無差別

「柿食う客」
ここの芝居を見たのは初めて。
実は、中屋敷法仁がというか、「女体シェークスピア」シリーズは気になって見ている。

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NODA MAPというか、「エッグ」で気がついたことがあった。大きいテーマを芝居にしないという今の日本の演劇事情に少々もどかしさを感じつつある今日、この頃。エッグと続けて無差別も「個人ではかかえきれないような大きなテーマ」を舞台上で展開してくれた。舞台の上では「何でもあり」ということをうまいこと表してくれた快心作だと思う。
テーマは「穢れ」に基づいた「差別」の話、障がいに対する差別の話、神となるモノの話、神への畏敬の念と神がヒトとなってしまった時代の話、信仰の対象が自然から概念へ、そして科学へと変遷する話。沢山のことを77分で表現してくれた。このネタで2時間やられるとやっぱり辛いだろうなと思った。
秀逸だったのは、1000年続いた「楠」の神が手のないモグラに倒され、モグラが神になり、
倒された楠は穢れた村人に切り取られ、天神により燃やされ、その楠の怨念はキノコの胞子となり、やがてキノコ雲、黒い雨となり・・・。
一方、モグラは望むべくして神になったのではなかったが、神として生き(続ける)のか、モグラとして一生を終えるのかを問いただされ、モグラとしての一生を選択する。
天神は1000年間恨み続けていることになった今の地位を悔やんでいる。
目の開かない踊り人は、祈るために踊ることを続ける。
これは物語の伏線で、

本編は、
狗殺しの兄と、殺生をしない・仏を掘る妹、その妹を母親と慕うメス犬の「3人」が展開する物語。


エッグ

NODA・MAP第17回公演「エッグ」
9月8日に見た

東京芸術劇場はながいこと改修をしていた。
何を改修したのかよくわからないけど、
入口にあるコンサートホールまでのエスカレーターは撤去され、端に移動していた。
あのエスカレーターは私は怖くて乗れなかったので、大英断に拍手したい。

なんか劇場全体が明るくなった気がするのと、公共の劇場とプライベートの劇場の大きな差である、まったりとする場所のあるなし、広い、狭いみたいな・・・東京芸術劇場は公共の劇場なので、その辺は以前から広めではあったのが、更に充実している感じがした。

芝居そのものはすごいことになっていて、
こんな「でかい」テーマを扱えるのは流石「野田秀樹」
そして、寺山修司の遺作原稿を発見して・・・という設定
オリンピックが遡って・・・。
731部隊チックな話になって、
旧財閥のイデオロギーを越えたレベルでの「生き残るという戦略」、
円谷を思わせる名前で遺書を出しながら、裏切る見事さ。
満州の悲劇をなんとも巧いこと表現するなとか、
劇場の改修をおちょくりながらも、そのプレッシャーと闘う様。
プログラムに書いてあった、創作ノートにあった「自分のとも誰のともわからない2行の台詞」
それが何なのか気になって仕方が無い。

仲村トヲル、深津絵里、大倉孝二は、野田秀樹以外の演出で見ていることもあって、演技に違和感を感じた。持ち味を十二分に出しているのかどうかとか、そういうことになるんだけど、なんか、違和感を感じた。その理由はプログラムを見ていてわかったのだけど、稽古で芝居を作り上げていく(のが野田秀樹のやりかたということらしく)役者にどう演じるかを「問う」のが野田秀樹のやり方らしい。役者とはどうあるべきかという議論をしても私は演劇業界の人間ではないので、意味ないけど、役者は脚本・演出の中で動く「コマ」として存在していて、そのコマをどう料理するかは「演出家」に委ねられるべきものなのかな。となんとなく感じている。
もちろん、舞台の幕が開くと、役者が主役になり、役者と舞台制作陣(大道具・小道具・照明・音響・舞台監督)の力量で「芝居」は完成されるわけだけど。料理でいうところの「下ごしらえ」と「調理」の関係に似ているのかもしれない。

で、この大きなテーマを芝居は描けるのか?
終わってしばらくは「こういう大きなものを描けるのは野田秀樹くらい」なんだろうと勝手に思って、それが演劇に向いていないのではないか?と思ったが、いやいや、「エンロン」「サブプライムローン」「証券投資」なんかをテーマにした演劇をイギリスでは上演して成功しているわけである。実際、翻訳された芝居を見てみると、見事なまでに完成した形になっている。

別に大きなテーマを描くのに
「テレビドラマ」のような長尺は要らない(スポンサーの関係もあって実は放映できないわけだし)
「映画」みたいに舞台を越えた表現ができることはうらやましいけど、映画は舞台より制作費がかかるわけだし。
舞台の扱うテーマとして野田秀樹のやっているようなテーマは「あり」なんだということを確信した。
要するに「世代」「関心」の問題なんだってことが分かった。

其礼成心中

三谷幸喜脚本
なかなか面白いもので、
人形にあそこまで「表情があること」「動きが人間的なこと」「唄、三味線の見事なこと」
名前の使い方が今一つわからない。
もっとも、パルコ劇場の最後部で見ていたので細かいところがよく見えなかった。
前の方で見たらちがったろうに・・・。
http://www.parco-play.com/web/page/information/sorenarishinju/

明日を落としても

ワンダーランドからのご招待で見ることとなった。
佐藤佐吉演劇祭3本目

京都の劇団、なんとなく雰囲気がダムタイプチックなのか?などと勝手に妄想を広げて出かけた。
感想はクロスレビューということでこちらに
ちょっと甘い評だけど(★一つ追加した感じ)
http://www.wonderlands.jp/archives/21338/

http://www.geocities.jp/pinkundergrounder/

父母姉僕弟君

この芝居のチケットを買ったのは
永野宗典不条理劇場で「望月綾乃」を見ていいと思ったから。
もっとも永野宗典不条理劇場II「劇野郎が来る」は「人形劇」だった。


王子小劇場「佐藤佐吉演劇祭」2つ目の作品を見ることとなった。
http://llo88oll.com/bio.html
舞台は、前回みた競泳水着(good night)配置の逆・・・どっちが普通なのかわからない。

なんとも不条理な展開で物語は進む。
言いたいこともわかるし、すごいシーンもある。
全体はちょっと残念な感じ(冗長というか、役者が場を支えきれないというか)。
とはいえ、2時間を堪能できることは間違いない。
これが小劇場の魅力なんだと思う。