夜行列車という宿

初めての一人旅は「銀河51号」小学校6年生の時だった。
東京から京都まで14系の座席指定夜行急行に乗った。
翌朝一番で「清水寺」「三十三間堂」「梅小路蒸気機関車館」に行って新感線で帰った。

北海道の宿というと、いまはなき
「宗谷」「まりも」「すずらん」「青函連絡船」にお世話になったのは大学4年の時だ。

高校3年の北大受験の帰りに「札幌発函館行き」の夜行列車に乗った。
着いて函館の五稜郭に出かけた記憶がある。
結局、その大学受験は落第だった。
夜行列車で函館に。青函連絡船に乗って、仙台まで1日かかったのか。
そこから再び夜行列車で東京に帰った気がする。

夜行列車は最高の「宿」だったのは昔の話。

もちろん、その後、
「八甲田」「十和田」なんかにもお世話になった。
「松島」なんかでも夜を明かした記憶がある。

「大垣夜行」は10回以上乗った。グリーン車は2回くらいしか乗っていない。
逆方向は1回「ムーンライトながら」に乗った記憶がある。

「銀河」も全車指定席の臨時急行があって、初めて乗ったのが1975年の夏。
寝台列車に初めて乗ったのは「みずほ」で4歳のときだった。東京から熊本に。
その帰りは「かもめ」で長崎から京都まで、そこから先、「米原」から「銀河」の寝台に寝れた記憶がある。
次は「さくら」で長崎に。
帰りは「雲仙」で長崎から新大阪に。そこからは「新幹線」だった。

寝台の「銀河」を愛用するようになったのは社会人になってから。
京阪奈の行き帰りに。バスが辛いときに使った。
バスで京都に・・・銭湯入って「第一旭のラーメン」も定番だった。
伊良湖岬までバスで、そこから鳥羽にフェリーというので奈良に帰ったことも3回ほど。
福井まで「能登」そこから特急で大阪にという離れ技もあった。
そんな急行「能登」には2回乗った(福井まで乗った)。

大阪から鳥取まで「だいせん」で砂丘を観に行ったこともあった。

「山根君」の堺の結婚式に「345M大垣夜行」に会社仲間8人くらいで乗って行った。
贅沢に「グリーン車」にしたんだけど「緊張した皆さんは一睡もできず」名古屋から乗った新幹線でみなさん「爆睡」。
結婚式終わって、一泊したんだと思うけど、翌日、他の人と工程を別に「浅川芳樹」さんと一緒に鳥取砂丘に行った。
帰りは「出雲」で帰った筈なんだけどあまりよく覚えていない。

広島から大阪まで「ムーンライト山陽」に乗ったこともあった。
これは多分ICCの時な筈なんだけど、どうやって行ったのか・・・。
佐賀関→佐田岬→松山→広島→名古屋
というルートだった記憶がある。
どうやって佐賀関に行ったのか・・・。
大阪から九州大分行き寝台特急「彗星」で別府まで行ったのは「VR」関係の学会かなにかのためだった。
これと同じなのか、別なのか記憶がない。広島では松澤さんにお会いした。名古屋では前林さんに会った。

そのときのムーンライト山陽では、なんと山陽路が長いことかと、実感した記憶がある。
東京から下関まで「あさかぜ」個室で行ったときにはちょっと嬉しかった。

大阪から糸魚川まで電車寝台急行「きたぐに」に乗ったのもいい思い出だ。最高の唯一の寝台急行電車だ。
そのときは初めての「越後妻有トリエンナーレ」。
正確にはその前に大阪から長岡まで一度乗っているのを思い出した。

やはり、寝台電車というと「サンライズ」これは大阪から東京への帰路に丁度良い。

京都から東京へは「出雲」「あさかぜ」「銀河」が使えた
大阪から東京へは「あさかぜ」「サンライズ」「銀河」が使えた。
「ゆったりシート」には1999年〜2002年で大阪から東京に3回くらい乗った記憶がある。
(東京から大阪には使えるのは「銀河」だけだった。「出雲」でも京都着が4時くらいで早すぎた)
もっとも、東京ー京都の夜行バスはかれこれ20回は乗ったと思う。
もう夜行バスに乗ることはなさそうだ。

話は戻って、
「サンライズ瀬戸」は高松へ行くために3回乗った。「サンライズ出雲」は乗ったことがない。
あの個室の密閉感は辛い人も多かろう。でも開放型寝台列車のカーテン一枚の環境より安心な筈なんだけど。

「鳥海」に乗って酒田から帰ったこともあった。このときは泥酔していて、殆どの時間、トイレでゲーゲーしていた。
挙げ句に、途中下車してホームでも戻していて、翌日仕事にならなかったのを覚えている。

そういえば、1993年に札幌から東京まで「北斗星」に乗った。
BUGの人に「寝台車」をとってもらって帰った。
なんか、不安神経症行群で乗り物に乗れない時期が1992年〜1995年くらいまで続いていた。

他に、うっすら覚えているのは、
上野からディーゼル急行で郡山まで、そこからタクシーで父親の実家に行ったのを覚えている。
(家出人の送還が目的で私を連れて行ったのはなにか理由があってなんだろう)

似た旅では、
上野から急行に乗って白河で降りて、磐城棚倉までバス。白河からバスには3時間くらい待ち時間があって、
磐城棚倉から袋田の滝・男体山・八溝山をユースホステル(宿坊)を使って山登りをした。
中学1年の夏だったと思う
なんか、山登りしたかったんだろう。

山登りというと、
高校2年のときに、前野君と
日光沢温泉経由で黒岩林道を経由して尾瀬沼に、燧ヶ岳に登って、私は沼山峠に、前野君は至仏山へ。
私は沼山峠からバスと船で小出に出て帰った。
なんかすごい苛酷な工程だったんだけど、鬼怒沼の絶景は今でも覚えている。

切符の一筆書きで、東京→(345M)→名古屋→奈良→京都→岐阜→美濃太田→多治見→(ちくま)→塩尻→東京
こんな旅も中学2年の時に「八木君」「加藤君」とした。

変わった旅というと、
広島まで新幹線。広島から別府まで「フェリー」で船中泊。そこから始まるたびというのがあった。
大分・天草・長崎・佐世保
佐世保からどうやって帰ったのか・・・。新幹線とは思えない。
(佐世保→博多は特急だった記憶がある)博多からどんな帰路が待っていたのか。

惜しむべきことに、「(乗れなかった)乗りたかった列車」
急行高千穂・桜島(東京→鹿児島の座席急行)
ながさき(博多→長崎の寝台付夜行各駅停車)
はやたま(難波→南紀白浜の夜行各駅停車)
山陰(京都から延々山陰本線を走っていた夜行寝台付各駅停車)
上野発小牛田行き各駅停車
上野発常磐線経由の仙台行各駅停車
両国発の房総半島を1周していたディーゼル急行
常磐線経由の仙台行きの各駅停車
さんべ(あの「砂の器」峠を夜走っていた急行なんて)
宇高連絡線

どうしても一度乗りたいのは、ウィーンあたりから、ベニス行きの夜行列車。
この列車で降りて「マーラー5番第4楽章」を聴きながらボートにのって島に上陸したい。

1988年卒業旅行で
バルセロナ(正確にはスペインの国境で乗り換え)→パリの夜行列車に乗った記憶がある。
確か、スイスか、ハイデルベルクか?あたりからローマまでも夜行列車に乗ったような気がする。

そういえば、
今はなき「紅葉パラダイス」で「オリエント急行」のような「列車ホテル」に泊まったことがある。
なんとそこでみたショーは「山本リンダショー」だった。
圧倒されているうちに翌年「再ブレイク」した。