?」
社員(おやじが聞くんだからそりゃそう答えなきゃ・・・)
「あ、はい。楽しいです」
本田「そうか、それじゃ、給料は要らないな。給料は苦痛の代償として払っているんだから」
社員「え・・・・」
という逸話。社員は、多分その後のホンダの社長になった人の話なんだと思う。
自分も含め、会社でえらくなるってこととやりたいことをやるってのは全く独立事象で、経営をやりたいっていう人は相関があるんでしょうけど、やりたいことは仕事になるとは限らない。いや、むしろ仕事になる筈がない。
厄介な叔父
物語のお約束として「厄介なおじさんの周りで事件が起きてあれこれ・・・」
「男はつらいよ」に限らず、物語の基本かもしれない。
この場合、悲劇的結末は似合わない。
物語は「ハッピーエンド」であってほしいものだ。
あまりにすごいその物語にかなりぐっときた。
その後
「太陽」を見て、似ているなと思いながらも抜群の物語に2作目もそれなりの満足をもって見ていた。なもんで、前川知大というか、イキウメという存在が結構気になっていた。
今回の作品には俄然期待が高まっていた。結論からすると、期待以上のいい感じ。会場もシアタートラムとはいえ満員で客席とくか、観客も満足感で満ちているのが分かった。
このミッションで思い出した人生のエピソード
1988年に、会社のテレビニュースで藤本義一が社員に対しての一言
「俺はどうせ会社の歯車だ、って思っている人がいるでしょうけど、機械の歯車は歯が欠けたら機械は止まります。あなたが会社からいなくなっても会社はつぶれません。せめて歯車になれるよう頑張ってください」
これは新入社員のときに聞いたショッキングなメッセージだった。
誰でもできることをやっているだけ、それが会社員である。
っていうのは今でも色々悩まさせられている。最大の呪縛である。
人間の行動ってのは視覚から脳に認識して身体に「行動指示」を出す結果という反応をすると全然間に合わない。会話においても話を聞き終わってから返事をしていたのでは「とろい」と認識されてしまう。
人間の行動の多くは実は事後的に理由を考えているのではないか?という話を脳科学者から聞いたことがある。その「衝動」とかは何なのか・・・まだ分かっていないようだ。ある意味、神の啓示なのか、何なのか。
仕事と社会のギャップ
生業ということばがあるけど、それは果たして給料をもらうための仕事なのか?それとも社会のために何か貢献をしようとしているのか?本田宗一郎と社員の会話。
本田「今、仕事楽しいか?」
社員(おやじが聞くんだからそりゃそう答えなきゃ・・・)
「あ、はい。楽しいです」
本田「そうか、それじゃ、給料は要らないな。給料は苦痛の代償として払っているんだから」
社員「え・・・・」
という逸話。社員は、多分その後のホンダの社長になった人の話なんだと思う。
自分も含め、会社でえらくなるってこととやりたいことをやるってのは全く独立事象で、経営をやりたいっていう人は相関があるんでしょうけど、やりたいことは仕事になるとは限らない。いや、むしろ仕事になる筈がない。
厄介な叔父
物語のお約束として「厄介なおじさんの周りで事件が起きてあれこれ・・・」
「男はつらいよ」に限らず、物語の基本かもしれない。
この場合、悲劇的結末は似合わない。
物語は「ハッピーエンド」であってほしいものだ。
シダの群れ—純情巡礼編—
シダの群れ―純情巡礼編―
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/12_shida/index.html
2010年に第一弾があって
あらかたの人は死んでしまった筈なんだけど・・・。
そっか、続編ということである。
堤真一と松雪泰子という組み合わせは「ガリレオ―容疑者Xの献身」を思い出してしまう。もちろん、あの薄幸そうな松雪泰子にぐっと来たわけだけど、今回は「岩松了ワールド」を堪能しにシアターコクーンに戻ってきたそんな感じだ。
シアターコクーンは改装していて、ここで芝居を見るのは久しぶりな感じ。パルコ劇場とも下北沢の劇場とも、新国立劇場とも違う雰囲気がある。ちょっと似ているのはシアタークリエなのかもしれない。特に、今回は「獣匂」の香水があちこりに・・・。そんな観劇は初めてだ(年齢を重ねた女子が多いということなんだと勝手に想像している)。
今回の芝居だけでも楽しめるっていうことがどこかに書いてあった気がするけど、第1回を知らないと重要なことが見えなくなってしまうそんな感じがする。
第三話があるとすると、風間杜夫が車椅子で出てくる、阿部サダヲがでっかくなって出てくる、荒川良々が片手ないか何かで出てくるあたりから、堤真一と松雪泰子を巡る色恋沙汰と小池徹平の愛情の裏返しの敵討ちみたいな・・・。それは楽しみだ。なんか、そういう大河ドラマチックなものに惹かれるのが人生ってことなのかもしれない。
ヤクザ映画ってのはゴッドファーザーくらいしか見たことなくて、たまたま、鷹の台駅前の本屋で「アナーキー日本映画史1959-1979」(洋泉社MOOK)を見てびっくりした。東映実録映画、松方弘樹の話を見て俄然興味が沸いてきた。なるほど、シェークスピア劇のような「嫉妬」と「裏切り」を表現する世界として歴史があるんだということがわかってきた。
あきらかに第3話を意識したかのエンディング。
しかし、この人の描く女というのは、なんか面倒な感じがキャラクターだ。
劇中に役者役で登場した役者荒川良々はでかいなぁと感心。
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/12_shida/index.html
2010年に第一弾があって
あらかたの人は死んでしまった筈なんだけど・・・。
そっか、続編ということである。
堤真一と松雪泰子という組み合わせは「ガリレオ―容疑者Xの献身」を思い出してしまう。もちろん、あの薄幸そうな松雪泰子にぐっと来たわけだけど、今回は「岩松了ワールド」を堪能しにシアターコクーンに戻ってきたそんな感じだ。
シアターコクーンは改装していて、ここで芝居を見るのは久しぶりな感じ。パルコ劇場とも下北沢の劇場とも、新国立劇場とも違う雰囲気がある。ちょっと似ているのはシアタークリエなのかもしれない。特に、今回は「獣匂」の香水があちこりに・・・。そんな観劇は初めてだ(年齢を重ねた女子が多いということなんだと勝手に想像している)。
今回の芝居だけでも楽しめるっていうことがどこかに書いてあった気がするけど、第1回を知らないと重要なことが見えなくなってしまうそんな感じがする。
第三話があるとすると、風間杜夫が車椅子で出てくる、阿部サダヲがでっかくなって出てくる、荒川良々が片手ないか何かで出てくるあたりから、堤真一と松雪泰子を巡る色恋沙汰と小池徹平の愛情の裏返しの敵討ちみたいな・・・。それは楽しみだ。なんか、そういう大河ドラマチックなものに惹かれるのが人生ってことなのかもしれない。
ヤクザ映画ってのはゴッドファーザーくらいしか見たことなくて、たまたま、鷹の台駅前の本屋で「アナーキー日本映画史1959-1979」(洋泉社MOOK)を見てびっくりした。東映実録映画、松方弘樹の話を見て俄然興味が沸いてきた。なるほど、シェークスピア劇のような「嫉妬」と「裏切り」を表現する世界として歴史があるんだということがわかってきた。
あきらかに第3話を意識したかのエンディング。
しかし、この人の描く女というのは、なんか面倒な感じがキャラクターだ。
劇中に役者役で登場した役者荒川良々はでかいなぁと感心。